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静けさを取り戻した戦場に、雪が降る。

柔く手を槍に添えたまま、キメラの最期を見る力もなく絶命した男の屍の上に、この無意味な戦争によって命を落とした両軍の兵の上に、しんしんと綿雪が積もって、その哀れな身を白く覆ってゆく。

 

 

ノイエスが単身棺型のトランクを携えて、結社と帝国軍のアジトに辿り着いたのは、夜が明けてからの事であった。ペチカの暖気の効いたテント内に入ったノイエスを出迎えたのは、これからの希望に爛々と赤い目を燃やすマーヴェラスであった。マーヴェラスは狼狽するノイエスの手を固く取り握り締め、ぶんぶんと上下に振り回し、

「貴殿がノイエス殿か!貴殿のお陰で我が結社はゾンビキメラの悪しき手から解放された!ネクロマンサーに解決の糸口を頂いたのは些かあれがこれであるがっ・・・それはそれ!これはこれっ!!

兎も角私は再び結社を立て直す!こうしては居れん!では後は帝国の人間で事を済ませてくれたまえ!!私は仕事が山積みなのでな!

・・・では諸君、さらばだーッ!!」

そして呆気に取られるノイエス、ベロニカを尻目に、マーヴェラスは勢いよくテントを飛び出していった。暫しの間を置いて、ベロニカの溜息がテント内に響いた。彼女は疲れ切っていた。

「ノイエス、あの変な結社の総長の言う通り、お前のお陰だ・・・礼を言う」

かたんと近場の椅子に深々と腰掛けて、消え入りそうな声でベロニカは呟いた。

「・・・ノイエス。チャーチのトップはキメラだった。・・・恐らく以前研究所で事故があった時逃げ出した被検体だろう。帝国としては・・・表には出来ない事案だ」

まだ研究所のあの脱走事件は、世間には表沙汰にはなっていなかった。そもそもゾンビキメラ製造の事実すら、帝国研究所は隠匿していたのである。ベロニカですら、数時間前に伝書鳥のやりとりで知った位の秘匿事項であったのだ。ベロニカの胸には、帝国中枢政府に対する不信が、黒く粘った墨に似た水の様な感覚で溢れそうになる。しかしベロニカは自身の胸に浮かんだその不信感を無理矢理押し込んだ。

「そうですか・・・私もまさかとは思ってはいましたが・・・」

ノイエスは少し目を見張った後、視線を地面の床に落とし呟いた。

「糾弾・・・なさるおつもりですか?ベロニカさんは」

問われたベロニカは俯いたまま、柔く頭を横に振って、力なく笑った。

「まさか。私は軍人であり、・・・帝国に忠誠を誓った身だ。摂理や道理に反していようが、私には帝国は裏切れない」

そして暫しの間を置き、ベロニカは徐に顔を挙げ、ノイエスの顔をじっと見つめ。

「ノイエス。頼みがある。・・・隣のテントに、シベルと、・・・ばらばらになった狼のゾンビが居る筈だ。

お前の手で狼を復元できはしまいか」

「・・・程度を見てみないと何とも言えませんが・・・どうして?」

ベロニカの瞳は、少しばかりの決意と、幾ばくかの迷いと、そうして意外な事に、憐憫に染まっていた。

「シベルは帝国の手に収めておくべきだ。この事件の事を外部に喋られたら困るのでな。ノイエス、お前がシベルに貸しを作ってやってくれ。シベルを協会で管理できる様にな」

帝国に仕える軍人として、ベロニカはそうせざるを得ないと思った。可哀想だが、それを了承してもらうしかない。

「・・・隣のテントで、少しシベル君と話してみましょう」

ノイエスは少し困った風に笑って、トランク片手にテントを出て行った。

 

 

テント内にはぐすぐすと啜り泣く声が響いていた。

「・・・しべ、」

暖気のお陰で少しばかり元気を取り戻したが、まだうまく動けず簡易ベッドに横たわっているフィンレーテの顔にも、悲しみ染みたものが浮かんでいた。シベルは何とか拾い集めたコロのばらばらの身体を前に、俯いて座り込み、泣きじゃくっていた。

そこにノイエスがやってきた。悲しそうな表情。

シベルはノイエスの気配に気付き、涙塗れの顔を挙げた。その瞳は、何処か助けを懇願する子犬の目に似ていた。

「・・・ノイエスさん、」

「これは・・・首輪が壊れたのですね」

言いながらノイエスは動かないコロの欠片の傍らに自分もしゃがみ込み、柔く胴の部分に触れた。そしてシベルの手に固く握られた、千切れて宝石の砕けた首輪に目をやった。

「シベル君。・・・私の手でなら復元は可能です」

シベルはその一言ではっと目を見張り、沈痛な面持ちのノイエスの顔を見つめた。

「ですが条件があります。決して復元の様子は見ない事。そして・・・今後はネクロマンサー協会に所属する事。以上を踏まえて了承して下さるならば、」

コロは治して差し上げましょう、と言いかけたノイエスの顔から視線を逸らし、シベルはまた俯いた。シベルはもう、どこにも属したくなかった。今回の件で、一番苦労したのは自分かもしれないのだ。勝手に戦争の道具にされ、馴れないながらも戦い抜き、・・・親友であるコロを失った。もうこれ以上誰かの駒にされるのは嫌だ。しかし、了承しなければ・・・コロは、

ノイエスは少し考え込んだ。これは無理かもしれない。否、無理だろう。だがここでシベルを自由の身にしてしまえば、帝国は新たな火種を抱える事になる。

要は表沙汰にされなければ良いのだ。シベルを信用するしかない。

「・・・判りました。無茶な物言いをしてしまって申し訳ありません。シベル君、コロは私の手で必ず復元しましょう。ただし、」

シベルは顔を挙げない。

「今回の戦争に関する一切について、外部に漏らす様な真似はしない事。それさえ守って頂ければ」

ノイエスの最大限の譲歩だった。シベルの性格を逆手に取れば、この提案の方が良いかもしれない。無理強いして帝国の協会に所属させるよりは、或る程度の自由を与えて恩を着せた方が黙って聞く子である気がする。

「・・・。・・・わかった。コロ、治してくれ」

ノイエスは無言で頷き、シベルがたどたどしい手でスーツケースにコロの遺体を収めるのを手伝い、そうして最後の部分、頭部をノイエスが優しい白い手で収め、ぱたんと静かに蓋を閉じた。スーツケースの取っ手を握り締め立ち上がり、ノイエスはこちらを見上げているシベルの瞳を真っ直ぐ見つめ、・・・柔く笑った。

「大丈夫ですよ。君の親友は、戻ってきます」

 

 

 

 

一ヶ月後。シベルの姿は、フィンレーテと共に、帝国の検問所にあった。いつもの無邪気な明るい笑顔で検問の兵に軽く挨拶、賑やかな帝国の街並みから、だだっ広い草原へとフィンレーテと手を繋いで歩いてゆく。暫し歩いて、人目がなくなったのを確認し、手にしていたスーツケースを開いた。ぱぁっと不思議な色の光がスーツケースから発せられた・・・かと思うと、そこには、

「わん!わんっ!」

シベルは常時もの笑みを見せる。尻尾をぶんぶん振ってシベルの胸ぐらに顔をすりつけるコロのほっぺをわしゃわしゃしてやって、不意に隣にフィンレーテの方を見た。

「・・・きょう・・・どこ、いくの・・・しべ、」

問われたシベルはコロのほっぺに手を当てたまま、上空、高く青い空を見上げて暫し考え込み、

「んー・・・行きたいとこ行くさ!フィンとコロはどこ行きたい?」

「・・・おはな、・・・いっぱい、とこ」

笑って答えたフィンレーテに笑みを返し、コロから手を放すと、空になったスーツケースを手に、再び歩き出した。

 

 

陽光が、暖かく彼等のこれから行く道を照らす。

 

 

 

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最終更新:2015年02月19日 17:00