片足の無い車椅子の男の姿が、久方ぶりに彼女の家の食卓にあった。
「帝国の食事って味気ないねぇ、ほんと。もうちょい香辛料使うとかさー」
「贅沢言わないのー。薄味くらいが健康にはいいのよー。ま、ブドウ糖は別だけどー」
男は文句を垂れながらも、傍らのゾンビに視線を移す事無く、フォークに刺さったじゃがいもの欠片をぱくりと飲み込んだ。
女性は頬杖ついてショートケーキをぱくつきながら、男の食事の様子を眺めている。先刻の文句染みた台詞とは裏腹に、その顔には何処か愉快そうな微笑みが浮かんでいた。
「でー?あんたがまた帰ってきたって事は、また何か試してみたいんでしょー。何よ何よー」
「Oh,LaLa、お見通しだねぇ。さっすがディーナだ。兄さん、カバンから資料出して」
男の傍らの、フードを深く被ったままのゾンビが無言で男の鞄をまさぐって、一束の資料を机にそっと置いた。女性はニコニコしながらそれを受け取り、ぺらと一枚一枚、男の乱雑で乱暴な筆致の文字列を眺める。
「・・・えー!?今度は金属でゾンビを補強ー!?」
「やっぱさー、・・・んぐ、ゾンビの弱点の柔さは、・・・んぎゅ、どうにかすべきと、思うんだよね」
男は驚く女性を尻目に、じゃがいもを喉に詰まらせたか、切り子細工の美しいコップに注がれていた水を飲み干しながら平然と言う。懐紙で唇を拭って、ニコと笑い、
「だからさディーナ、今度は協会の実験室の方貸してもらいたいんだけど」
「あんた、どれだけ無茶言えば気が済むのよー・・・」
ノイエスは執務室に独り。・・・否、窓の月明かりを頼りによくよく目をこらせば、彼の傍らに、半分熔けかかった様な容姿の幼女のゾンビが居るのがわかる。
「・・・」
ゾンビは何も言わない。・・・否、うつろな瞳は、確かにノイエスの方を向いてはいるのだが、ノイエスを見ていないかの如く、うつろ。唯々、その方角を向いているだけにしか見えない。
何も見ない。何も聞こえない。ただ、立っている、だけ・・・様に見えるが、彼女を見るノイエスの目には、明らかに幼女の視線が感じられている。幼女の自分を呼ぶ声が小さく聞こえる。それは、ノイエスにしか分からない、極々微細なものであった。
ノイエスの目は、そんな幼女を心底愛おしそうに見て居る。そうして色味の無い唇が動いた。
「・・・まだ怒っているのですか?イヴ」
「・・・」
無論イヴと呼ばれたゾンビに、感情の高揚は見られない。何も、変わらない。
ノイエスはゆったりと執務机の椅子に深くもたれ掛かり、イヴを見つめ、
「あなたの技術も秘密も、どこにも漏らしたりはしません。私だけのあなたなのですよ、イヴ。
あの犬に使ったのも、所詮はあなたを完璧に蘇らせる過程で出来た不完全な技術です。あなたと同じ技術を使って何某かのあなたの秘密が漏れる事だけは避けたいですからね。
・・・イヴ、」
ノイエスは上半身をゾンビの方に傾け、右手で優しくゾンビの金色の髪に優しく触れた。これ以上力を入れて撫でてしまえば、頭皮からずるりと毛髪が抜け落ちそうな程、そのゾンビの肌は脆弱だった。
「イヴ、私が犯してしまった罪でこんな姿になってしまった私のイヴ、・・・可哀想に。
愛していますよ、永遠に。そうして、誰にも壊させはしない・・・いや、壊せない、絶対に・・・」
譫言の様に呟くノイエスの瞳は、今まで誰にも見せた事のない、複雑な色に染まっていた。
「おやおやここもこんなに手薄なのかい?全く帝国ってのはどっか抜けてばっかだねぇ」
「私も半分呆れちゃうわー。ま、此処にはあいつが籠もってるからねー・・・そんなに厳重に警戒しなくてもいいってのはあるんだけーどもー・・・ねー・・・」
暗い廊下を行く、女性と、車椅子の男と、その従者のゾンビ。どこか女性の声には、拭いきれない迷いが滲み出ていた。
「何さ、誰か居るの?それ大丈夫?」
「あー、平気平気ー。あんたの資料見たら一も二もなく飛びつく様な子だからー・・・」
三者の足が、とある扉の前で止まった。コンコン、と女性の手がドアをノック、何かねー、と抜けた声が室内から漏れてきたのを合図に女性はドアを開けた。車椅子の男が隙間から室内を覗き込む、と、
「んぎゃっ!!」
バサァッ、と勢いよく何かが男の顔にへばり付いた!それは尖った爪で細面の男の顔を引っ掻き、羽をばたばたさせて頬を叩き、器用に回る舌で、
「ナンダコンニャロ!アイシテルゼ、ジュッテーム!!」
「はっ、はあぁっ!?ちょっ、ディーナ!なにこれ!!」
慌てて顔にへばり付く鸚鵡のゾンビを引き剥がそうとする男の鼓膜に、呑気な別の女の声が届いた。
「おや、ディーナさんじゃないか!珍しいにも程があるな、はっはっは!生憎此処には魔術に関する様なものはなくて・・・ってあれ?今何時?というか誰だい?その車椅子さんは!」
部屋の奥から出て来たのは、この研究所の女所長であった。呵々と笑いながら、鸚鵡のゾンビ・・・彼女のペットのジュ・テームを引っぺがすのに難儀している男を見ている、だ、け。
「やっほー、所長ー。こいつね、私の知り合いなのよ。こう見えて結構面白いのよー。今日もちょっと金属扱う作業したくってねー、所長訪ねてきたって訳。ちなみに今夜の3時ー」
「バッキャロメ、オトトイキヤガレッテンダ、イヤー!ドコニモイッチャイヤヨダーリン!!」
「ディーナ!ディーナっ!いいからこいつどうにかしてええええ!!」
慌てる車椅子の男を尻目に、談笑しながら女性は女所長に男の資料を差し出した。興味深そうに牛乳瓶の底に似た分厚い眼鏡を傾け、女所長は資料を読みふける。そして一言、
「・・・、こりゃすっごい!私にもこの発想はなかったな!よっし、ディーナさん、早速これを試してみよう!丁度良くこの辺に・・・あれ、確かこのーへーんーにー・・・ったあった!こんなギミックが!」
「あー、私に言われたってよくわかんないわよ、所長ー。そこの鸚鵡引っぺがしてそいつと作業してちょーだい。私は今日は案内に来ただけだからー」
そう言って女性はコート翻し、元来た廊下を男とゾンビを置いて歩いて去っていってしまった。
「ちょっ、ディーナ!?なにそれ!・・・あでっ!ちょっと!Ca suffit. Arrete!ディーナーっ!」
女所長は女性を見送った後、徐に馴れた手つきでジュ・テームを捕まえると、適当な机の上に置き、今度は顔中傷だらけの男の手を取り、瓶底眼鏡の下のきらっきらした目で、
「・・・で、だ!被検体はそこのゾンビさんかな?それとも車椅子さん、君かな!?なかなかどっちも活きがよさそうだ、ぴったりだよこの実験に!!ささ、とにかく奥へ、」
「ディーナーっ!Non!Au secours!」
<了>