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シベルとコロはひとりと一匹、渓谷を抜けてすぐの浅い山の間、雪の降りしきる谷の道を歩いていた。幸いひとりと一匹(その一匹にはそんな概念はないのかもしれないが)には、怪我らしい怪我はなかった。

 

 

ベロニカと槍の男の剣戟とが続く中、男は激しい得物のぶつかり合いの隙間を縫う様にして、腰を抜かして座り込んで動けなかったシベルを、開いたままだった貨物列車の扉から突き落としたのだ。寸での所でシベルは手すりに掴まり、一旦は転落を逃れた。しかし男がベロニカと再び鍔迫り合いに入りながら自分に浴びせた一言と、こんな戦闘中にはふさわしくない優しい目。

『君は、・・・こんな戦争に巻き込まれちゃいけない!生きて雪国の何処か、村まで辿り着け!』

言うなり男は、シベルの手すりを握る手を軽く蹴った。それだけで充分だった。シベルは暴走する列車から振り落とされ、そろそろ渓谷を抜けてきて雪深くなってきた谷の地面にぼふりと落ちた。わん、とコロが吠えて飛び降りてくるのが見えて・・・そこからシベルの意識はなくなった。

 

 

「老師は戦争の火種にあの少年を使う気だ・・・『帝国が少年を戦争に巻き込み、殺した』とな!この毒花のゾンビの入手経路もばらされる訳にはいかない!」

男はぎりりと歯噛みしながら、ベロニカの剣をへし折ろうと強く槍を押し付けてくる。ベロニカは困惑していた。何故、この男はわざわざシベルを生かしたのか。逃げろと、生きろと告げて戦線離脱させたのか。

「・・・っ、訳がわからんぞ!貴様のやっている事はその上層部の方針やらとはまるで違うではないか!」

「・・・」

男は押し黙った。男の胸の内は、迷いに染まっていた。ただ、件の子供を目の当たりにして、殺す気が失せた・・・というか、本当にこれでいいのか、と、自分は何か間違った道を歩いているんじゃないか、そんな疑念がふつふつと男の胸を焼き始めていた。
男は嘗てマーヴェラスという、不死者解放結社のトップの男に言われた事を想いだした。

『いいかね!我々の目的は決して世の平和を乱す事ではない!死者を安らかな眠りに再び導き、人を在るべき姿、平和と安寧の中にもう一度戻す事であるッ!平和を乱す為に人に手を掛ける事は罷り成らーんッ!我々が打ち倒すべきは、目の前のアンデッドでもネクロマンサーでもない!その心に巣くう動乱を願う卑しき心なのであーるッ!!』

当時の彼にはよくわからなかった。しかし今ならわかる気がする。そうしてそれがわかりかけてきた時、彼は今のチャーチの姿に僅かばかりの疑問を抱き始めていた。

その時。キィィイイイっ、と甲高い音が列車内を劈いた。列車は遂に、雪国の駅へと到着してしまったのである。ベロニカの剣が、一際高い音を立てて弾かれた。槍の男の息も荒く、彼女もまた無傷という訳ではなかった。

しかも悪い事は続くものだ。列車内の僅かな帝国軍・・・ベロニカ隊を外に出すまいとする様に、チャーチの一軍が列車を取り囲んでいた。

ベロニカ隊も損害は激しいが、この人数なら、まだやれなくもない。一点突破で、勢いに任せて兎に角逃げるしかあるまい。男に背を向け、ベロニカは客車の方に待機していた兵共に指示を与え、最後尾の列車の扉から一気に雪国の駅近く、森の中にまで走る事を命じた。

「いいか、敗走と思うな!士気が下がる!我々は援軍が来るまで生き延びる!」

そして鬨の声を挙げ、ベロニカを先頭としてベロニカ隊の精鋭達が列車を飛び降り、待ち構えるチャーチの手薄であった最後尾の防備の隙を突く形で突撃した!

「・・・」

男はフィンレーテの入れられた、半壊の木箱を見つめていた。チャーチの兵の手でそれは列車の外に運ばれ、雪国内を走る無人駅のぽつりぽつりと連なるだけの寂れた路線でチャーチ本部へと運ばれる手はずになっている。

これでいいんだろうか。自分は今、正しい事をしているのか。そもそも自分達は今、何処へ向かおうとしているのか。彼にはわからなくなっていた。

 

 

シベルとコロの足は、だだっ広い雪原の降り積もった粉雪を踏みしめていた。雪国の地理なら大体把握できている。この平原を抜ければ、小さいが村がある。そこを目指そう。ただひたすら、悴んで重い足を繰っていた。コロが心配そうにこちらを見上げて歩くので、笑顔を返してやった。弱みは誰にも、コロにも見せたくなかった。でなければ、フィンレーテを救えなかった、自分には何の力もなかった、その事実に押し潰されそうだった。

見覚えのある森が見えてきた。雪原と村の間に広がる小さな森だ。あれが見えたら、もうすぐだ。シベルは、はっはっと荒く白い息を力一杯吐きながら、歩を進めた。

その瞬間であった。ぱぁん、と、聞いた事も無い、何かが破裂するかした様な音が遠くから聞こえた。何だろうと思って周りを見回そうと首に力を込めたその刹那、

「・・・、っぁぁああああああ!!」

シベルの左の肩口が、燃える様に熱さを伴う激痛に襲われて、思わず叫んだ。押さえた肩口から、どぼどぼと朱い血が溢れているのが判った。腕を伝って、真っ白な雪の上にぼたぼたとシベルの血が落ちる。気付けば景色がぐるりと回って、意識が朦朧としてきた。真夜中の空が目に飛び込んできた。コロの義眼が強い戸惑いの色を帯びていた。そして痛みによって溢れた汗が雪国の冷たい風に当てられて身体は冷え切り、シベルは意識を遂に失った。

コロは顎をぐぐと天に向け、どこまでも響きそうな遠吠えを発した。悲しい、寂しい、怖い、誰か。何度も何度も遠吠えを繰り返す。
余りにも悲しい色を帯びた遠吠えを聞きつけたのか、森の方から、ひとりの兵卒と、白い髪に紅い瞳、言うなれば吸血鬼の様な見目形の壮齢の男性が気を失っているシベルと遠吠えを繰り返すコロの元へと駆け寄ってきた。

「・・・少年、少年よ!どうしたというのだ!」

男性は気絶したシベルの肩を揺さぶるが、反応がない。傍らにいた兵卒が、己の聖霊術を籠めた得物を持ってゾンビのコロを叩こうとしたが、男性の手がそれを制した。

「やめるのだ、この犬は主上を助けようとしているのだぞ!不死者とは言え・・・ううっ、なんと美しい主従愛よ!」

感極まったのか男性は袖口で溢れ出した涙を拭って、意識のないシベルの身体を、自分のコートが血で汚れるのも構わず担ぎ上げ、また森へと戻ってゆく。兵卒は戸惑いながらも、コロを連れて男性の後をついて歩いていった。

 

 

 

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最終更新:2014年10月14日 12:08