雪原のやや小高い丘の上、迷彩のつもりか白い布を頭から被って彼女は溜息を漏らし、長い筒状の形の得物をすうと下ろした。筒の先からは、火薬の匂いと煙が漂っている。
銃砲の類いにも形は似ているが、こんなにも精巧に長距離の的を射撃できる銃砲など帝国軍にも配備はされては居ない。恐らく雪国の寒い土地柄故、火薬に精通している彼等ならではの武器と言える。
「成る程ね、あんな所に旧結社の隠れ家があるなんて」
てきぱきと得物を背負うと、白いポンチョのフードを被り直して、彼女はその場を去っていった。老師の命で作られたこの長距離射撃銃・・・通称ライフルは、チャーチ内でも彼女しか扱えるものはまだ居ない。実験段階の品の実地試験と言って老師が今回シベル抹殺にこの火筒を使ったのである。まだまだ扱いにくい得物ではあるが、帝国軍の扱う銃の様な或る程度近づいての銃撃でなくてもあれだけの重症を負わせる事が出来た。旧結社が出て来たのは予想外であったが、或る意味これで奴等のアジトを発見できただけよしとしよう。彼女はそう思い、白いポンチョの裾を靡かせて何処かへと消えてしまった。
深い森に設営された、防寒テントの中、カンテラの薄明かりがしくしくと目に痛く、シベルは目を覚ました。上着を脱がされた上半身には包帯が入念に巻かれており、暖かい毛布が身体に被せられていた。傍らには心配そうな義眼の目でこちらをじっと見つめて伏せているコロが居た。
「目を覚ましたかね、少年よ」
声が聞こえたが、肩の傷がびきと痛んで、巧く身動きできなかった。そんなシベルの顔を覗き込んできた壮齢の男性の見目形は、白い髪に血の気のない肌、そして真っ赤な目。
「・・・あんたが助けてくれたのか?」
シベルの絞り出す様な問いに、男性は固い笑みを浮かべて力強く頷いた。
「まだ動かぬ方がいい。何せ銃にやられたのだからな。雪国の辺鄙な一般の病院では処置出来なかった所であったのだぞ。それ程までの重症を癒やせるのは・・・、
史上最強にして高潔な意志によって戦う我ら不死者解放結社のみいイイィィィッ!!」
びしっ。何やら決めポーズを決めて、男性は固まった。呆気に取られるシベルとコロ。
「結社って・・・アンデッドを土に還すあれかよ!」
雪国産まれのシベルは、そういう団体があると言う事を聞きかじっていた。このままじゃコロが危ない。思わず飛び上がりそうになったが、肩にずきんと激痛が走って上半身を起こせなかった。
「安心したまえ、少年よ!結社を率いるこのマーヴェラスの意向により、その狼はまだ土には還させぬ。君を救う為に我々結社を呼び寄せたのはその狼の遠吠えなのだ・・・、私はその愛に心を打たれた!」
喋る時も、マーヴェラスという名らしいこの男性、一々手振り身振りアクションが激しい。
「と、とりあえず・・・あんがと」
「兎に角、今は養生する事だ。我々も少しこれから忙しくなるのでな。チャーチの彼奴等め、こんな極悪非道な銃などを・・・こんな・・・こんなッ、こんな幼気な少年に向けるとは・・・許すまじ、チャーチ!
更にチャーチは新しい兵器、君が受けたその銃とは比べものにならぬ威力の兵器を開発しているそうだ。何でも毒を撒き散らす巨大な兵器、と聞いたが」
毒。チャーチ。・・・フィン。シベルの中で何かの線が一本に繋がった。
「おっさん!もしかしてその毒って、帝国から運ばれたゾンビが関係して・・・」
マーヴェラスはシベルの焦りを含んだ問いに目を剥き、
「君の様な子供まで巻き込もうとしていたのか、チャーチは!むむ・・・何と極悪非道な彼奴等よ!
君が今回の件に噛んでいるとしたら、・・・成る程、チャーチが新規開発された銃まで使って君の抹殺を謀った理由も分かってきた!もしよかったら、少年よ、我々に事のいきさつを話してはくれまいか!!」
びしっ。またマーヴェラスは、シベルを力強く指さし固まった。・・・どうやら話した方が良さそうだ。銃にやられて死ぬ間際だった自分を助けてくれた恩もある。
寒風吹き荒ぶ真っ暗な、寂れた無人の駅の前に、大型の犬ぞりが横付けされた。槍の男は、待ちわびていたかの様に犬ぞりの席に座り、背後の貨物・・・毒花のゾンビの入った、新しい木箱を振り返り見つめた。後はこれを村の外れの大聖堂にあるチャーチ本部の教会に運べば彼のミッションは終了する。
手枷の所為だけではない、寒さによる衰弱もゾンビには見られた。本当にこれが役立つのか。・・・否、これを使うという非道な手に、我々は手を染めていいものか。男の迷いは一層強くなるばかりであった。
老師への伝書鳥には、「ゾンビの主の少年は列車から落ちた」と書いた手紙を持たせた。生死については、敢えて触れなかった。
男が送った伝書鳥が本部に帰ってきた同時刻、メタトロンとサンダルフォンは、地下の開発施設に居た。大きな鉄の塊に車輪が付いたかの様なその奇妙な新兵器を目の当たりにして、サンダルフォンは目を輝かせた。
「後はあの部分にゾンビを括り付けて、ぶっ放せばよいのじゃな」
「毒花のゾンビが低温に弱いらしいという報告も受けておりますが、蒸気の余熱でその点はカバーできるかと思います。防護マスクも既に人数分は量産済みなので、後はゾンビの到着を待つだけです」
研究員の言葉に、メタトロンは黙って言葉を返さない。
帝国に、これで仕返しが出来る。自分達の様な人に正体を知られてはならぬ呪われた異形の獣。それを生み出し、只の実験体として扱い、激痛と苦悶を自分達に与えたあの帝国に。一泡ふかせるだけではメタトロンの気は収まらなかった。帝国そのものをも飲み込んで、ばらばらに噛み砕いてやらねば気が済まなかった。
マーヴェラスはシベルの話す事のいきさつを聞いて、感極まったのか途中で男泣きしてしまい、元々紅い目を更に真っ赤にして、
「・・・なんと、なんと残酷で非道な手を使うのだ、あの獣二匹は!私は絶対に、必ず、あの悪魔をこの世から葬らねばならぬッ!」
決意を新たにし、またびしっとポーズを決め、固まるマーヴェラス。何度見てもその様子に馴れず、シベルは開いた口をひとつ飲み込む様に閉じて、ひとつ問うた。
「その、マーのおっさんは、フィンを助けるのに力貸してくれんのか?」
その言葉を聞いたマーヴェラスは、むむ、と唸って黙り込んでしまった。シベルは俯いた。結社の根本の精神として、アンデッドをそのままにして置く訳にはいかないだろう。死者は安らかに土に還るべし、が結社の根幹なのだから。
「・・・今の私には、何とも言えない・・・しかしッ!打倒チャーチの為なら是非力を貸して貰いたい!君が可愛がっているというその毒花のゾンビ、ううっ・・・それはそれ、これはこれッ!後で処遇は考えよう!!」
ベロニカ隊は雪深い雪原の真ん中に位置する辺境の村に逃げ込んで、どうにか全滅を免れた。疲れ果てている兵達を尻目に、ベロニカは満身創痍の身体に鞭打って、帝国軍部へと伝書鳥を送った。ゾンビ奪還失敗、至急援軍と抗毒薬を頼む。最早自分達だけではどうしようもない。恐らくチャーチがあの毒花のゾンビを使って作り出す新兵器の前では、ベロニカ隊のみでは手も足も出まい。それにどんなに多い援軍を送ってもらったとしても、ノイエスが量産してくれるという抗毒薬がなければ勝ち目はない。
ばさぁっ、と帝国へと飛んでゆく鳥の羽ばたく様を見つめながら、ベロニカはギリと歯噛みした。
あの少年が死んでしまっていなければいいのだが。少年さえ生きていれば、チャーチのしでかした非道も明らかになろうし、「帝国軍が雪国の少年を殺した」との喧伝も抑え込む事が出来る。否、もう既にその噂は、雪国の別の村に情報収集の為送った斥候の報告によればかなり広がってしまっているとみて良さそうだ。斥候も途中で雪国の人間に変装しないと、ぎらぎらした憎しみの目を向けられる程であった。
間に合え。早く。ベロニカの胸は焦げる様な苛立ちに染まっていた。