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列車は走る。機関室には無残にも首をナイフの様な得物でかっ切られて息絶えている運転手が転がっていた。代わりに運転席に居るのは、あの時、フィンレーテを攫ったひとりであった。

早く、渓谷に差し掛かる前に列車を止めにかかれ、と命令を飛ばしに行こうとしても、ドレスの男が執拗にベロニカに剣戟を浴びせてくるものだから、ベロニカも列車最後尾のこの場所から離れられない。

「行かしゃしねーよ、それが俺の仕事だもんでな!」

「黙れ下衆が!」

かん、かん、きん、きん。無人の車両内に、剣と剣がぶつかり合う音が響く。

 

 

気付けば列車が再び走り始めた所為か、帝国の援軍がついてこれないのが想定外の幸運だった。操られたゾンビ兵をあらかた燐光に変えてしまった槍使いの男は、息の上がった素振りも見せず、今度はたじろぐネクロマンサー兵に穂先を向けた。

その時。列車が、がたんと激しく揺れた。各々の足許が、勢いに飲まれてふらついた。

「な、何だ!?」

貨物列車に飛び移ろうと外に出たシベルは、衝撃の大きさに思わずつんのめって連結点の手すりから落ちそうになった。それをぎりぎりの所で、コロがシベルの袖口を咥える形で食い止める。

「あ、あんがとコロ・・・」

「わ・・・ふがっ」

「あー吠えるなッ!口開けたら落ちるーッ!」

列車が揺れた理由は簡単であった。遂に列車は越えてはならないライン・・・渓谷内の荒れた線路にまで達したのだ。普段より飛ばしすぎていた所為か、激しい揺れを起こしてしまった。それに気付いたベロニカは舌打ちした。もうここに差し掛かってしまったら、帝国の援軍は期待できない。

破れてぼろぼろになったドレスの裾翻し、男は席の背もたれに座って余裕の笑みを浮かべた。苦々しい顔をしているベロニカとは対称的なその笑み、どこか禍々しかった。

「さってと・・・俺の仕事はここまでだ。てめーさえ足止めできりゃよかったんだからな。どーせ貨物列車の方もあいつが全部片付けてんだろ。

んじゃ俺はいちぬーけた。疲れる仕事はごめんだ」

何を思ったか男は徐に列車の締め切った窓を開け、埃っぽい渓谷の空気と機関車の煙の煤に少し顔を顰めると、ベロニカを差し置いて窓から飛び降りた!

「なっ、逃げる気か貴様!」

ベロニカも追う様に窓に走り、男が身を投げた窓から身体を乗り出す。普段よりも凄まじいスピードで列車は渓谷の隙間を縫う様に駆けてゆく。カーブに差し掛かった所為か、男の姿は確認できなかった。

先刻男が言った「貨物室のあいつ」がふと気になって、ベロニカは人気のない車両から次の車両へと急いだ。踏み込むと、中には怯える乗客達と、彼等を見張る様に立って居る帝国兵の姿。

「乗客の中には怪しい輩は居ない様です。渓谷に入ってしまいましたが、どうなさいますか?」

幹部兵の問いに、苛立ちを隠せない様子でベロニカは叫んだ。

「怪しい奴が見当たらないならこれ以上監視する事はない!貨物車両に急げ!」

 

 

コロがぐるる、と珍しく怒りを露わにして唸った。ネクロマンサー兵にまで手を掛けて静かになった貨物車両のひとつに、槍を携えたひとりの男が立っていた。まさかこいつがひとりで帝国のネクロマンサー隊を片付けたとでもいうのか?

「・・・君は確か、アムルを助けてくれた・・・」

男はややの狼狽を隠せず呟いた。まさかこの少年・・・シベルが帝国側についたとは思いたくなかった。これは予想外の展開になってきた。あの犬、否、狼には老師から与えられた首輪がつけられている。呪術の力は恐らく今まで相手にしてきたゾンビ兵とは比べものにならない強さだろう。もしかしたら自分の手でやっつけたとしても、復元可能なレベルに達しているかもしれない。

「今すぐ列車を止めろ!お前等がフィンをさらってったんだろ!」

シベルの叫びもこの男には届かなかった。彼は自分の仕事に徹する事を選んだ。例えアムルを助けてくれた恩義があったとしても、今現在帝国についてしまっているならば、此処に転がっているネクロマンサー兵と同じ目に遭わせなければならない。

「命が惜しければ、大人の事情に口を挟むな!犬を連れて客車に戻れ!」

「・・・ンだと!?フィンを勝手におとなのじじょーとやらに巻き込んどいて言う台詞かよ!!」

その瞬間、シベルの怒号を合図にコロが飛び出し、鋭い牙を剥きだしにして男の槍を持つ腕に噛みついた。槍は正直こんな狭い貨物室で有利になる武器ではない。素早い狼を相手にするのならば尚のこと。分厚いコートとその下に着込んだ軍服のお陰で牙はそれ程食い込んではいないものの、これ程大きな狼を振り解くには多少難がある。男は決心した。ゾンビが手に負えなければ、それを使役するネクロマンサーから殺すのが鉄則である。幸い少年の手にはネクロノミコン・・・ゾンビを操る為の魔道書があった。あれを壊してしまえば、少なくとも狼の動きは鈍くなる筈。

コロを腕にへばりつかせたまま、槍を構えてこちらに突進してきた男を目の当たりにして、シベルは慌てた。自分を守る武器の様なものは何もない。あるとすれば腿に付けた心許ないナイフのみである。これだけだが、ないよりましと言い聞かせ、シベルはナイフを抜いて男の一撃を何とか躱した。だが体勢を崩し、木箱に思い切り身体をぶつけてしまった。ばき、と音を立てて木箱が崩れる。やばいと思って木箱の中をちらと覗き込んだシベルは息を呑んで、そうして無意識の内に叫んだ。

「フィン!」

顔は見えなかったが、見覚えのある蔦と花びら。間違いない。フィンレーテだ。ナイフを突き立てる様にして木箱の空いた穴を広げると、フィンレーテの小さな手に見慣れない手枷が嵌められているのが見えた。確かフィンレーテが花畑で捕まった時も、これが嵌められていた。これがフィンレーテの力を封じている呪術具なんだ。そう直感して、シベルは再び叫ぶ。

「待ってろフィン!今それ外してやるからな!」

「がうっ!がううっ!!」

男の腕に噛みついたまま、振り回されて体液を撒き散らしながら、コロはうなり声の様に吠えた。驚いたシベルが振り返ると、青白く光る槍が眼前に迫っているのが視界に入った。

やられる。シベルは身を縮こませて、踞った。しかし槍の穂先がシベルを襲う事はなかった。がきぃん、と鋭い金属音が、代わりにシベルの耳に残響を残した。恐る恐る顔を挙げる。

軍服の所々から血を滲ませているベロニカが、間一髪の所で間に合って、男の得物を剣で弾いたのだ。

「ベロニカ!」

「全く貴様という奴は!いいから貴様はその犬と一緒に機関室まで行け!この列車を何としても止めろ!」

「でっ、でもフィンが!」

物わかりの悪いシベルの言動に嫌気が差してきたのか、男と鍔迫り合いを繰り広げながらベロニカはシベルを見ずに叫んだ。
「これが戦争だ!最早貴様がそのゾンビを助けてどうにかなる問題でもなくなった!我々帝国軍とチャーチの戦争だ、これは!!

今貴様がすべき事は目の前のゾンビを助ける事ではない!列車を止めて一刻も早く、事を大きくさせない事だけだ!目の前のものを救ったからと言って何になる!貴様には何の力も無い!!判るか!」

何の力も無い。ぐさりとその言葉が、根拠のない万能感に満たされていたシベルの胸に刺さる。ベロニカの剣が弾かれ、槍の鋭い穂先が彼女の甲冑を着付けた胴を叩いた。ベロニカの頭の中は切れる程冷めていた。この混乱に乗じて、もしチャーチがこの少年をプロパガンダに使ってしまったら、もう帝国と雪国及びチャーチとの戦争は避けられなくなる。『混乱の中で帝国軍は雪国の少年を殺した』と喧伝してしまえば雪国の民の帝国に対する感情は爆発し、大規模な戦争が勃発する。

今暴走している列車は、ベロニカにはまるで戦争へと突入するのを止められない事への暗示に思えた。

 

 

 

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最終更新:2014年10月02日 15:04