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そのエメラルドグリーンの瞳は、伏し目がちで、長い睫毛に縁取られ、口紅は深紅。その人物は、ベロニカを一瞬すると、また車窓の外を眺め始めた。

「貴様、名と渡航目的を名乗れ」

ベロニカはその人物の纏う空気に何やら違和感を感じた。確かに帝国風の優雅な、肘から下が緩やかな放射線を描くフリルドレスを身に纏っているが、確かにこいつは普通の女ではない。無意識の内にベロニカは、柔く腰に提げた装飾の美しい剣に触れていた。いつでも鞘から抜ける様に。

 

 

シベルは先刻ベロニカから、コロの鼻でフィンレーテの居場所を捜す様に命じられた。列車内の乗客を尋問する帝国兵の間をすり抜けて、コロはふんすふんすと鼻を鳴らしながらフィンレーテの残り香を捜す。が、何かがおかしい。コロは迷っている様にそこら中を嗅ぎ周り、ぺたんと諦めた様に座り込むとくうんと首を傾げた。

彼等にはわからないだろうが、あの手枷がフィンレーテの匂いすら封じていたのだ。コロの鼻にすら引っかからない程徹底的に、フィンレーテの呪力を消し去っていた。仕方ない、奥まで自分の手で捜すしかない。乗客席にフィンレーテの手懸かりになりそうなものはなさそうだ。シベルは列車の機関室、貨物車両の方へと徐々に歩を進めていた。

 

 

瞬間、ベロニカの白い両頬が血糊に塗れた。気付けばベロニカを挟み守る様に立って居た護衛の兵二人の首が、彼等の身動ぎも許さない内にはね飛ばされていた。

目の前のドレスが、ひらりと動いた様にしか見えない動きであった。緩やかなドレスの両裾から、どう隠し持っていたものか音も立てず細身の双剣がそれぞれかの人物の掌に滑り収まり、一瞬のうちに二人の兵の首元をピンポイントではね飛ばしたのだ。ベロニカには何が起こったのか、頭では理解できなかった。が、身体が理解していた。こいつはやばい。思うが早く、彼女は首を取った勢い再びベロニカに向かって振り下ろされる双剣を、手にしていた片手剣と盾で防いだ。ガキィン、と、甲高い金属音が鳴り響く。

「貴様・・・っ、雪国の手の者かっ!」

ドレスの裾が、またひらりと揺れる。エメラルドグリーンの瞳は一直線にベロニカの強い眼差しを捉えている。弾かれた双剣を再び構え直し、その人物は奇妙な構えで双剣を構え直した。何も言葉は発さない。発しても意味はないと思って居るのだろうか。ただ、その構えは、雪国の者がよく使う仕手に似ていた。無論こんな段違いなスピードはベロニカも始めて相手にする訳だが。

ベロニカもまた、相手の眼光に負けない程鋭い、戦場の目で、相手を真っ直ぐ凝視すると、こちらもまた盾を前にしていつでも剣を振り下ろせる様な、帝国の正式な剣撃の構えを作る。どさりと首から上を失った兵士ふたりが、屍として列車の木の床を汚した。それ程一瞬の出来事であったのだ。

我に返った乗客の悲鳴が、決闘の始まりの合図であった。何処からか甲高い女の悲鳴が聞こえたのが全ての始まり。ベロニカの剣とドレスの人物の双剣が、再び鋭い音を立ててぶつかり合う。ギリギリと鍔迫り合いが続く。暫くそうして両者固まっていたが、これでは埒があかないと判断した相手がベロニカの剣から右手の剣をずらした。何処か他の急所を狙うつもりだろう。だがベロニカも歴戦の騎士である、その隙を見逃す程甘くはなかった。双剣の一本を外して微妙な力の拮抗が崩れた所を一気に押し潰す勢いで、残った左手の剣も弾くと、がらあきになったドレスの胸元をざっくりと切り裂いた!

 

 

停車した列車の貨物室にも、当然ゾンビ兵が先鋭として傾れ込んできた。続いて数人のネクロマンサー兵が、ゾンビに指示する為にあとに続く。そこで兵達は、木箱の隣で青白く光る槍を構えた男を発見した。

「得物を捨てろ!軍の検閲だ!そこの木箱、調べさせてもらうぞ!」

だが男は何も言わず、木箱に触れようとしたゾンビ兵の両腕を槍の穂で叩いた。何かがじゅうと灼ける様な音がして、砕かれたゾンビの両腕がぼとりと木の床に落ちる。様子がおかしい。普段であれば難なく復元できる筈のゾンビの腕が、どうネクロマンサーが呪術で足掻いても戻る気配がないのだ。そもそも落ちてしまった腕が、青白い炎に包まれる様に燃えて跡形も無く消えてしまった。
この仕手。もしや。

「雪国の例の結社か!」

雪国には、アンデッドに対抗するための「聖霊術」とでも言おうか・・・そんな不可思議な力が存在している。そもそも人々の神に対する信仰が未だに根強い雪国の土地柄、帝国では考えられない「ゾンビを徹底的に浄化する力」というものが彼等の様な帝国に反逆する組織にはあるという。弱いゾンビの雑兵程度なら一撃で浄化でき、強い力を持つアンデッドでも彼等の一撃を食らえばその箇所は復元不可能。雪国の信仰が産んだ、打倒帝国への布石の力。

しかもこの男、槍のたったの軽い一振りでゾンビ兵の両腕を奪ったのである。その実力たるや、計り知れるものではなかった。一気に帝国兵の士気に緊張が奔る。

 

 

ベロニカは目を剥いた。余りにも見目麗しいその見た目とは裏腹に、裂いたドレスの胸元にふくよかな胸はなかった。

「・・・あーあ、これ結構気に入ってたのによ。てめーの軍服も同じ様に切り裂いてやろうか?あ?」

明らかに男の声。しかしベロニカに狼狽している暇はなかった。またドレスの男は双剣を構え直して飛び跳ねる様に斬り込みに来る。狼狽が響いたのか、一瞬ベロニカの反応が遅れた。ざしゅっ、と音がして彼がベロニカの背後に着地すると共に、ぴし、ぴしん、と何か革が切れた様な音。その後少し間を置いて、がしゃ、がしゃん、と、ベロニカの存外に細い肩を包んでいた肩当てが外れて落ちた。たったの数秒で、彼は鎧のつなぎ目を狙って斬り込みにかかり、ベロニカの肩当てのベルトを器用に切り落とした。かぁっとベロニカの顔が紅潮する。何も脱がされて恥ずかしい訳では無い。相手の女装という奇策に翻弄された自分に腹が立ったのだ。オリーブ色の結った巻髪翻し、ドレスの彼は何を思ったか、徐にドレスのスカートを自分の双剣でスリットの様に切り裂いた。そのままでは動きづらくて邪魔らしい。

「女なんぞが剣なんか持ってんじゃねーよ。どっかの部屋で編み物でも編んでな」

そうして再び、跳ねる様にベロニカに飛びかかってくる。しかしベロニカも戦闘時の昂揚にも似た冷静さを取り戻し、盾で双剣を弾くと、剣を振るった。びりびりっと音を立てて彼のスカートの袖が切り裂かれる。

「女装のスパイ如きが私に敵うと思うな!」

がしゃん、と甲冑の擦れ合う音響かせ、再び剣を振るう。だがドレスの彼は踊る様に身を翻し、狭い列車内を縦横無尽に飛び回り、ベロニカの剣戟を一々躱してゆく。ベロニカは剣を振るいながら、少し考えた。こんな普通の人間が乗り合わせている客車内でゾンビ兵は使えない。既に他の帝国兵は別の車両に移ってしまった。ここで自分がこの奇妙な男を食い止めなければ、他の車両まで全滅だ。相手の実力を見るに、只の雑兵ではこの男に一撃を食らわせる事も無理だろう。ここでひとりで踏ん張るしかない。

ベロニカの決意が、剣に伝わり、剣戟の鋭さを増す。相手が身軽さを重視して防具らしいものを着付けていない事も、ベロニカにとっては幸いであった。感情の暴走と戦闘における冷静の狭間で、ベロニカの剣は確実に相手の身体を切り裂く。しかし死合いは一方的なベロニカの圧勝とは行かない様だ。少しでも隙を作ったら、相手の双剣がベロニカの甲冑に包まれていない軍服部分を切り込みに掛かる。赤みを帯びたベロニカの軍服の所々は、ベロニカの切られた傷口から溢れ出す血液で尚のこと紅く染まっている。

互いに少し距離を置き、息を整える。お互い身はぼろぼろ、動けないとまではいかないまでもそれ相応のダメージを食らっている。
その時。がたん、と列車が再び動き出した。ベロニカは無意識の内に機関室の方向を見た。

「誰だ!誰が列車を動かした!」

ベロニカのその叫びを見透かしたかの様な浮ついた声が、ベロニカの鼓膜に響いた。

「てめーらが列車止める事くらい想定内だっつうの。こちとらその為に汽車動かせる奴を潜り込ませてもらってんだ。

ほれ、どした。早くしねーと渓谷に入っちまうぞ?そしたらてめーら帝国軍にゃ手ぇ出せなくなるな」

紅い唇が、クイと歪んでベロニカの焦燥を嘲った。

 

 

 

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最終更新:2014年09月20日 11:54