針葉樹林に積もり積もった白く分厚い雪を掻き分けて、とある一軍が白い息を吐きながら行軍している。彼についてきた内何人かは、彼等の元同僚の手によって、また寒さの内に倒れていった。この惨めな敗北者達の行軍の先頭に立つ男の瞳は、悔しさと無念でぼうと燃えていた。
「マーヴェラス様、もう持ちません!一旦休息にしましょう!」
「馬鹿を言うな!ここで立ち止まる様では帝国の軟弱なゾンビ兵にすら勝てんぞ!進行あるのみ!」
とは言え、マーヴェラスと呼ばれたこの男にも、そろそろ部下達の疲弊が手に取る様に判っていた。行軍は次第にばらけ、針葉樹の森に置き去りにされた者も少なくない様だ。彼は奥歯をぎりと噛みしめ、一旦休息を意味するサインを出した。
マーヴェラスははめられたのだ。どこからともなくやって来た、双子のまだ少年とも言えそうな摩訶不思議な兄弟に。
もしマーヴェラスに、彼よりは幾分頭の切れる腹心の弟が傍に居たのなら、話は違っていたかもしれない。だが弟ジーザスは数ヶ月前に教徒を集める為に結社を出て以降、連絡がとれなくなっていた。
孤軍奮闘で、それでも結社・・・彼が立ち上げた、帝国の死霊術主義に対抗する為の「不死者解放結社」を仕切っていた彼だが、帝国の力や、そもそも彼等の働きを若干邪魔に思って居た雪国の政府の活動妨害は凄まじいものがあり、マーヴェラス達結社はまるでゲリラ戦の様な戦いを強いられていた。そこにある一人の構成員が、あの双子を連れてきたのだ。親も居ない、身よりもない、雪原で凄惨な場面を目の当たりにして立ち竦んでいた双子を哀れに思って連れてきたのだ。それが何よりの間違いだった。
ゲリラ戦に不慣れな結社の中で、双子はめきめきと頭角を現した。挙げた武勲は数知れず、どういった手を使ったのかは知らないが、帝国の駐留地にまで赴いてたったふたりだけでそれを壊滅させた手柄もある。長年の人員不足、入ってくるのは弟ジーザスの美貌にまやかされて入信した女性ばかりで戦闘員は手薄だった結社の実情を鑑みるに、この謎の双子が謎のまま地位を上げてゆくのに二ヶ月と掛からなかった。誰も知らない内に、誰も彼等の身辺に気付かない内に、双子はアンタッチャブルな地位にまで駆け上がった。双子を支持する者も結社内には出て来て、双子を表立って非難できない空気も出来上がった。
そしてその二ヶ月で、マーヴェラスは不可解な現象に悩まされる事となった。マーヴェラスを支持してくれていた部下達が、次々と謎の失踪や戦場での死を遂げてゆくのだ。
初めのうちはどうしたものかと頭を悩ますだけで済んでいたのだ。こういう時弟なら、と四方八方手を伸ばして弟に帰還を促す様手配しても弟は見つからない。マーヴェラスひとりで抱え込むしかなかった。
そうして一週間前の晩である。マーヴェラスは見たりと確信を得てしまった。
それは或るなんでもない晩の事であった。マーヴェラスが自ら買って出て(結社トップとは言え机にふんぞり返っているだけでは気の済まない彼である、下っ端が行う仕事も彼は進んでやっていた)引き受けた夜間の結社内巡回の夜。
廊下の向こう、僅かに開いた扉から、部屋の灯りが煌々と漏れている。こんな時間に面妖な。マーヴェラスは不審に思い、足音を殺して部屋へと近づき、物音を立てない様に部屋の中を覗き込んだ。
それはそれは、凄惨な光景であった。マーヴェラスを最も慕ってくれていた結社の幹部が、二匹の動物・・・否、過去に帝国内を恐怖の渦に落とし込んだあの「キメラ」に食い殺されている現場であった。思わず叫んで部屋に飛び込みそうになったが、マーヴェラスは何とか堪えた。何せ普通のキメラではない。動物然とした姿ではなく、白梟の翼に絡み合う蛇の脚、そして何より奇妙なのは、申し訳程度に羽織っている軍服のはだけた胸から見える胴体と羽毛の散見される顔が、人間のそれだった事。人間に近いこんなキメラ、彼は見た事も聞いたこともなかった。彼が混乱する思考の中辿り着いたのは、つまりはこういう事だった。
(帝国がキメラをゾンビ化させて兵に仕立て上げようとしている情報は掴んでいたが・・・もしや彼奴等、人間とキメラを合成させていたと言うのか!?)
狼狽して声も出せないマーヴェラスの脳内で、一々最近の摩訶不思議な出来事がひとつずつパズルのピースの様に組み合わさってゆく。行方不明の部下、戦場で謎の死を遂げる部下、突然現れた双子、そして今目の前で行われている捕食行為。
(私の結社の恐ろしさを目の当たりにした帝国が、新型ゾンビキメラを送り込んできおったかーッ!!)
しかしマーヴェラスはここで見なかった振りをせざるを得なかった。何せ今彼は武器らしいものを何一つ持ち合わせていなかったし、ここで飛び込んだとしても火に油、結社を崩壊させる真似にしかならないと判断したからであった。私の愛する部下が、ああ、哀れにもゾンビキメラの犠牲になってしまった。今までも恐らくはこの双子のゾンビキメラが私の部下を殺して喰っていたのだろう。彼は英断せざるを得なかった。英雄的撤退である。部下をこれ以上危険にさらす訳にはいかない。情報を、証拠を集め、双子についた結社の者達の目を覚まし、そして結社一同一丸となってこの双子を追い出すか殺すかするしかない。涙を呑んでマーヴェラスは、また来た廊下を戻って行った。済まない、同志よ。私がいつか、その禍々しいゾンビキメラに引導を渡してやるからな。
そして一週間の間、双子をつけ回すと、一見大した事のない様に見えた事象が大きな証拠となって立ち上がってきた。双子の身辺はそもそもの結社入りの段階から全く怪しいものだったのだ。
雪国政府が、死霊術の為の秘宝を手に入れようとしている。それは雪国のとある駅の近辺にある雪原にて取引される、との情報を掴んだ一兵卒が、我が雪国に死霊術を蔓延させてなるものかと妨害に行った時の事である。兵卒が現場に到着した際見たのは、無残に動物の様なものに食い殺された跡のついた帝国兵士の死骸と、それから少し離れた場所に踞っている双子の姿であった。
『君達、無事か!怪我はないか!何が起こったんだ、ここで!』
矢継ぎ早に問われた双子は少し怯えた様子だったが、髪を額の真ん中あたりで分けている方がおずおずと証言した。
『俺達、ここで遊んでて・・・そしたらこのおじさんが、この、鞄持って、・・・そしたら、別の兵隊さんが、何か怖い化け物みたいなの連れて出て来て、化け物、おじさん殺して・・・鞄の中身持って、どっか行っちゃった』
『鞄の中身!?・・・畜生、本当だ、あれがない!・・・いや、何でもないんだ、今見た事は忘れてお家に帰るんだ。いいね。おじさんが家まで送ってあげよう、坊や達、お家は?』
証言した子供の腕に縋り付いて、隠れる様に結社の兵卒の顔を見上げていた子供が、口を開く。
『おうち・・・ない』
孤児か。見てみれば着ている服も裾がぼろぼろでどろどろ、白い髪はぼさぼさで煤けている。惨めな見た目のこの双子に、兵卒はころりと騙された。優しい目をして兵卒は双子の視線に合わせる様に身を屈め、頭を撫でてやると兵卒はこう言った。
『仕方ない、おじさんの所においで。少なくとも喰うには困らないだろう』
そうして双子は結社に連れて来られ、瞬く間に地位を築き、力に依って結社の半分をかすめ取ったのだ。
禍々しい帝国の造り上げた新型のゾンビキメラ。マーヴェラスは部下を引き連れ、執務机に着く双子の兄メタトロンと、机に座ってこちらをじっと見て居る弟サンダルフォンの顔を睨み付けた。
『双子よ!今日こそお前達に話がある!自分達でも判って・・・』
『・・・マーヴェラス。たった今入電が入った』
ひらと白い指先でメモを弄んでいたメタトロンが、マーヴェラスの言葉を遮る様に口を開いた。
『今はそんな悠長な話をしている暇はない!この呪われた・・・』
『お前さんの弟がいつの間にやら死んでゾンビになっておるそうじゃ。
救済しに行かんでよいのか?』
くすくすと笑いながら、サンダルフォンは衝撃の言葉を放った。マーヴェラスの口を塞ぐには充分であった。
『・・・な、な・・・、な、何だとーッ!我が弟が、ぞ、ぞぞぞ、ゾンビに!?
これはいかーんッ!!皆の衆、行くぞ!』
『ちょっ、ちょっと待って下さいマーヴェラス様!今日の目的は・・・』
『あのジーザスがゾンビになっているのだぞ!直ぐに救済しないでいつするのだ!』
どたばたばたん。双子の執務室から、マーヴェラス一行の姿が消えた。しいんと静まりかえる執務室。
今思えば本当に双子が弟ジーザスの末路を知っていたかどうかも怪しいものだ。しかしマーヴェラスは生来の直感気質で動いて、一番大事な時に結社の席を空けてしまった。その間に双子が様々な画策でマーヴェラスの地位を崩し、居場所を潰すには余裕すらある時間を与えてしまったのだ。帰って来たマーヴェラスを迎えたのは、すっかり双子の手中に取り込まれた嘗ての部下達と、冷たい視線と待遇。そして双子の勅令として出された、結社・・・否、新しい組織「チャーチ」を裏切って双子を抹殺せんとしているとされたマーヴェラスの追放処分。追放即ち死、マーヴェラスについていった部下もろとも彼等を処分せよとの双子の命に「チャーチ」の兵隊が動いた。最早マーヴェラス達「旧結社」は、謀反者として追われる身となった。
そして雪深い森の中、マーヴェラス達は追っ手を振り切る様に進軍を続けていた。
その虚しい行軍から少し離れた先、吹雪も止んだ静かな森の中、とぼとぼと肩を落とし歩く少年が居た。