その男は、夜も更け始めた午後八時、悠長に彼女の邸宅で、紅茶を嗜んでいた。
男と彼女の間に恋愛的なものはない。あるとすれば、互いの脳味噌に対する大変深い、人知を越えた興味だけである。
男の隣の席には、貴族然としたフード付きのマントを、身分を隠す様にすっぽり被った男。暗い街中では判らなかっただろうが、マントの男の頬は腐った様に皮膚が剥がれ垂れ下がっている。
「ったくー、帰ってきてんなら連絡くらい寄越してくれりゃあいいのにさー」
「だって連絡したってしなくたって関係ないじゃん。面倒は嫌いでね」
男の着く席の向かいに立って居る女性は、歳からは考えられない程無邪気な、明るい笑みを浮かべて男の来訪を喜んでいた。また面白いものを見せにきてくれた。そう思うと、胸躍る思いであった。
「今回も色んな所で紅茶を飲んできたけど・・・相変わらず帝国の紅茶ってのは味気ないねぇ」
紅茶のカップを傾ける男の席は、車椅子。片足のないその男は、傍らのゾンビの男の手に介助を受けながら大陸全土、否、時には大陸外にも出向いて流離う科学者。
「でー?久しぶりにあんたが顔出したって事は、うちの実験室使いたいからなんでしょー、どーせ。
見せて見せてよー、今度は何すんのよー」
「判った判った。ディーナが初めてだよ、僕と兄さん以外にこのノートに目を通すやつは」
「ふーん・・・ゾンビキメラ研究ねぇー。私的にはどーしても好きになれないなー」
「だーから僕が万人に愛される強いゾンビキメラを作るんじゃないか。君も科学者失格だよ、好き嫌いで実験の視野を狭めるのは。
もっと強く、もっと美しく、暴走のリスクを低下させ、コントロールしやすいゾンビキメラ。素敵じゃない?」
「好きな事だけやって突き詰めるのが面白いんじゃーん。あんたとはタイプが違うのよー」
「あれま、勘違いしないでくれよ。僕は兄さんをもっと完璧にしたいだけなんだからさぁ。色んな事に手は出すけど、あくまで目標は一つなんだから」
「でもねぇ・・・」
「何さ」
「こんだけ大がかりな実験、こりゃ軍の実験室じゃないと無理無理。うちの研究室じゃあねー」
「察しが悪いねぇ。だからディーナのとこ来たんじゃん」
「えー、ほんとにー?出来ないこたァないけど面倒だなぁ忍び込むのー。特にあんた車椅子だしー。
ま、いっかー。私も色々この推論から試したい事もあるしねー。この理論、使わせてもーらおっと」
「おや、人っ子ひとり居ないとは。相変わらず帝国軍は肝心要なとこが抜けてるね、ほんと」
「うだうだ言ってる暇があったらちゃっちゃと始めようじゃないのよー。時間だって限られてるんだしさぁ」
そうして実験用ポッドに入れられた、二匹の見目形そっくりな人間と白梟と蛇の合成獣(ゾンビキメラ)、そしてもうひとつのポッドには、これもまた人間と狼と鷲のゾンビキメラ。男はうっとりしながら三匹を見て居る。
「Oh lala、帝国軍の精鋭研究員が永いこと苦労してた人混合のゾンビキメラが、まさかこんな簡単に作れちゃうなんて。さっすが僕だ、Tres bienだよほんと」
「元在った素体を拝借しておいて威張らないのー。これだけ作るのに何人研究員が死んだと思ってんのー?
あーあーとりあえず悦に入る気持ちも分かるけどー。とりあえず実地試験じゃん?」
ディーナの手が、ポッドの培養液排出ボタンを押す。ごぼごぼと抜けていく培養液、ぺたんとポッドの底面に力なく倒れ込む三匹のゾンビキメラ。
「さ、動いておくれ、被検体ちゃん」
その瞬間、ダン、と、翼の手がポッドの内側を叩いた。
『出して・・・ここから出して』
「わお、すごーいじゃん。もう意志表示できるとはねー」
「ふふん、僕の天才的な頭脳と手腕さえありゃあお手の物さ」
「でもさぁー・・・」
『出して!出してよ!こっから出して!』
ダン、ダン、ダン。ポッドを叩く翼が力を増してゆく。彼等の背後のポッドからは、狼のうなり声。
「・・・この子等、あんたや私に従うつもり、全くないんじゃなーい?」
「んだねぇ。魔術で何とかなんない?」
「あんた、魔術を便利な調整技術かなんかと勘違いしてなーい?魔術ってのはもっとこう、奥が深くってぇ・・・」
泣きながらポッドの内側を叩く白梟と蛇のゾンビキメラのポッドの隣には、全く同じ格好のゾンビキメラ。そちらは恨み深そうに男とディーナの顔を一心不乱に睨み付けており、狼と鷲のゾンビキメラも釣られてポッド内壁を頭突きで壊そうとしている。ダン、ダン、ドン、ドン。人間ふたりとゾンビ一匹、そして三匹のゾンビキメラ。
「なーんか興ざめしちゃった。もう壊しちゃおうか、この子ら。ディーナ、破壊装置のスイッチどこ?」
「えーっと、私も軍の研究所は不慣れだからなぁー・・・どこだっけ」
「え、わかんないの?」
「わかる訳ないじゃーん」
その刹那、ふたつのポッドがほぼ同時に音を立てて崩れた!それに呼応する様に、研究所内に響き渡る警報のけたたましいベルの音。
「・・・っはは、こいつは愉快だ。兄さん、足止めお願いするよ」
人間ふたりを取って食おうと襲って来た白梟のゾンビキメラの喉元を、マント翻したゾンビが掴んで床に叩きつける。それを見たもう一匹の白梟もポッドを一撃で壊して外に飛び出し、くねる蛇の脚でゾンビの身体を締め付ける。
「足止めはいいからこっち!」
「破壊装置は知らないのに、脱出経路は知ってんだ・・・」
「逃げ足だけは確保しとかないとねー。軍に見つかると色々面倒なのよー、私の場合」
「さっすがディーナだ。兄さん、行くよ」
ゾンビは襲ってくる三匹のゾンビキメラをなるべく遠くへ投げ飛ばすと、主人を抱えてディーナの脱出経路、トンネルへと潜り込んだ。交代する様に研究室に傾れ込んでくる警備兵と研究員。
「なっ・・・なんだこりゃあ!?実験台が逃げてる!」
「いいからぶっ潰せ!じゃなきゃ俺達が殺られるぞ!」
ゾンビキメラ達の目が、彼等を抹殺しようとする警備兵達の目を捉えた。
トンネルを脱出した先は、研究施設の敷地外の路地裏。ふたりと一匹のゾンビは無傷であった。
「でー・・・どうすんの、あれ」
「あーあーあーきこえなーい。後は優秀な帝国さんが何とかしてくれるでしょ」
「そう言うなら私もしーらないっとー」
「んじゃ帰ろっか。あーしかし寒い。ディーナ、帰ったらなんか暖かいスープでも出してくんない?」
「あーんたって奴ぁ・・・」
そして帝国ゾンビキメラ研究所内は、至る所が血に塗れていた。全てゾンビキメラ三匹が侵した破壊行為の残骸であった。白梟二匹と狼は途中ではぐれてしまった。返り血を浴びた白梟二匹は、いつの間にか研究所を出て、帝国市街地を取り囲む荒れ地のど真ん中、一本の頼りないひょろ長い大木の幹にもたれ掛かってぜえぜえと嘆息を漏らしていた。
「・・・これからどうしよう、ねえトロン、やっぱおうち帰ろうよ・・・」
「馬鹿言うなよ、あれだけ派手にやっちまったんだ。もう帰れるわけねーだろ。帰った所で殺処分だぞ」
「謝ればなんとか・・・ならないかぁ・・・」
素体に人間を混ぜて作られた禍々しい白梟のゾンビキメラ二匹・・・双子のゾンビキメラは、肋骨が見て取れる胸と鱗に塗れた胴を隠す様に、脱出の際拝借した兵士の軍服を着ていた。双子には形態変化能力があるらしく、その姿はポッド内の獣然とした肢体とは違い、人間の手足、そして顔。ただ異様なのは、真っ白な銀髪に、蛇の様に煌々と光る黄色いトパーズの瞳。
「兎に角、こっから逃げよう。あそこの近くに居たんじゃ、俺達いつか捕まって殺処分になる。サナだってもうあんな狭くて痛いとこヤだろ!」
「そりゃあ、そうだけど・・・でも僕達どこに行けばいいの?」
トロンと呼ばれた相方は黙りこくってしまった。勢いに任せて逃げてきたはいいものの、トロンにだって何処にいけばいいのか判らなかった。
「・・・。とりあえず、街に行こう」
「そんなとこ行ったら捕まっちゃうよ!」
「人間に化けてればだいじょぶだって。で、色々見て回ればなんか判るさ。どうにかなる」
「大丈夫かなぁ・・・」
「大丈夫だって。どうにかなるさ」
そうして双子、とぼとぼと人間の見目形を保ったまま、遠く見える帝国の街の灯りを目指し始めた。