■長部経典 第21経 「 帝釈天問経 」


★部分訳

第二章


14  世尊から機会を与えられた神々の主サッカは、世尊につぎのような第一の質問をした。
 「わが師よ、天・人・阿修羅・龍・ガンダッパ、あるいはまたその他に種々の身のものたちがおります。かれらはいったいどのような縛りがあって、『怨みがなく、棒がなく、敵がなく、害意がなく、怨みのない者として住みたい』と思いながら、一方では怨みがあり、棒があり、敵があり、害意があり、怨みのある者として住んでいるのでしょうか」と。
 このように神々の主サッカは、世尊に質問した。
 「神々の主よ、天・人・阿修羅・龍・ガンダッパ、あるいはまたその他に種々の身のものたちがいます。かれらは嫉妬・吝嗇の縛りがあって、『怨みがなく、棒がなく、敵がなく、害意がなく、怨みのない者として住みたい』と思いながら、一方では怨みがあり、棒があり、敵があり、害意があり、怨みのある者として住んでいます」と。
 質問された世尊は、このように、神々の主サッカに答えて言われた。
 神々の主サッカは心に適い、世尊が説かれたことに歓喜し、喜びを示した。
 「仰しゃるとおりです、世尊よ。仰しゃるとおりです、善逝よ。世尊のご解答をお聞きし、私はこれについてもはや疑いがなく、迷いも消えました」と。

15  このように、神々の主サッカは世尊が説かれたことに歓喜し、喜びを示した。そしてさらに、世尊に質問した。
 「わが師よ、それでは、嫉妬・吝嗇は何を因縁とし、何を生起とし、何を発生とし、何を根源とするのでしょうか。何があれば、嫉妬・吝嗇は生じるのでしょうか。何がなければ、嫉妬・吝嗇は生じないのでしょうか」と。
 「神々の主よ、嫉妬・吝嗇は愛憎を因縁とし、愛憎を生起とし、愛憎を発生とし、愛憎を根源とします。愛憎があれば、嫉妬・吝嗇は生じます。愛憎がなければ、嫉妬・吝嗇は生じません」
 「わが師よ、それでは、愛憎は何を因縁とし、何を生起とし、何を発生とし、何を根源とするのでしょうか。何があれば、愛憎は生じるのでしょうか。何がなければ、愛憎は生じないのでしょうか」と。
 「神々の主よ、愛憎は欲を因縁とし、欲を生起とし、欲を発生とし、欲を根源とします。欲があれば、愛憎は生じます。欲がなければ、愛憎は生じません」
 「わが師よ、それでは、欲は何を因縁とし、何を生起とし、何を発生とし、何を根源とするのでしょうか。何があれば、欲は生じるのでしょうか。何がなければ、欲は生じないのでしょうか」と。
 「神々の主よ、欲は大まかな考察を因縁とし、大まかな考察を生起とし、大まかな考察を発生とし、大まかな考察を根源とします。大まかな考察があれば、欲は生じます。大まかな考察がなければ、欲は生じません」
 「わが師よ、それでは、大まかな考察は何を因縁とし、何を生起とし、何を発生とし、何を根源とするのでしょうか。何があれば、大まかな考察は生じるのでしょうか。何がなければ、大まかな考察は生じないのでしょうか」と。
 「神々の主よ、大まかな考察は妄執想の部分を因縁とし、妄執想の部分を生起とし、妄執想の部分を発生とし、妄執想の部分を根源とします。妄執想の部分があれば、大まかな考察は生じます。妄執想の部分がなければ、大まかな考察は生じません」
 「わが師よ、それでは、比丘はどのようにして、妄執想の部分の滅尽に到るふさわしい実践をしているのでしょうか」と。

受の業処

16  「神々の主よ、私は喜びを二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説きます。
 神々の主よ、また私は憂いを二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説きます。
 神々の主よ、また私は平静を二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説きます。

17  神々の主よ、『私は喜びを二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説く』ということか言われました。しかし、これは何によって言われるのでしょうか。
 そのうち、〈 私がこの喜びに従う場合、もろもろの不善の法は増大し、もろもろの善の法は減退する 〉と知るような喜びであれば、そのような喜びには従うべきではありません。
 そのうち、〈 私がこの喜びに従う場合、もろもろの不善の法は減退し、もろもろの善の法は増大する 〉と知るような喜びであれば、そのような喜びには従うべきです。
そのうち、大まかな考察のある、細かな考察のあるものがある場合、大まかな考察のない、細かな考察のないものがある場合、大まかな考察のない、細かな考察のないもろもろのものが勝れています。
 神々の主よ、『私は喜びを二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説く』ということか言われましたが、それはこのことによって言われているのです。

18  神々の主よ、『私は憂いを二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説く』ということか言われました。しかし、これは何によって言われるのでしょうか。
 そのうち、〈 私がこの憂いに従う場合、もろもろの不善の法は増大し、もろもろの善の法は減退する 〉と知るような憂いであれば、そのような憂いには従うべきではありません。
 そのうち、〈 私がこの憂いに従う場合、もろもろの不善の法は減退し、もろもろの善の法は増大する 〉と知るような憂いであれば、そのような憂いには従うべきです。
そのうち、大まかな考察のある、細かな考察のあるものがある場合、大まかな考察のない、細かな考察のないものがある場合、大まかな考察のない、細かな考察のないもろもろのものが勝れています。
 神々の主よ、『私は憂いを二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説く』ということか言われましたが、それはこのことによって言われているのです。

19  神々の主よ、『私は平静を二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説く』ということか言われました。しかし、これは何によって言われるのでしょうか。
 そのうち、〈 私がこの平静に従う場合、もろもろの不善の法は増大し、もろもろの善の法は減退する 〉と知るような平静であれば、そのような平静には従うべきではありません。
 そのうち、〈 私がこの平静に従う場合、もろもろの不善の法は減退し、もろもろの善の法は増大する 〉と知るような平静であれば、そのような平静には従うべきです。
そのうち、大まかな考察のある、細かな考察のあるものがある場合、大まかな考察のない、細かな考察のないものがある場合、大まかな考察のない、細かな考察のないもろもろのものが勝れています。
 神々の主よ、『私は平静を二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説く』ということか言われましたが、それはこのことによって言われているのです。

20  神々の主よ、このような実践をしている比丘は、妄執想の部分の滅尽に到るふさわしい実践をしていることになります」と。
 質問された世尊は、このように、神々の主サッカに答えて言われた。
 神々の主サッカは心に適い、世尊が説かれたことに歓喜し、喜びを示した。
 「仰しゃるとおりです、世尊よ。仰しゃるとおりです、善逝よ。世尊のご解答をお聞きし、私はこれについてもはや疑いがなく、迷いも消えました」と。

パーティモッカの防護

21  このように、神々の主サッカは世尊が説かれたことに歓喜し、喜びを示した。そしてさらに、世尊に質問した。
 「わが師よ、それでは、比丘がどのように実践すれば、パーティモッカの防護による実践をしていることになるのでしょうか」
 「神々の主よ、私は身による行為を二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説きます。
 神々の主よ、また私は語による行為を二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説きます。
 神々の主よ、また私は求めを二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説きます。
 神々の主よ、『私は身による行為を二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説く』ということか言われました。しかし、これは何によって言われるのでしょうか。
 そのうち、〈 私がこの身による行為に従う場合、もろもろの不善の法は増大し、もろもろの善の法は減退する 〉と知るような身による行為であれば、そのような身による行為には従うべきではありません。
 そのうち、〈 私がこの身による行為に従う場合、もろもろの不善の法は減退し、もろもろの善の法は増大する 〉と知るような身による行為であれば、そのような身による行為には従うべきです。
そのうち、大まかな考察のある、細かな考察のあるものがある場合、大まかな考察のない、細かな考察のないものがある場合、大まかな考察のない、細かな考察のないもろもろのものが勝れています。
 神々の主よ、『私は身による行為を二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説く』ということか言われましたが、それはこのことによって言われているのです。
 神々の主よ、『私は語による行為を二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説く』ということか言われました。しかし、これは何によって言われるのでしょうか。
 そのうち、〈 私がこの語による行為に従う場合、もろもろの不善の法は増大し、もろもろの善の法は減退する 〉と知るような語による行為であれば、そのような語による行為には従うべきではありません。
 そのうち、〈 私がこの語による行為に従う場合、もろもろの不善の法は減退し、もろもろの善の法は増大する 〉と知るような語による行為であれば、そのような語による行為には従うべきです。
そのうち、大まかな考察のある、細かな考察のあるものがある場合、大まかな考察のない、細かな考察のないものがある場合、大まかな考察のない、細かな考察のないもろもろのものが勝れています。
 神々の主よ、『私は語による行為を二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説く』ということか言われましたが、それはこのことによって言われているのです。

 神々の主よ、『私は求めを二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説く』ということか言われました。しかし、これは何によって言われるのでしょうか。
 そのうち、〈 私がこの求めに従う場合、もろもろの不善の法は増大し、もろもろの善の法は減退する 〉と知るような求めであれば、そのような求めには従うべきではありません。
 そのうち、〈 私がこの求めに従う場合、もろもろの不善の法は減退し、もろもろの善の法は増大する 〉と知るような求めであれば、そのような求めには従うべきです。
そのうち、大まかな考察のある、細かな考察のあるものがある場合、大まかな考察のない、細かな考察のないものがある場合、大まかな考察のない、細かな考察のないもろもろのものが勝れています。
 神々の主よ、『私は求めを二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説く』ということか言われましたが、それはこのことによって言われているのです。
 神々の主よ、このような実践をしている比丘は、パーティモッカの防護による実践をしていることになります」と。
 質問された世尊は、このように、神々の主サッカに答えて言われた。
 神々の主サッカは心に適い、世尊が説かれたことに歓喜し、喜びを示した。
 「仰しゃるとおりです、世尊よ。仰しゃるとおりです、善逝よ。世尊のご解答をお聞きし、私はこれについてもはや疑いがなく、迷いも消えました」と。

感官の防護

22  このように、神々の主サッカは世尊が説かれたことに歓喜し、喜びを示した。そしてさらに、世尊に質問した。
 「わが師よ、それでは、比丘がどのように実践すれば、感官の防護による実践をしていることになるのでしょうか」
 「神々の主よ、私は眼によって識られる色を二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説きます。
 神々の主よ、また私は耳によって識られる声を二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説きます。
 神々の主よ、また私は鼻によって識られる香を二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説きます。
 神々の主よ、また私は舌によって識られる味を二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説きます。
 神々の主よ、また私は身によって識られる触れられるものを二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説きます。
 神々の主よ、また私は意によって識られる法を二種にして、すなわち、従うべきものとしても、従うべきでないものとしても説きます」と。
 このように言われたとき、神々の主サッカは世尊につぎのように申し上げた。
 「尊師よ、世尊は簡略にお説きくださいましたが、私はその意味を詳細にしてつぎのように理解いたします。
 尊師よ、眼によって識られる色に従う場合、もろもろの不善の法が増大し、もろもろの善の法が減退するならば、そのような眼によって識られる色には従うべきではありません。 
 尊師よ、眼によって識られる色に従う場合、もろもろの不善の法が減退し、もろもろの善の法が増大するならば、そのような眼によって識られる色には従うべきです。
 尊師よ、耳によって識られる声に従う場合、もろもろの不善の法が増大し、もろもろの善の法が減退するならば、そのような耳によって識られる声には従うべきではありません。 
 尊師よ、耳によって識られる声に従う場合、もろもろの不善の法が減退し、もろもろの善の法が増大するならば、そのような耳によって識られる声には従うべきです。
 尊師よ、鼻によって識られる香に従う場合、もろもろの不善の法が増大し、もろもろの善の法が減退するならば、そのような鼻によって識られる香には従うべきではありません。 
 尊師よ、鼻によって識られる香に従う場合、もろもろの不善の法が減退し、もろもろの善の法が増大するならば、そのような鼻によって識られる香には従うべきです。
 尊師よ、舌によって識られる味に従う場合、もろもろの不善の法が増大し、もろもろの善の法が減退するならば、そのような舌によって識られる味には従うべきではありません。 
 尊師よ、舌によって識られる味に従う場合、もろもろの不善の法が減退し、もろもろの善の法が増大するならば、そのような舌によって識られる味には従うべきです。
 尊師よ、身によって識られる触れられるものに従う場合、もろもろの不善の法が増大し、もろもろの善の法が減退するならば、そのような身によって触れられるものには従うべきではありません。 
 尊師よ、身によって識られる触れられるものに従う場合、もろもろの不善の法が減退し、もろもろの善の法が増大するならば、そのような身によって識られる触れられるものには従うべきです。
 尊師よ、意によって識られる法に従う場合、もろもろの不善の法が増大し、もろもろの善の法が減退するならば、そのような意によって識られる法には従うべきではありません。 
 尊師よ、意によって識られる法に従う場合、もろもろの不善の法が減退し、もろもろの善の法が増大するならば、そのような意によって識られる法には従うべきです。
 尊師よ、世尊のご解答をお聞きし、世尊が簡略にお説きくださいましたことの意味をこのように詳細に理解いたします私には、これについてもはや疑いがなく、迷いも消えました」と。

23  このように、神々の主サッカは世尊が説かれたことに歓喜し、喜びを示した。そしてさらに、世尊に質問した。
 「わが師よ、沙門・バラモンは誰もすべて、唯一の説、唯一の戒、唯一の欲求、唯一の意趣をそなえているのでしょうか」
 「神々の主よ、沙門・バラモンが誰もすべて、唯一の説、唯一の戒、唯一の欲求、唯一の意趣をそなえているのではありません」
 「わが師よ、それではなぜ、沙門・バラモンは誰もすべて、唯一の説、唯一の戒、唯一の欲求、唯一の意趣をそなえていないのでしょうか」
 「神々の主よ、世界は種々の要素のもの、様々な要素のものです。その種々の要素、様々な要素の世界において、もろもろの生けるものは、執着する要素についてのみ、強く、取り、執着して言います。『これのみが真実であり、他は虚妄である』と。
 それゆえ、沙門・バラモンが誰もすべて、唯一の説、唯一の戒、唯一の欲求、唯一の意趣をそなえているのではないのです」
 「わが師よ、沙門・バラモンは誰もすべて、究極の目的、究極の無碍安穏、究極の梵行、究極の終結がある者でしょうか」
 「神々の主よ、沙門・バラモンは誰もすべて、究極の目的、究極の無碍安穏、究極の梵行、究極の終結がある者ではありません」

 「わが師よ、それではなぜ、沙門・バラモンは誰もすべて、究極の目的、究極の無碍安穏、究極の梵行、究極の終結がある者ではないのでしょうか」
 「神々の主よ、渇愛の滅尽により解脱している比丘たちこそ、究極の目的、究極の無碍安穏、究極の梵行、究極の終結がある者です。それゆえ、沙門・バラモンは誰もすべて、究極の目的、究極の無碍安穏、究極の梵行、究極の終結がある者ではないのです」と。

 このように、質問された世尊は、神々の主サッカに答えて言われた。
 神々の主サッカは心に適い、世尊が説かれたことに歓喜し、喜びを示した。
 「仰しゃるとおりです、世尊よ。仰しゃるとおりです、善逝よ。世尊のご解答をお聞きし、私はこれについてもはや疑いがなく、迷いも消えました」と。
 このように、神々の主サッカは世尊が説かれたことに歓喜し、喜びを示した。そして、世尊につぎのように言った。
 「尊師よ、貪愛は病いです。貪愛は矢です。貪愛はこの人をそれぞれの生存の完成から引き抜いてしまいます。それゆえ、この人は上下に達します。
 尊師よ、私は、これより外に、他の沙門・バラモンの中で、もろもろの質問の機会を得ることができませんでした。しかし、世尊はそれらについて、私に解答してくださいました。しかもまた、私には長い間、私の疑惑の矢が潜んでおりました。しかしそれも、世尊によって、引き抜かれました」と。


〈 部分訳は、ここまで 〉


最終更新:2013年11月08日 08:46