■相応部経典 因縁篇 12.53 結縛




〈 和 訳 〉

  比丘たちよ、結縛の法に対して味観 ( 感覚的な喜びとして観察すること ) に住する者には、愛は増長する。
  愛によって取が、取によって有が、有によって生が、生によって老い・死・憂い・悲しみ・悩み・失望が生じる。
  この苦しみの集まりの生起は、このようなものである。

  比丘たちよ、喩えば、油と燈心によって燈火が燃えるようになるのだが、
  その時、ある人が時々油を注ぎ、燈心を補充するとしよう。
  比丘たちよ、このようにして、その燈火は、それを燃料として、それを材料とする時、長時間にわたり燃えることができる。
  比丘たちよ、このようにして、結縛の法に対して味観に住する者には、愛は生じる。
  愛によって取が、取によって有が、有によって生が、生によって老い・死・憂い・悲しみ・悩み・失望が生じる。
  この苦しみの集まりの生起は、このようなものである。


  比丘たちよ、結縛の法に対して患観 ( 患い・病疾として観察すること ) に住する者には、愛は滅尽する。
  愛によって取が、取によって有が、有によって生が、生によって老い・死・憂い・悲しみ・悩み・失望が滅する。
  この苦しみの集まりの滅尽は、このようなものである。      

  比丘たちよ、喩えば、油と燈心によって燈火が燃えるようになるのだが、
  その時、ある人が時々油を注がず、燈心を補充しないとしよう。
  比丘たちよ、このようにして、その燈火は、前の燃料が無くなることから、
  そして他から供給するものが無かったり、それを材料とするものが無くなって、燃える尽きてしまう。
  比丘たちよ、このようにして、結縛の法に対して患観に住する者には、愛は滅尽する。
  愛によって取が、取によって有が、有によって生が、生によって老い・死・憂い・悲しみ・悩み・失望が滅する。
  この苦しみの集まりの滅尽は、このようなものである。  


〈 和 訳・おわり 〉




● 解 説


この経典は、












〈 編集中 〉


最終更新:2013年11月29日 19:41