2009年疑惑のロスワールド後、バンクーバー前の記事〜朝日新聞GLOBE『「跳ばない」演技が見を結んだとき、新しい自分への自信が生まれた。』

2009年、あの疑惑のロスワールドでの3位。バンクーバーまで約半年に迫った時期のインタビュー記事

 

朝日新聞 「GLOBE] Break-through
安藤美姫「跳ばない」演技が見を結んだとき、新しい自分への自信が生まれた。

文:原島由美子 写真:大橋仁
http://globe.asahi.com/breakthrough/090803/01_01.html

スピードに乗る。しなる体。時に強く、時になまめかしく。すーっと伸びた指の先まで、集中力が宿る。
今年3月、ロサンゼルスの世界選手権。4回転ジャンプも3回転の連続技もあえて封印した演技で、安藤美姫は3位に入った。
表彰台に上がる。首に下がる銅メダルに、初優勝した07年の東京大会と同じ輝きはない。だが「今回の方が意味がある」。晴れやかな笑みを見せた。新しい「安藤美姫」がそこにいた。
「天下一品」
コーチの門奈裕子は、安藤の4回転サルコーをそう評する。
踏み切るのは、幅約4mmのブレードだ。摩擦ゼロの氷面に、約160kgの力がかかる。
平均秒速3.3m、ほぼ垂直の角度で空中へ。約50cmの高さで4回、宙を舞う。
その間、約0.6秒。
世界トップ級の男子でも、競技会で4回転を跳べるのは20人いるかどうかだ。
女子唯一の4回転ジャンパー。それが安藤の代名詞だった。
初めて跳んだのは中学3年生のときだ。「遊び半分で練習していたら、できちゃった」。半年後にはジュニアの競技会でも成功させ、世界から注目される存在に躍り出た。
だが、安藤を苦しめたのもまた、4回転だった。
10代後半、身体の成長やけがで、思ったように跳べなくなった。他の武器がないだけに「不安でパニックになった」。
心身を自在にコントロールできない彼女を、次はメディアが襲う。「ミキティ」などと祭り上げられ、家の前には連日、週刊誌やテレビのカメラマンが張りついた。
05年、新天地を求めて渡米した。だが、それも裏目に出る。日本では1日30本跳んでいたが、ほめて育てるタイプの米国人コーチは「ミキは、そんなに練習しなくても大丈夫」。調整が遅れ、体もしぼれず、ジャンプの軸はずれていった。
トリノ五輪の代表3枠には、なんとか滑り込んだ。だが狂った歯車は戻らない。本番の自由演技で4回転に挑んだが失敗。総合15位に沈んだ。

群がっていたメディアは、波が引くように消えた。帰国後、家には期待はずれの結果を批判する手紙も届いた。人間不信になりかけた。

支えてくれたのは、家族や「4回転に挑んでくれてありがとう」と言ってくれたファン。そしてトリノで金メダルに輝いた先輩、荒川静香の言葉だった。
「最初の五輪は余裕がなく『夢』のままで終わってしまう。でも、多くを学んだ4年後の五輪は、戦い方も楽しみ方もわかるよ」
もう一度やってみよう。門奈の下へ戻ったとき、ジャンプは1回転しか跳べなくなっていた。 毎朝6時から1時間半、名古屋市内のリンクで、踏み切るタイミングや軸の修正に取り組んだ。
ニコライ・モロゾフと出会ったのは、そんなときだった。
ベラルーシ出身の元アイスダンス五輪選手。引退後、米国で振付師兼コーチとなり、荒川をはじめ数々のメダリストを育てていた。門奈にジャンプを見てもらいつつ、彼のもとで苦手なステップや表現力を磨くことにしたのだ。
互いに日米を行き来した。モロゾフは自ら手本を演じてみせる。長い手足に豊かな表情、巧みなエッジさばき。彼のように滑りたい――。

でも、簡単にはいかない。「何だ、その棒のような腕は。関節は何のためにある?」「限界までやれ」。自分に対するふがいなさに、筋肉痛。氷上で何度も泣いた。

もともと感情や気分のムラが激しい。ずっと「短所だ」と指摘されてきた。だがモロゾフは違った。
「気持ちを素直に出せるのは長所。演技に生かさない手はない」
2季目以降は安藤に、男性を惑わすカルメンや中東の美女といった妖艶なプログラムを与えた。
「君には、大人の女性らしいスケートがふさわしい。ジャンプ力、芯の強さ、そして美を兼ね備えた80年代の金メダリスト、カタリナ・ヴィットを彷彿とさせるような、ね」
最初は恥ずかしがっていた安藤も、自分よりセクシーに踊る師を見て、素直に「うまい」。少しでも役に近づこうと、ミュージカルやバレエ、映画などを見て勉強した。
日本スケート連盟フィギュア強化部長の吉岡伸彦は、この間の安藤を「形だけのマネではなく、指先、視線まで意識して、気持ちの中から演技ができるようになった」と話す。
そして今年3月。
ショートプログラムを終えた時点で、安藤は4位につけていた。4回転ジャンプの練習での成功率は約6割と、調子は悪くない。日本のフィギュア関係者やメディアから「五輪に向け、大技をこなしておくべきだ」などと意見されてもいた。
だが、モロゾフは「今回のジャッジ(審判)はジャンプに厳しい。無理せず、100%の演技でメダルをとろう」と言ってきた。
迷った。4回転はともかく3回転連続ジャンプは入れたほうがいいのではないか。
自由演技の当日、朝の公式練習を終えると、更衣室に向かう廊下で不安を打ち明けた。
「帰国したら『何で跳ばなかった?』って批判されるかもしれない」
モロゾフの怒声が響いた。
「人の意見より、君の考えはどうなんだ?」
マッサージを受けながら、ここまでの道のりを思い起こした。「ニコライだけを信じよう。ちゃんと向き合おう」。様子を見に来た師に、安藤は穏やかな表情で伝えた。
「I believe you」
白いリンクの中央に一人立つ。曲はサン・サーンスの交響曲第3番。音楽以外、何も聞こえない。4分間の最後、オルガンの重厚な音が鳴り響く中、思いっきり上半身を反ってポーズを決めると、観客が拍手と共に立ち上がった。
表彰式後、審判の一人から「義務的な滑りではなく、どう見せたいかという姿勢が伝わってきたよ」と声をかけられた。8歳の時から安藤を知る愛知県スケート 連盟フィギュア委員長の久野千嘉子も「あそこまで喜怒哀楽の表情をつけられる日本人選手は、彼女だけ」とたたえた。
バンクーバー五輪は、約半年後。代表3枠は、年末の全日本選手権後に確定する。2度目の五輪になるならば、やはり4回転に挑みたい。前回のリベンジを果たしたいと思う。
「でも」と、安藤は言う。
「今の私は、フィギュアはジャンプだけじゃないこともわかっている」

安藤美姫(あんどう・みき)フィギュアスケート選手
1987年、愛知県生まれ。
8歳の時、浅田真央らがいたクラブでスケートを始める。2002年、競技会で女子初の4回転に成功。 03、04年、全日本選手権連覇。06年、トリノ冬季五輪に出場。同年、中京大体育学部に進学。同時にトヨタ自動車入社。07年、世界選手権(東京)で初 優勝したが、翌年はけがで途中棄権。09年、世界選手権(米)銅メダル。

 

最終更新:2013年12月01日 20:41