東スポ記事 「美姫訴訟ちらつかせゴリ押し復帰 テレ朝も暗躍」

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美姫訴訟ちらつかせゴリ押し復帰 テレ朝も暗躍
2013年09月28日 11時00分
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/188276/ 

http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/188276/2/

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フィギュアスケートのネーベルホルン杯(26日、ドイツ・オーベルストドルフ)で元世界女王の安藤美姫(25=新横浜プリンスクラブ)が約2年ぶ りに復帰。女子ショートプログラム(SP)ではほぼミスのない演技を見せ、59・79点で2位につけた。今回の“掟破り”の出場に関して本紙は国際スケー ト連盟(ISU)との蜜月関係があったことを報じたが、舞台裏ではさらなる“禁じ手”を使っていたという。安藤サイドの暴走はまだまだ続くのか。

 愛娘ひまわりちゃんの前で、美姫ママが「マイ・ウェイ」に合わせて氷上を舞った。3回転ルッツ―2回転トーループの連続ジャンプでは2つ目が回転 不足となったものの、単独の3回転ループ、ダブルアクセル(2回転半)は成功させた。技術点は30・13点。ISUが五輪出場の条件として定めたSPの最 低技術点20点を軽々と上回った。


安藤は「衣装を着てメークをしてリンクに立つと、どうなるかと思うぐらい緊張した。大きなミスなく終われたのはすごく良かった。ほっとした」と目に涙を浮かべた。


2011年10月の「ジャパン・オープン」を最後に休養し、今年4月に女児を出産。父親を明かさなかったことで大騒動に発展した。フィギュア界の話題を独り占めしたなかでの国際大会復帰。


ただ、日本スケート連盟による強化指定選手から外れていたため、本来なら国際大会出場には10月の関東選手権、11月の東日本選手権出場 と“手続き”を踏み強化指定を受けなければならなかった。無理筋を通せた裏にはISUとの蜜月関係があったことは本紙19日付紙面で報じたが、安藤サイド は他にも国際大会出場へ“禁じ手”を連発していたという。

サポートしたのはテレビ朝日。安藤の出産は本人がテレビ朝日系「報道ステーション」で明かしたように、安藤サイドと同局はもはや一心同体と化して いる。「安藤の出場を見込んでか、日本スケート連盟の知らぬところで早々にネーベルホルン杯の放映権を買っていた」(フィギュアスケート関係者)。放映権 者の強みに加え、大会の看板スポンサー権まで先に購入することでISUを懐柔。「ドイツ連盟からの招待」という形で出場をもぎ取ったのだという。


最後に残されたのが「日本スケート連盟の許可」という高いハードル。他の選手の手前、たとえ招待といえども通常の手続きを踏まない安藤 に、連盟側はそう簡単に首を縦に振れない。実は、安藤サイドはここで「訴訟」の2文字をちらつかせたという。「安藤側は“もし了承してくれなければ訴訟も 辞さない覚悟だ”と迫ったそうですよ。連盟側も、認めるしかなかったようです」(あるフィギュアコーチ)


安藤サイドがどういった形の裁判に持ち込むつもりだったかは不明だが、日本連盟とすれば選手から訴えられるとなるとイメージダウンこの上なく、今後の活動に支障が出る。安藤側は連盟を敵に回すことなど、全くいとわなかったようだ。


安藤は27日のフリーで36点を超えれば、ソチ五輪出場への第1関門を突破する。安藤は「五輪を考えると、フリーでも最低技術点をクリア できたら半歩でも一歩でも進めたことになる。頑張りたい」と意気込むが、復帰の過程を見る限り完全に開き直っているのは間違いない。暴走はまだまだ続きそ うだ。



 

最終更新:1970年01月01日 09:00