イングランド王国
モーロンの戦い
1352年8月に起こった一戦。
フランス軍の司令官ギーは、王にプロエルメル城の奪還を命じられた。
脅威を感じたイングランド軍は部隊を編成し、両軍はモーロン城近郊で対峙した。
ギーはクレシーの戦いから得た教訓を活かし、イングランド軍の長弓に対抗すべく全軍に下馬を命じたが、果たしてその結果は……?
クレシーの戦い
1346年8月26日に、フランス北部のクレシー=アン=ポンティユー近郊を舞台として行われた戦い。
イングランド軍の数倍の兵を有するフランス軍は、騎馬の布陣を敷き、半ば勝利を確信していた。
一方、数で圧倒的に劣るイングランド軍ではあったが、練度の高い軽装兵と長弓を用いた戦術で優位に立った。
中世騎士道の常識を覆した一戦とされる。
ポワティエの戦い
1356年9月19日に起こった一戦。
エドワード黒太子率いるイングランド軍は、友軍との合流をフランス軍に妨害され、ボルドーに向けて撤退。
しかし、それをフランス王ジャン2世が率いる大軍が猛追する。
交戦を覚悟した黒太子は森を背に布陣。
明らかな劣勢で黒太子の脳裏をよぎったのは、若き日に体験したクレシーの戦いだった。
神聖ローマ帝国
フランス王国
最終更新:2013年11月02日 23:58