【同窓会に行って、だめだ全然名前思い出せねーと思ったら、
 自分のとこは隣だったのに後になって二次会前で気付くのってなんなんだろうねあれ】

略して

【同然だった自分の隣に、後から気付くのってなんなんだろうねあれ】



「同窓会かぁ……」


 卓を眺めながら、溜め息を漏らす。

 金曜日の午後、放課後。

 後は書類と教育予定表を纏めてしまえば、完全にフリーの休日だ。

 仕事はなるべく、テキパキちゃっかり終わらせて、自宅には持ち帰らない。

 それが彼女の――新子憧の信条である。 


「憧先生……同窓会って、高校のですか?」


 卓についた、教え子の一人が顔を上げた。

 口に含める程度に呟いたつもりだったが、

 どうやら、思った以上に大きな声で漏らしてたらしい。


「ん? いや……大学。高校の方はなんか予定合わなくてね」


 松実宥はプロだし、松実玄は実家の旅館。

 誰かしら忙しくて、中々集まれていない。

 どうせならあのときのインハイメンバーで……なんて縛りをなくせば、そうでもないのだろうが、

 そこはやっぱり、気にしたかった。

 近くに住んでいて普通に顔は合わせられるのに、集まれないのはどうにも不思議だ。


「じゃあ、大学の方?」

「憧先生ってどこ大だったっけ?」

「……一応、T大よ」


 一応は。

 世間的に有名な理Ⅲや法学じゃないけど、全国的に有名な大学である。

 そのことに優越感を感じないかと言えば、まあ嘘になる。

 鼻に掛けるつもりは更々ないが。


「T大って……流石憧先生ー!」

「流石、偏差値70の女!」

「晩成蹴ってこっちに来た伝説の女!」

「よっ、阿知賀のニューレジェンド!」

「さっすが、ニューレジェンド!」

「……あんたら、何切る後30題追加」


 何度もやめろと言うのに、聞きやしない。

 自分は赤土晴絵のように、そんな二つ名なんて言われて喜ぶタイプではないのだ。

 ……弘世菫先輩なら、ともかく。

 いや、ちょっとは憧も嬉しいけどね。


「ええぇぇ……」

「おーぼーですよ!」

「厳しい流石ニューレジェンドきびしい」

「ちゃっちゃとやれ、ちゃっちゃと」


 オカルトだなんだの前に、最低限の技術を付ける。

 そうすれば、より上手く能力を活かせるし、自分のようなタイプなら技術が向上する。

 教えて、解かせて、説明して、打たせる。

 憧はそんな方式をとっていた。


 ……ついでに言わせて貰うなら。

 ニューレジェンドとは憧一人の称号ではなく、阿知賀麻雀部全てに贈られた花束だ。

 憧としては言い出す気なんて更々なかったのだが、

 当時を知る先生が未だに教師を続けていたために、こうして広まってしまっていた。

 晩成云々、偏差値云々も全部そう。

 正直、困っている。

 ……教え子がこうも囃し立てるのだから。


「T大ってことは……」

「まさか、須賀プロも来るんですか!?」

「サイン貰ってきて下さい、サイン!」

「写メ、ラインに上げて下さい!」

「むしろ、声をとってきて下さい!」


 きゃあと、黄色い歓声が上がる。

 やはり、年頃の少女である。

 芸能人に憧れを抱き、ましてやそれが知り合いの知り合いならこうなるのも必然だ。

 ……どちらかと言えば、麻雀プロに対してというよりも、タレントに対しての反応っぽいが。


「あたしに勝ったなら考慮はして上げる」

「本当ですか!?」

「善処するとも言うけどね」

「その気ないじゃないですかー!」


 さて、どうだろ。

 そんな風に笑いかけながら、手首を回す。

 プロになった彼とは違うと言っても、大学で未来のプロに薫陶を受けた身である。

 早々、小娘たちに引けは取らない。

 ……抜かれはしたけど、須賀京太郎の師匠というかアドバイザーの一人だし。


「まあ、あっちもあっちで忙しいから……来れるとは限らないからね」

「ちぇー」


 サイコロを転がし、山を切る。

 東発。親番なんだから、速攻で稼がせて貰おう――


「――で、大学のときの彼氏だったりしないんですか?」

「っ……!?」

「あ、崩した」


 ――なんて思ってからの、チョンボである。

 いきなり痛い。それも、二重の意味で。


「これは怪しいね」

「まさかと思ったけど、もしや……」

「憧先生、須賀プロと付き合ってたんですか!?」

「……ど、ど、どんな感じでした?」


 女というのは恋愛話に敏感だ。

 ましてやそれが有名人で……。

 普段、異性と関わる事がない女の園ならひとしおであろう。


「……そうだったら、よかったのにね」


 誰にも聞こえないように。

 静かに、胸の内を溢す。


「え?」

「なんて言いました?」

「もう一度おねがいしまーす!」

「まさか……地雷踏んじゃった?」

「ど、どうなんだろ……」


 穏乃から紹介されたときは――軽そうな男だと、思った。

 男性への警戒心を持たない友人を引っかけようとしている、軽い男。

 絶対に危ないだろうと思ったが……次に少年が口を開いたとき、それは変わった。

 憧もまた、ある少女の幼馴染みとしると――あろうことか、憧の手を取り言ったのだ。

 『協力してくれ、と』。

 どうやら彼は、憧の旧友の原村和に対して恋心を抱いていたらしい。

 それで、敵を知り己を知れば百戦危うからずと……和の情報を集めようとしたとか。

 男に手を握られたパニックと、やっぱり胸かこの野郎という憤りと、

 そうやってチマチマ情報収集するつもりで穏乃に近付いたのかこのストーカー男、という嫌悪感で、

 とりあえず頬っぺたをひっ叩いた。


 ……後になって聞けば。

 穏乃と出会ったのはまったくの偶然。

 それどころか、穏乃を助けて上げていたらしく、

 そのお礼に――と言い出したのが始まりだとか。

 正直、動転していたとは言え、やり過ぎたと思った。

 あんまりにもいい音がした、クリーンヒットだったのだ。


「さあ、どうでしょうって言ったのよ」


 それでも、痛そうな素振り一つせずに「いや、すまん。こっちが悪かったから」と、

 不満の一つを言うどころか、申し訳なさそうに頭を下げたのだ。彼は。

 思えば――。

 改めて振り返るのなら――。


 既にこのとき、多少なりとも彼に惹かれたのかもしれない。


「うっわー、やらしい笑い方」

「流石ニューレジェンドやらしいなぁ」

「流石スーツ姿が性的な憧先生!」

「凄い、含み笑い」

「小悪魔フェイス……」

「……そんなに何切るやりたいの、あんたたち」


 その後は、メールで連絡をとった。

 目の前にいるときも、いないときも。

 異性と、面と向かって会話をするのは恥ずかしかったから仕方ない。

 ……このときは別に、恋心を意識なんてしていなかった。


 ただ、彼の初恋という言葉に――やっぱり世の中にはそういうことがあって、

 自分がそれに間接的に携わっているんだな……なんて、夢見心地な感じであった。

 何度か交流を重ねて、彼の人間性を知っていたから。

 全ては彼次第だとしても、応援くらいならしてやってもいいかなと思った。


 次に、印象に残っているのは……


『……助けてくれ、憧。最近穏乃が気になってしょうがない』


 そんな言葉を受け取ったときだろうか。

 まず、今度は――より身近な友人が恋の物語の主役になってしまったこと。

 次に、あんたあんだけ相談してた和への思いはどうなったのよ――という衝撃。

 それから、こいつ意外に流され安いんじゃないかという、感想。

 浮かんだのはそれだ。

 やはり別に、このころは異性として認識しながらも、恋心はなかった。

 さっきのはあくまでも――後から振り返れば、という話。

 このときの自分にとっては、精々が良印象のきっかけ程度だった。


「大体さ……」


 それからは、彼との内緒の話が増えた。

 初恋の相談をしていた相手に恋をしてしまったのだから、

 必然的に会話はもう一人に――自分に向かう。

 色々と言葉を交わした覚えがある。

 ともすれば彼とは、彼の意中の人である高鴨穏乃よりも会話したのではないだろうか。

 まあ、穏乃も京太郎も恋心を抱く相手には臆病になるタイプなので、それも然りだ。

 正直、移り気な奴だと思った。

 こうしていたら、今度は自分がその対象になるのではないか、とも。

 だから、親友の為にも――見極めてやろうと思っていた。


「須賀プロ、麻雀馬鹿だから」


 彼らが結ばれたと知ったときは、純粋に嬉しかった。

 嫉妬心よりも、青春をしている彼らへの羨望や憧憬の感情が正しい。

 胸の痛みよりも、なんだか先を越されてしまったという、恋に恋するが故の敗北感。

 自分もいつか、そんな恋愛劇の主体となる日が来るのかという期待。

 だからやっぱり、この時点では恋心はなかったのだと思う。

 ……正直、後悔したことはあるが。


 何故、彼らの進展状況を聞いてしまったのか。

 知人二人が“そういう領域”に入っていることを聞いて、しばらく煩悶で眠れぬ日が続いた。

 穏乃と顔を合わせる度に、男女のそういう関係から生まれる光景を想像し、悶々とする毎日。

 相当、不審な態度になっていたと思う。

 実に黒歴史だ。


「基本、麻雀に対してストイックな男だったわね」


 彼の印象が最悪になったのは――。

 大学に入学して、すぐのことだ。


「麻雀よりもできることが多い、万能タレントって感じなのにですか?」


 これからよろしく、と。

 勉強が忙しくて連絡は取れてなかったけど、そっちの近況はどう、と。

 前よりも遠距離恋愛になるけど、ちゃんと穏乃のフォローしたか、と。

 挨拶ついでに、そう、何気なく聞いてみた。

 そこで――彼は言ったのだ。

 穏乃とは、別れたと。


「私は……須賀プロって麻雀好きなんだなって思うけどなぁ」


 聞いた瞬間に、彼の胸ぐらを掴み上げていた。

 何故だ、と。

 高校生だ。そのまま結婚に至るカップルが稀であるのは理解していた。

 でも、親友が捨てられたとあっては黙ってはおけない。

 それが人情であろう。

 返答次第では、即座に――あのときよりも強烈に――頬を張り倒すつもりであった。


 でも、そうはならなかった。

 彼は――泣いていたのだ。涙は流さずに、その瞳の奥で。

 憤慨する憧よりも、離別に納得がいっていないのは……他ならぬ当事者の京太郎であったのだ。


 ――なんでなんだろうな。


 彼は俯きながら、未だ割りきれないといった表情で溢した。

 今にも泣き出しそうにして、憧に寄りかかるように笑う。

 自分は穏乃にフラれたのだと。

 彼女に――理由はあっても結果として――捨てられてしまったのだと。

 彼女と、約束したのだと。

 だから自分は今、ここにいるのだと。


 支離滅裂にも思える言葉で、笑う。


「麻雀解説とか、対局の真剣な表情を見たら……才能の人って感じ、しないもんね」


 ただ、自分は麻雀を打たねばならない。

 そう彼は、確固たる瞳を持って言い切った。

 だから憧も、確かめるつもりでそれに付き合うことに決めた。

 大学では――麻雀目的もあるが――それ以外も楽しもうと思っていた。

 だが、はたして彼の言葉が真実なのか――確かめねばならないと、考えた。

 友人である須賀京太郎の為にも、親友である高鴨穏乃の為にも、新子憧自身の為にも。

 結局、彼に並んで本気系の麻雀部のドアを叩いたのだ。


「ま、あの域に行けるから……素質はあると思うわ。……才能はないけどね」


 さてそれから、彼の麻雀への真摯な姿勢を身近に目の当たりにした。

 どうやら話に嘘はなく、真剣な表情は真実であったと理解する。

 悪印象は改めた。

 それでもどうにも、初めはぎこちない形になってしまったと思う。


「素質はあっても、才能はない……ですか?」

「才能っていうか、運とか華かな。そこら辺がない」

「でも……かっこいい逆転決めたりしてるじゃないですか」

「ああ、でも……他の麻雀プロに比べたら、大した事はないでしょ?」

「えっと……」

「なんていうか、全力と死力の違い……みたいなのがあるのよね」


 それから――彼との交流を深め初めた。

 麻雀部でも。麻雀部以外でも。

 どうにも男が苦手なままの自分は、事あるごとに彼に助けを求めていた気がするし。

 以前からの知り合いで、唯一話せる男子ということで、自然と会話の回数も増えた。

 麻雀部を除くのなら……。

 和と、京太郎と――三人でいることが多かっただろう。

 大体、どこかに遊びに行くときにはその面子は集まった。


 意識しだしたのは、その辺りか。

 悪くは思わなかった。

 むしろ、彼と付き合えたら楽しいのだろうと思えてきた。

 和が来れないときに二人っきりで遊びに行ったのは、甘酸っぱいデートのようであったし、

 先輩たちから技術を少しでも吸収しようとする彼の横顔に、魅せられた。

 そんな、若干の下心を交えつつも――彼には強くなって欲しいと、

 様々な技術を手解きしていった。

 多分このとき、距離が近かったから――彼への思慕が募るようになったのだろうと、

 新子憧は己自身を振り返る。


「いつも、必死に自分を削りきってようやく勝ってる」

「確かに、苦しそうにも……」

「まあ、最近を見るに楽しんでもいるみたいだけど」


 事件が起こったのは、大学二年になる春だった。

 そこから、大学二年の夏までか。

 彼は目に見えて、憔悴していた。

 それまで、遅いながらも順調に進んでいたというのに……彼は成長を急いだ。

 あらゆる、どんな方法を使ってでも麻雀で強くなろうとしていたのだ。

 イカサマは除外するとしても。


 強くならなければ、と彼は言った。

 俺が、そうしてしまったのだと、彼は言った。

 勝たなければならない、と彼は言った。

 鬼気迫る、勢いであった――。


「なんだか、昔の女ー……みたいな感じですよ。今の」

「それは、ないない」


 後に和から、理由を聞いた。

 彼に懐いていた、後輩の少女について。

 その身に起きたことも、大まかには。

 それが京太郎の、焦燥の理由であった。

 そして京太郎は――戦いに破れたのだ。


「まあ、最後の方は結構一緒にはいたけどさ」


 加えるなら……。

 立て続けに不幸が襲ったのも一因だろう。

 彼の飼っていたペットのカピバラが、寿命で亡くなったらしい。

 写真を何枚も見せて貰い、実際に触りに行った事がある程度の憧ですら、悲しみを抱いたのだ。

 須賀京太郎が――それに傷付かない筈がなかった。

 あのときの京太郎は、折れかかっていたのだろう。


 彼は殆ど、部活に顔を出さなくなった。

 このときの憧には原因は判らなかったが、彼の身に起きた異常には察しがついた。

 彼は麻雀を好んでいた。愛していたとも言っていい。

 また単純に、麻雀部の人間関係を好ましく思っていただろう。

 あれほど熱心に、麻雀に打ち込んでいた。

 なのに、部活に全くと言っていいほど顔を出さない。

 それに……。


 キャンパス内でふと見かけたとき。彼は、笑わなくなっていたのだ。

 あれほど、快活な笑みを浮かべていた須賀京太郎が、まるで笑わない。

 麻雀に関わる全てを遠ざけようとしている風にすら、見えた。


「まあ、同学部だったし……話す機会が多かったのは確かよ」


 やや置いて、彼も笑顔を取り戻した風に見えた。

 だけど、あれは違った。

 隠そうとしているが、翳りが覗いているのだ。

 それを見抜ける程度には、長い付き合いをしている自負はあった。

 就職活動で忙しい先輩に代わり、部活に顔を出さない彼に張り付いていたのはこの辺りか。


 何かしら――どんな形でもいいから、力になってやりたかったのだ。

 どんな形にすべきかは、まるで判らなかったが……。

 とにかく、彼と関わりを絶ってはならないと思えた。

 放っておけば、倒れて立ち上がらなくなりそうなのだ。

 昼飯に誘ったり、夕飯を共にしたり、授業でも隣同士腰掛けたり。

 何かと彼に、付いて回った。その事を大学の友人に茶化されたりしたが、憧は真剣だった。

 憧は彼に付きっきりだったし、彼も憧を遠ざけようとはしなかった。

 奇妙な関係が成り立っていたのだ。

 まるで、彼が小瀬川白望としていたような、そんな関係が。

 それでも憧は信じていた。

 彼がまた、立ち上がってくれるのを。

彼は再び、動き出した。

 憧には笑いかけてくれるようにはなっていた。

 「いつも悪いな」と申し訳なさそうにする彼に、

 「放っておいても寝覚め悪いし、いつものお礼」と、素っ気なく返していたのはこの頃か。

 もう少し直接的に言っていたら、彼との付き合いも形を変えていたのかも知れない。

 化粧を変えたり、髪型や服装に大分気を使ってはいたが、彼に思いを打ち明ける勇気はなかった。

 関係を壊したくないという臆病さと、

 こんな彼の弱味に付け込むような形は嫌だという潔癖さが、同居していた。


 立ち上がりはしたが、憧の望む形とは違った。

 彼は以前より活動的になった。様々なことに手を伸ばそうとしていた。

 でもそれに、麻雀は入っていなかった。

 夕食のときに、今日はどんなゴールを決めたとか、上手く戦術が嵌まったとか、そんな話は出る。

 昼食のときに、先週はどんなことをしていたとか、そんな会話はある。

 でも――。


「なんかありそうー」

「正直に言ってもいいんですよ?」

「是非是非、お聞かせください!」

「長く話してて、本当に、そーゆー関係にならなかったんですか?」

「ちょ、ちょっと聞きたいかなって……」


 彼は、一度たりとも――麻雀の話はしなかった。

 憧には、彼が必死に麻雀を忘れる口実を探しているようにしか、見えなかったのだ。

 そんなものは、彼の自由だろう。

 でも、彼には――憧の親友との約束があった。

 また、それはともかくとしても。

 憧自身……麻雀を打っているときの京太郎が、好きだったのだ。

 つい先日の、思い詰めた態度ではない。

 勝てないことに悔しがりながら、腕を磨き……。

 勝ったときには素直に喜ぶ、彼が好きだった。


 ……いや、そんなものは口実かも知れない。

 あの麻雀部で、皆と笑って居たかった。京太郎も一緒に。

 そんな、ささやかな願いからだった。


「このかしまし娘どもが……」


 だから、ある日――言ってしまった。

 麻雀を、辞める気なのか……と。

 憧の言葉を、京太郎は黙って聞いていた。


「で……実際、どうなんですか?」


 憧はそのまま続けた。

 あれほど努力していたのはどうしたのだ、と。

 何故、そんな風になってしまったのだ、と。

 こんなのは、京太郎らしくはない、と。

 辞めるにしても、話を通すべきじゃないのか、と。

 今の京太郎は、見ていて辛いと。


「だから、言ってるでしょ」 


 自分は、子供だった。

 彼の身に起きたことすら把握せずに、ただがなり立てるだけだった。

 よく彼は、静かに聞いていてくれたと思う。

 あのときはそんな態度に腹が立ったが――彼はよほど自分よりも大人だった。


「何も、なかったって」


 子供なら子供で、素直に伝えるべきだったのだ。

 あなたの――支えになりたい、と。

 あなたと――一緒に麻雀を打っていたい、と。

 事情を――打ち明けてほしい、と。

 麻雀を――辞めないで欲しい、と。 


「というか、あったら今ここにはいないわよ」

「……その心は?」

「卒業と同時に結婚して逃がさない」

「怖いよ、憧先生!」

「ひえっ……!?」

「あんだけの優良物件逃がす理由ないでしょ。なんだかんだトッププロなんだから」

「大人って怖い……改めてそう思った」


 そして――地雷を踏んでしまった。

 踏み入ってはならない領域に、踏み込んでしまったのだ。


「ふふん、あんたらも5年経てば分かるわよ」



 ――しずとの約束は、どうしたのよ!



「これが新子憧の打算……これが世界1位の女……」

「おいこらなんつった」

「い、いや……」


 その刹那、彼は目を見開いた。

 様々な感情が綯い混ぜになった――手負いの獣の表情。

 本当に一瞬であった。だから、見間違いだと思った。


「世界1位って何よ、世界1位って……」

「えーっと……」

「全校生徒が選ぶ、教師界で一番経験豊富そうな教師1位――通称世界1位」

「……。世界の世の字がないでしょ、それ」

「『全校→全国→世界』みたいな……?」


 気付くべきであった。

 そのあとの、彼の浮かべた――気を抜いたような笑いに。

 何もかもが途切れてしまった、笑いだったのだから。


「とりあえず、言い出した奴の内申点は1点ね。1位だけに」

「ええーっ」

「誉め言葉じゃないですかー!」


 彼は憧に、麻雀部に顔を出すと言った。

 その言葉通り、翌日麻雀部に顔を出して、

 先輩に叱られ、皆に謝った後に、卓を囲んでいた。

 どこか、肩の荷が降りたような――吹っ切れたような笑いに、憧は安堵した。

 また、あの日々が戻ってくるのだと喜ばしい気持ちで一杯だった。


「……あのさ」




 ――その翌日、彼が姿を消すまでは。




「それ、本気で誉め言葉だと思ってるの……?」

「モチのロン!」

「当然ですよ!」

「かっこいい女性じゃないですか!」

「……頭痛いわ」


 貰った合鍵で開いた部屋に、彼の姿はなかった。

 顔が広い男だから、誰かと遊びにいっているのかと考え、

 それなら、せめて先に言ってくれたら夕飯無駄にならなかったのにと、口を尖らせた。

 そこから――連絡が付かなくなった。電話もメールも、一切の。


「最近の小娘の考えは判らないわね……」


 後から聞いたら。

 喧嘩の際に、電話が壊れてしまったそうだ。

 角材で撲られたときに――身体には問題がなかったが――間に挟まれた電話が破損したとか。

 何を喧嘩してるんだと、それを聞いた日は彼を小突いたが……。

 それからすぐに、自分がその当事者になるとは思わなかった。

 恐らく彼は、憧のときと同じく――誰かを助けようとしたのだろう。

 憧のときは、一撃も受けぬほどに凄まじい強さを披露したが。


「まだまだ、憧先生は若いじゃないですかー」

「それに、恋愛相談に乗ってくれる頼りになる先生って有名ですよね」

「お化粧とかにも詳しいし……」

「落とし神とか、言われてますよね……」

「……尾ひれ、付きすぎでしょ」


 連絡も付かなくなった彼の失踪に、憧は恐怖した。

 丁度そのとき、和から彼の身に起きたことを聞いたのだ。

 後輩を止められなかった――と。

 京太郎と和が卓を同じくして、破られ続けたと。

 あまりに尋常ではない光景に、流石の和も絶句したとか。

 それでも京太郎は、大真面目に分析して、何度も立ち向かったらしい。

 負けても負けても、必死に喰らいつこうとする。

 眼の毛細血管が破け朱く染まり、極度の負担により、一時的に視力が低下しても。

 彼は、立ち上がり続けた。


 ――それでも彼は、勝てなかった。


「まあ、なんていうか……その」


 自殺するのではないか。

 頭に過ったのは、それだった。

 強硬状態になった。何かの間違いではあってほしいと思った。


「同じ失敗を……して欲しくないだけよ」


 だから、赤土晴絵からの連絡には心底安堵した。

 彼を――須賀京太郎を拾った、と。

 このまま返すのも忍びないので、先達として彼のリハビリを行う、と。

 そのときは、声を上げて泣いた。京太郎が無事でよかった、と。


「同じ失敗って……!」

「これはロマンスの香りがするよ……!」

「まさか……す、須賀プロに……」

「ほうほう、なるほどなるほど……」

「憧先生の女の子の面が見えてしまいましたねー」


 それから、休みが明けて――須賀京太郎は帰ってきた。

 以前の彼よりも、タフになっていた。精神的にも、肉体的にも。

 麻雀の打ち筋もまた、強烈になっていた。

 典型的なアウトファイターでありながら、ときには苛烈なインファイターになる。

 寸前で拳を避けるような一点読みと、読みに起因するカウンター。

 卓の全てを“視て”、己の立ち位置を巧みに調整する。

 弘世菫の喜びようは凄かった。

 自分の教えた技術を――旧式だとしても――使いこなし始めたのだから、当然だろう。

 「やはり須賀は私の弟子だな」と、辻垣内智葉に胸を張っていたのが懐かしい。PAD入りの胸を。

 なお、流されていた。


 『どうせまた、なんちゃらかんちゃらMK.Ⅱとかも教えるんだろ』

 『MK.Ⅱとか付けた覚えはないぞ』

 『……PADは付けているのに?』

 『……いい度胸だな。表に出ろ』


 何故か判らないが、こんな感じだった。あの先輩たちは。


「……ノーコメントで」


 それから、色々あった。

 先輩たちが抜けて、自分たちに後輩ができ……。

 試験の為に忙しくなった和が顔を出す頻度が減った為に、彼と二人きりでいることが増え、

 いつしか、須賀京太郎は部長に……自分はその補佐につくことになった。

 学部の講義が増えれば、京太郎と接する機会も増えた。

 なおのこと、彼と過ごす時間は長くなっていったが――。

 あのことは、半ばタブーになっていた。


「おや、おやおやおや」

「憧先生、顔が赤いぞー?」

「これは、意外な弱点発見ですかね……」

「今度机に、須賀プロの写真集でも乗せてみる?」

「や、やめようよ……」


 それのせいかは判らないが。

 どことなく、彼に踏み込めなくなってしまったのは確かだ。

 何度かそういうチャンスはあったものの、尻込みしてしまった。

 ただ……。

 ひょっとしたら、酔いながらどこかで思いを告げてはいやしないか。

 それが若干心配である。


「……教師からかうとか、覚悟はできてるんでしょうね」


 そんな彼が――麻雀プロになったというのは、自分のこと以上に嬉しかった。

 タレントとしても活躍中というのは、頼まれたら断らないという性格に起因するんじゃないか、

 なんて思いながら。

 教師も教師で、きっと向いていただろう。


「さて――ロン。これで終了、私が1位ね」


 ま、これは終わった話である。

 彼は乗り越えたし、最近を見るにも大丈夫そうだろう。

 だから……まあ。

 精々、旧交を暖めにいくとしようか。








 ……いや、期待とかしてないからね?


  __ __ __ __ __ __ __ __ __ __ __ __ 



【新子憧との思い出が更新されました!】

【Gaea Memory『恋慕(新子憧)』を入手しました!】


※別にメモリが手に入ったから、だからどうという話でもない

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最終更新:2013年10月02日 14:18