■相応部経典 因縁篇12. 第1因縁相応66 觸
〈 和 訳 〉
── このように私は聞きました。
ある時、世尊は、クル国のカンマーサダンマという、
クルの都邑〈とゆう・都会のこと〉に住んでおられました。
そこで、世尊は、比丘たちに話しかけられました。
「比丘たちよ」
「尊師よ」
と、── 比丘たちは、世尊に答えました。
そして世尊は、このように言われたのです。
「比丘たちよ、汝らは内触を取るか取らないか、どちらだろうか?」と。
すると、一人の比丘が、世尊に次のように言いました。
「大徳よ、私は内触を取ります」と。
そしてその比丘は、自らの所説を説明をしたのですが、世尊の心を満足させることは出来ませんでした。
その時、尊者アーナンダは世尊に言ったのです。
「世尊よ、今が正〈まさ〉に、その所説を述べる時です。
善逝よ、今が正に、その時です。
世尊よ、願わくば、内触を説いて下さいませ。
比丘たちは、世尊の所説〈教え〉を聞いて受持し奉るでしょう」と。
「 では、アーナンダよ、そして比丘たちよ、汝らは この教え を 聞いて よく思念する がよい。
── それでは、私 は これから 『 内觸法 』 を 説くこと にしよう。 」
「 畏 ( かしこ ) まりました、大徳よ 」 と、彼ら諸比丘たち は 世尊 に答えました。
苦の因、億波提 ( ウパディ・生存の素因 )と渇愛の因・集・生・起・住
「 比丘たちよ、ここに比丘がいて、内觸 を 取りつつ、それを 取りながら 次のように 思惟 をする 。
『 世間 に 老死 を 生じさせる 種々 各種の苦、
── この苦は、いったい 何を 因 とし、何を 集 とし、何を 生 とし、何を 起 とするのだろうか?』
そして 彼は、内觸 を 取りつつ、是 の 如く ( このように ) 知る。
『 この世間 に 老死 を 生じさせる 種々 各種の苦 ── この苦は、億波提 ( ウパディ・生存の素因 ) を 因 とし、
億波提 を 集 とし、億波提 を 生 とし、億波提 を 起 とする。
億波提 が 有る が 故に 老死 が有るのであり、億波提 が 無い ときには 老死 も 無い。』
── このように、彼は老死を知り、老死の集を知り、老死の滅を知り、老死の滅に趣 ( おもむ )く道跡を知る。
是 の 如き は 人の心 に 適 ( かな ) い、法の理 に 合した 行ない と 言う のである。
比丘たちよ、これを比丘において、 凡(すべ)て正しく 苦の滅 ・ 老死の滅を行ずる(実践する)者と言うのである。
さらに 内觸 を 取りつつ、それを 取りながら、比丘は 次のように 思惟 をする 。
『 また、この億波提 は、何を 因 とし、何を 集 とし、何を 生 とし、何を 起 とするのだろうか?
何が 有る が故に 億波提 が 有り、何が 無い ときに 億波提 も 無い のであろうか? 』
彼は、内觸 を 取りつつ、是 の 如く知る。
『 億波提 は 渇愛 を 因 とし、渇愛 を 集 とし、渇愛 を 生 とし、渇愛 を 起 とする。
渇愛 が 有る が 故に 億波提 が有るのであり、渇愛 が 無い ときには 億波提 も 無い。』 と。
── このように、彼は 億波提を知り、億波提の集を知り、億波提の滅を知り、億波提の滅に趣く道跡を知る。
是 の 如き は 人の心 に 適い、法の理 に 合した 行ない と 言う のである。
比丘たちよ、これを比丘において、 凡て 正しく 苦の滅 ・ 億波提の滅 を 行ずる者 と 言うのである。
さらに 内觸 を 取りつつ、それを 取りながら、比丘は 次のように 思惟 をする 。
『 また、この 渇愛 は、何処 ( どこ ) に 生じつつ 生じ、何処 に 住しつつ 住する のだろうか? 』
彼は、内觸 を 取りつつ、是 の 如く知る。
世間 において、如何なる 愛すべく、快 ( こころよ ) く 思われる 色、
── それにおいて、渇愛は 生じつつ 生じ、住しつつ 住す。
それでは、世間 において、愛すべく、快く 思われる 色、 ── とは 何 であろうか?
眼は、世間 において、愛すべく、快く 思われる 色 である。
それにおいて、渇愛は 生じつつ 生じ、住しつつ 住するのである。
耳は、世間 において、愛すべく、快く 思われる 色 である。
それにおいて、渇愛は 生じつつ 生じ、住しつつ 住するのである。
鼻は、世間 において、愛すべく、快く 思われる 色 である。
それにおいて、渇愛は 生じつつ 生じ、住しつつ 住するのである。
舌は、世間 において、愛すべく、快く 思われる 色 である。
それにおいて、渇愛は 生じつつ 生じ、住しつつ 住するのである。
身は、世間 において、愛すべく、快く 思われる 色 である。
それにおいて、渇愛は 生じつつ 生じ、住しつつ 住するのである。
意は、世間 において、愛すべく、快く 思われる 色 である。
それにおいて、渇愛は 生じつつ 生じ、住しつつ 住するのである。
常・楽・我・無病・安穏と観る
比丘たちよ、如何なる 過去 の 沙門・バラモン といえども、
世間 において 愛すべく、快く 思われる 色 を、常なり と 観、楽なり と 観、
我なり と 観、無病なり と 観、安穏なり と 観てしまう者 は、渇愛 を 増長させてしまう。
渇愛 を 増長させてしまう者 には、億波提 が 増長する。
── そして、億波提 を 増長させてしまう者 には、苦 が 増長する のである。
『苦を増長させてしまう者は、生・老死・愁・悲・苦・憂・悩より 解脱せず、苦より解脱することはない』
と、私は言う。
比丘たちよ、如何なる未来の沙門・バラモンといえども、
世間 において 愛すべく、快く 思われる 色 を、常なり と 観、楽なり と 観、
我なり と 観、無病なり と 観、安穏なり と 観てしまう者 は、渇愛 を 増長させてしまう。
渇愛 を 増長させてしまう者 には、億波提 が 増長する。
── そして、億波提 を 増長させてしまう者 には、苦 が 増長する のである。
『苦を増長させてしまう者は、生・老死・愁・悲・苦・憂・悩より 解脱せず、苦より解脱することはない』
と、私は言う。
比丘たちよ、如何なる現在の沙門・バラモンといえども、
世間 において 愛すべく、快く 思われる 色 を、常なり と 観、楽なり と 観、
我なり と 観、無病なり と 観、安穏なり と 観てしまう者 は、渇愛 を 増長させてしまう。
渇愛 を 増長させてしまう者 には、億波提 が 増長する。
── そして、億波提 を 増長させてしまう者 には、苦 が 増長する のである。
『苦を増長させてしまう者は、生・老死・愁・悲・苦・憂・悩より 解脱せず、苦より解脱することはない』
と、私は言う。
比丘たちよ、譬えばここに 水飲み器 があって、色を具足し、香を具足し、味を具足してはいても、
その中の 水 には 毒 が 混ざっている。
そこに、猛暑 の 炎熱 に 焼かれ、炎熱 に 苦しめられ、
疲労困憊して、喉が カラカラに 渇ききった人 が、やって来た ── としよう。
その人に、このように 言った とする、
『 愛する者よ、この 水飲み器 は 色を具足し、香を具足し、味を具足していますが、毒も具足しています。
もし、それでも あなたが 飲みたいのであれば、飲みなさい。
飲めば、色・香・味 を 堪能し 愛好する ことができるでしょう …… ですが、
── そのために 死に至る か、あるいは 死に至る ほどの 苦しみ を 受けること に なるでしよう 』と。
しかし、 彼は 顧 ( かえり ) みず、 思慮することなく、
その 水飲み器 を 飲み、それを捨てることをしなかったので、
彼は ── そのために 死ぬ か、あるいは 死に至る ほどの 苦しみ を 受けてしまったのだ。
比丘たちよ、それと同じように、
如何なる過去の沙門・バラモン といえども、
世間 において 愛すべく、快く 思われる 色 を、常なり と 観、楽なり と 観、
我なり と 観、無病なり と 観、安穏なり と 観てしまう者 は、渇愛 を 増長させてしまう。
渇愛 を 増長させてしまう者 には、億波提 が 増長する。
── そして、億波提 を 増長させてしまう者 には、苦 が 増長する のである。
『苦を増長させてしまう者は、生・老死・愁・悲・苦・憂・悩より 解脱せず、苦より解脱することはない』
と、私は言う。
如何なる未来の沙門・バラモン といえども、
世間 において 愛すべく、快く 思われる 色 を、常なり と 観、楽なり と 観、
我なり と 観、無病なり と 観、安穏なり と 観てしまう者 は、渇愛 を 増長させてしまう。
渇愛 を 増長させてしまう者 には、億波提 が 増長する。
── そして、億波提 を 増長させてしまう者 には、苦 が 増長する のである。
『苦を増長させてしまう者は、生・老死・愁・悲・苦・憂・悩より 解脱せず、苦より解脱することはない』
と、私は言う。
如何なる現在の沙門・バラモンといえども、世間 において 愛すべく、快く 思われる 色 を、
常なり と 観、楽なり と 観、我なり と 観、無病なり と 観、安穏なり と 観てしまう者 は、
渇愛 を 増長させてしまう。
渇愛 を 増長させてしまう者 には、億波提 が 増長する。
── そして、億波提 を 増長させてしまう者 には、苦 が 増長する のである。
『 苦 を 増長させてしまう者 は、生・老死・愁・悲・苦・憂・悩 より 解脱せず、苦 より 解脱する ことはない 』
と、私は言う。
無常・苦・無我・病・怖畏と観る
比丘たちよ、如何なる過去の沙門・バラモンといえども、
世間において愛すべく、快く思われる色を、無常なりと観、苦なりと観、
無我なりと観、病なりと観、怖畏なりと観る者は、渇愛を捨離する者である。
渇愛 を 捨離 する者 は、億波提 を 捨離 し、億波提 を 捨離 する者 は、苦 を捨離 する のである。
『 苦 を 捨離 する者 は、生・老死・愁・悲・苦・憂・悩 より 解脱し、苦 より 解脱する 』
と、私は言う。
比丘たちよ、如何なる未来の沙門・バラモンといえども、
世間において 愛すべく、快く 思われる 色 を、無常なりと観、苦なりと観、
無我なりと観、病なりと観、怖畏なりと観る者は、渇愛を捨離する者である。
渇愛 を 捨離 する者 は、億波提 を 捨離 し、億波提 を 捨離 する者 は、苦 を捨離 する のである。
『 苦 を 捨離 する者 は、生・老死・愁・悲・苦・憂・悩 より 解脱し、苦 より 解脱する 』
と、私は言う。
比丘たちよ、如何なる現在の沙門・バラモンといえども、
世間 において 愛すべく、快く 思われる 色 を、無常なりと観、苦なりと観、
無我なりと観、病なりと観、怖畏なりと観る者は、渇愛を捨離する者である。
渇愛 を 捨離 する者 は、億波提 を 捨離 し、億波提 を 捨離 する者 は、苦 を捨離 する のである。
『 苦 を 捨離 する者 は、生・老死・愁・悲・苦・憂・悩 より 解脱し、苦 より 解脱する 』
と、私は言う。
比丘たちよ、譬えばここに 水飲み器 があって、色を具足し、香を具足し、味を具足してはいても、
その中の 水 には 毒 が 混ざっている。
そこに、猛暑 の 炎熱 に 焼かれ、炎熱 に 苦しめられ、
疲労困憊して、喉が カラカラに 渇ききった人 が、やって来た ── としよう。
その人に、このように 言った とする、
『 愛する者よ、この水飲み器は色を具足し、香を具足し、味を具足していますが、毒も具足しています。
もし、それでも あなたが 飲みたいのであれば、飲みなさい。
飲めば、色・香・味 を 堪能し 愛好する ことができるでしょう …… ですが、
── そのために 死に至る か、あるいは 死に至る ほどの 苦しみ を 受けること に なるでしよう 』 と。
比丘たちよ、その時、この人は、このような 思念 を 作意する。
『 私の この激しい 喉の渇き は、飲料 によって 克服すること が 出来るし、
あるいは生蘇によって克服すること が出来るし、あるいは塩分を含む乳清 によって克服すること が出来るし、
あるいは 酸味のきいた粥 によって 克服することが 出来る。
── であるならば、私は、この長夜に私の利益とならなず、苦となるものを飲むのは止めよう 』と。
彼は思慮して、その水飲み器 を捨てたので、
彼は ── そのために 死に至ることは無く、死に近いような 苦しみ も 受けること は 無かったのだ。
比丘たちよ、それと同じように、
如何なる過去の沙門・バラモン といえども、
世間 において 愛すべく、快く 思われる 色 を、無常なりと観、苦なりと観、
無我なりと観、病なりと観、怖畏なりと観る者は、渇愛を捨離する者である。
渇愛 を 捨離 する者 は、億波提 を 捨離 し、億波提 を 捨離 する者 は、苦 を捨離 する のである。
『 苦 を 捨離 する者 は、生・老死・愁・悲・苦・憂・悩 より 解脱し、苦 より 解脱する 』
と、私は言う。
如何なる未来の沙門・バラモン といえども、
世間 において 愛すべく、快く 思われる 色 を、無常なりと観、苦なりと観、
無我なりと観、病なりと観、怖畏なりと観る者は、渇愛を捨離する者である。
渇愛 を 捨離 する者 は、億波提 を 捨離 し、億波提 を 捨離 する者 は、苦 を捨離 する のである。
『 苦 を 捨離 する者 は、生・老死・愁・悲・苦・憂・悩 より 解脱し、苦 より 解脱する 』
と、私は言う。
如何なる現在の沙門・バラモンといえども、
世間 において 愛すべく、快く 思われる 色 を、無常なり と 観、苦なり と 観、
無我なり と 観、病なり と 観、怖畏なり と 観る者 は、渇愛 を 捨離 する者である。
渇愛 を 捨離 する者 は、億波提 を 捨離 し、億波提 を 捨離 する者 は、苦 を捨離 する のである。
『 苦 を 捨離 する者 は、生・老死・愁・悲・苦・憂・悩 より 解脱し、苦 より 解脱する 』
と、私は言うのだ。
〈 和 訳・おわり 〉
● 解 説
ののの
〈 編集中 〉
最終更新:2013年06月03日 09:19