■長部経典 第22経 「 大念処経 」


この経典は、中部経典 第 10 経 「 念処経 」 と、ほとんど同じ内容なのです。
唯一異なるのが、下記の 四聖諦の説明部分で、中部経典よりも詳細な説明になっています。
ですから、中部経典 第 10 経 「 念処経 」 に、下記の 四聖諦の説明部分を差し替えたものが、
長部経典 第22経 「 大念処経 」 なのだと理解してください。


★部分訳

諦の部


15  さらにまた、比丘たちよ、比丘は四の聖なる真理である法において法を観つづけて住みます。
 では、比丘たちよ、どのようにして比丘は四の聖なる真理である法において法を観つづけて住むのか。
 比丘たちよ、ここに比丘は、
 〈 これが苦である 〉と如実に知ります。
 〈 これが苦の生起である 〉と如実に知ります。
 〈 これが苦の滅尽である 〉と如実に知ります。
 〈 これが苦の滅尽にいたる行道である 〉と如実に知ります。

 (苦諦の解説)

16  では、比丘たちよ、「苦という聖なる真理」とは何か。
 生まれは苦です。
 老いも苦です。
 死も苦です。
 愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みも苦です。
 愛さない者たちと結ばれることも苦です。
 愛する者たちと結ばれないことも苦です。
 求めて得られないことも苦です。
 要するに五取蘊は苦です。

17  では、比丘たちよ、「生まれ」とは何か。
 それぞれの生けるものたちの、それぞれの生けるものの類における生まれ・誕生・入胎・発生・諸蘊の出現・諸処の獲得です。
 比丘たちよ、これが生まれと言われます。

18  また、比丘たちよ、「老い」とは何か。
 それぞれの生けるものたちの、それぞれの生けるものの類における老・老衰・歯の欠落・白髪の生え・皺の寄り・寿命の減少・諸器官の老熟ですす。
 比丘たちよ、これが老いと言われます。

19  また、比丘たちよ、「死」とは何か。
 それぞれの生けるものたちの、それぞれの生けるものの類からの死去・死没・破壊・死死・命終・諸蘊の破壊・身体の放棄・命根の断絶です。
 比丘たちよ、これが死と言われます。

20  また、比丘たちよ、「愁い」とは何か。
 比丘たちよ、ある何らかの災厄に伴われた者の、ある何らかの苦の法によって触れた者の、愁い・愁えること・愁える状態・内なる愁い・内に広がる愁いがあります。
 比丘たちよ、これが愁いと言われます。

21  また、比丘たちよ、「悲しみ」とは何か。
 比丘たちよ、ある何らかの災厄に伴われた者の、ある何らかの苦の法によって触れた者の、嘆き・悲嘆・嘆くこと・悲嘆すること・嘆きの状態・悲嘆の状態があります。
 比丘たちよ、これが悲しみと言われます。

22  また、比丘たちよ、「苦しみ」とは何か。
 比丘たちよ、身の苦しみ、身の不快、身に触れて生じる苦しい不快の感受があります。
 比丘たちよ、これが苦しみと言われます。

23  また、比丘たちよ、「憂い」とは何か。
 比丘たちよ、心の苦しみ、心の不快、意に触れて生じる苦しい不快の感受があります。
 比丘たちよ、これが憂いと言われます。

24  また、比丘たちよ、「悩み」とは何か。
 比丘たちよ、ある何らかの災厄に伴われた者の、ある何らかの苦の法によって触れた者の、悩乱・悩み・悩乱の状態・悩みの状態があります。
 比丘たちよ、これが悩みと言われます。

25  また、比丘たちよ、「愛さない者たちと結ばれる苦」とは何か。
 ここに、かれに好ましくない、喜ばしくない、もろもろの色・声・香・味・触・法があり、あるいはまた、かれの利益を望まない、繁栄を望まない、安楽を望まない、安穏を望まない者たちがおり、それらとともに集合すること、出会うこと、結合すること、交際することがあります。
 比丘たちよ、これが愛さない者たちと結ばれる苦と言われます。

26  また、「愛する者たちと結ばれない苦」とは何か。
 ここに、かれに好ましい、楽しい、喜ばしい、もろもろの色・声・香・味・触・法があり、あるいはまた、かれの利益を望み、繁栄を望み、安楽を望み、安穏を望む母、あるいは父、あるいは兄弟、あるいは姉妹、あるいは友人、あるいは知己、あるいは親族がおり、それらとともに集合しえないこと、出会えないこと、結合しえないこと、交際しえないことがあります。
 比丘たちよ、これが愛する者たちと結ばれない苦と言われます。

27  また、比丘たちよ、「求めて得られない苦」とは何か。
 比丘たちよ、生まれの法である生けるものたちに、つぎのような欲求が生じます。〈 ああ、われわれが生まれの法の者でなければよいのに。ああ、われわれに生まれが来なければいいのに 〉と。しかしこれは欲求によって得ることができません。これが求めて得られない苦です。
 比丘たちよ、老いの法である生けるものたちに、つぎのような欲求が生じます。〈 ああ、われわれが老いの法の者でなければよいのに。ああ、われわれに老いが来なければいいのに 〉と。しかしこれは欲求によって得ることができません。これも求めて得られない苦です。
 比丘たちよ、病いの法である生けるものたちに、つぎのような欲求が生じます。〈 ああ、われわれが病いの法の者でなければよいのに。ああ、われわれに病いが来なければいいのに 〉と。しかしこれは欲求によって得ることができません。これも求めて得られない苦です。
 比丘たちよ、死の法である生けるものたちに、つぎのような欲求が生じます。〈 ああ、われわれが死の法の者でなければよいのに。ああ、われわれに死が来なければいいのに 〉と。しかしこれは欲求によって得ることができません。これも求めて得られない苦です。 比丘たちよ、愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みの法である生けるものたちに、つぎのような欲求が生じます。〈 ああ、われわれが愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みの法の者でなければよいのに。ああ、われわれに愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みが来なければいいのに 〉と。しかしこれは欲求によって得ることができません。これも求めて得られない苦です。 

28  また、比丘たちよ、「要するに五取蘊の苦」とは何か。すなわち、
 色取蘊です。
 受取蘊です。
 想取蘊です。
 行取蘊です。
 識取蘊です。
 比丘たちよ、これらが要するに五取蘊の苦です。

 比丘たちよ、これが「苦という聖なる真理」と言われます。

 (集諦の解説)

29  つぎに、比丘たちよ、「苦の生起という聖なる真理」とは何か。
 これは再生を起こし、歓び貪りを伴い、ここかしこで歓喜する渇愛です。すなわち、
 欲への渇愛、
 生存への渇愛、
 虚無への渇愛です。
 では、比丘たちよ、この渇愛は、生じる場合はどこに生じ、とどまる場合はどこにとどまるのか。世界の愛しい色、喜ばしい色があります。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。

 では、世界の愛しい色、喜ばしい色とは何か。

 眼は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 耳は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 鼻は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 舌は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 身は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 意は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。

 もろもろの色は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 もろもろの声は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 もろもろの香は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 もろもろの味は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 もろもろの触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 もろもろの法は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。

 眼の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 耳の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 鼻の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 舌の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 身の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 意の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 眼の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。

 耳の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 鼻の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 舌の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 身の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 意の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。

 眼の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 耳の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 鼻の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 舌の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 身の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 意の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。

 色に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 声に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 香に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 味に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 触に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 法に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。

色に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 声に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 香に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 味に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 触に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 法に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。

 色に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 声に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 香に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 味に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 触に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 法に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。

 色に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 声に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 香に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 味に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 触に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 法に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。

 色に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 声に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 香に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 味に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 触に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。
 法に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。

 比丘たちよ、これが「苦の生起という聖なる真理」と言われます。

 (滅諦の解説)

30  つぎに、比丘たちよ、「苦の滅尽という聖なる真理」とは何か。
 その渇愛の消滅による完全な滅尽・捨棄・破棄・解脱・無頓着です。
 では、比丘たちよ、この渇愛は、捨断される場合はどで捨断され、滅尽する場合はどこで滅尽するのか。世界の愛しい色、喜ばしい色があります。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。

 では、世界の愛しい色、喜ばしい色とは何か。

 眼は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 耳は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 鼻は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 舌は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 身は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 意は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。

 もろもろの色は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 もろもろの声は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 もろもろの香は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 もろもろの味は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 もろもろの触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 もろもろの法は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。

 眼の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 耳の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 鼻の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 舌の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 身の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 意の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。

 眼の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 耳の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 鼻の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 舌の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 身の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 意の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。

 眼の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 耳の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 鼻の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 舌の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 身の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 意の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。

 色に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 声に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 香に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 味に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 触に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 法に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。

 色に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 声に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 香に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 味に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 触に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 法に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。

 色に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 声に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 香に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 味に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 触に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 法に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。

 色に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 声に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 香に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 味に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 触に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 法に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。

 色に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 声に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 香に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 味に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 触に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。
 法に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。

 比丘たちよ、これが「苦の滅尽という聖なる真理」と言われます。

 (道諦の解説)

31  つぎに、比丘たちよ、「苦の滅尽にいたる行道という聖なる真理」とは何か。
 これは聖なる八支の道です。すなわち、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定です。

 では、比丘たちよ、「正見」とは何か。
 比丘たちよ、
 苦についての智、
 苦の生起についての智、
 苦の滅尽についての智、
 苦の滅尽にいたる行道についての智、
があります。
 比丘たちよ、これが「正見」と言われます。

 また、比丘たちよ、「正思惟」とは何か。
 欲を離れた思惟、
 怒りのない思惟、
 害意のない思惟、
です。
 比丘たちよ、これが「正思惟」と言われます。

 また、比丘たちよ、「正語」とは何か。
 妄語から離れること、
 両切から離れること、 
 悪口から離れること、
 綺語から離れること、
です。
 比丘たちよ、これが「正語」と言われます。

 また、比丘たちよ、「正業」とは何か。
 殺生から離れること、
 偸盗から離れること、 
 邪婬から離れること、
です。
 比丘たちよ、これが「正業」と言われます。

 また、比丘たちよ、「正命」とは何か。
 比丘たちよ、ここに、聖なる弟子は邪な生活を捨て、正しい生活によって生活を営みます。
 比丘たちよ、これが「正命」と言われます。
 また、比丘たちよ、「正精進」とは何か。
 比丘たちよ、ここに比丘は、
 未だ生じていないもろもろの悪しき不善の法が生じないように、意欲を起こし、努力し、精進し、心を励まし、努めます。
 すでに生じているもろもろの悪しき不善の法が捨断されるように、意欲を起こし、努力し、精進し、心を励まし、努めます。
 未だ生じていないもろもろの善の法が生じるように、意欲を起こし、努力し、精進し、心を励まし、努めます。
 すでに生じているもろもろの善の法が存続し、消失せず、増大し、拡大し、修習が成就するように、意欲を起こし、努力し、精進し、心を励まし、努めます
 比丘たちよ、これが「正精進」と言われます。

 また、比丘たちよ、「正念」とは何か。
 比丘たちよ、ここに比丘は、
 身において身を観つづけ、熱心に正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。
 もろもろの受において受を観つづけ、熱心に正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。
 心において心を観つづけ、熱心に正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。
 もろもろの法において法を観つづけ、熱心に正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。 
 比丘たちよ、これが「正念」と言われます。

 また、比丘たちよ、「正定」とは何か。
 比丘たちよ、ここに比丘は、
 もろもろの欲を確かに離れ、もろもろの不善の法を離れ、大まかな考察のある、細かな考察のある、遠離 から生じる喜びと楽のある、第一の禅に達して住みます。
 大まかな考察・細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、大まかな考察・細かな考察のない、心の安定より生じる喜びと楽のある、第二の禅に達して住みます。
 喜びが消えていることから、平静にして、念をそなえ、正知をそなえて住み、楽を身体で感じ、聖者たちが『平静にして、念をそなえ、楽に住む』と語る、第三の禅に達して住みます。
 楽を断ち、苦を断ち、以前にすでに喜びと憂いが消滅していることから、苦もなく楽もない、平静による念の清浄のある、第四の禅に達して住みます。
 比丘たちよ、これが「正定」と言われます。

 比丘たちよ、これが「苦の滅尽にいたる行道という聖なる真理」と言われます。

32  以上のように、
 内のもろもろの法において、法を観つづけて住みます。あるいは、
 外のもろもろの法において、法を観つづけて住みます。あるいは、
 内と外のもろもろの法において、法を観つづけて住みます。
また、
 もろもろの法において生起の法を観つづけて住みます。あるいは、
 もろもろの法において滅尽の法を観つづけて住みます。あるいは、
 もろもろの法において生起と滅尽の法を観つづけて住みます。
 そして、かれに〈 法がある 〉との念が現前します。それは他でもない、智のため念のためになります。かれは、世のいかなるものにも執着することがありません。
 このようにまた、比丘たちよ、比丘は四の聖なる真理である法において法を観つづけて住むのです。


〈 部分訳は、ここまで 〉




最終更新:2013年11月13日 12:12