■長部経典 第9経 「 ポッタパーダ経 」




部分訳

  ポッタパーダよ、ここにおいて、比丘は、自己の想 を有する者となる。
  そして彼は、そこからその次へ、その次からさらにその次へと、順々に進み、想の頂点 に触れる。
  想の頂点 ( 無所有処 ) に立った彼は、次のように考える。

  〈 私には、意思することが善くない。私には、意思しないことが善い。
   もし私が、意思し、意思活動をするならば、
  私のこれら 諸々の想 [ 〈 想の頂点 〉である 無所有処 の想のこと ] は消滅し、
   また別の諸々の粗い想 [ 無所有処 より劣る、識無辺処 などの 諸想 のこと ] が生起するだろう。
  私は、決して意思しないように、また意思活動をしないようにしてはどうであろうか 〉 と。
  そこで彼は、決して 意思 せず、また 意思活動 をしない。
  意思 せず、また 意思活動 をしない彼に、
  それら 諸々の想 はもちろん消滅し、別の諸々の粗い想 も生起することがない。
  彼は、滅 に触れる。
  このようにして、ポッタパーダよ、順々の正知 による 想滅定 が生起するのである。

  ( 長部経典 9経 『 ポッタパーダ経 (心作用の消滅) 』 )















































〈 編集中 〉
最終更新:2013年06月04日 05:17