水島 公一

【生年月日】

1941年1月30日

【出身地】



【肩書】

東芝リサーチ・コンサルティング(株)シニアフェロー

【学歴】

1964年 東京大学 理学部 物理学科 卒業
1969年 東京大学大学院 理学系研究科 物理学専攻 博士課程修了(理学博士号取得)

【予想授賞理由】

リチウムイオン二次電池に関する先駆的な研究とその開発に対して。
John B. Goodenough吉野 彰らとともに共同受賞の可能性がある。

【受賞歴】

1999年 加藤記念賞

【著書】


【主要業績】


【研究内容】

携帯電話、PCなどモバイル製品に必須であるリチウムイオン電池。現在のハイブリッド自動車はいまだニッケル水素電池が主流ですが、ポテンシャルを考えると次世代電気自動車はリチウムイオン電池が中心になっていくでしょう。そんなリチウムイオン二次電池を開発したのが今から30年ほど前、当時オックスフォード大学に所属していたグッドイナフ教授でした。科学的にもう少し正確にいえば、リチウムイオン電池ではなく、「リチウムイオン電池の正極」です。それまでリチウム電池は知られていましたが、その正極としては化学的に反応性の高い金属リチウムであり使い物になりませんでした。ところが1979年にグッドイナフ教授と当時オックスフォード大学に留学していた水島公一氏(現東芝リサーチコンサルティング)が正極としてリチウムコバルト酸化物(Li-XCoO2)が適していることを見出し、特許として報告しました。その後、リチウムマンガン酸化物(LiMn2O4)も正極材料として効率的であることを発見しています。
その後、旭化成の研究員であった、吉野彰氏(現旭化成フェロー)が白川英樹教授(2000年ノーベル化学賞受賞者)が発見したポリアセチレンに注目し、1981年に負極に炭素(ポリアセチレン)、正極にをリチウムコバルト酸化物を用いた現在のリチウム二次電池の基礎となる電池を創成しました。その後、電解質にポリマーを用いる(リチウムポリマー電池)など様々な改良が加えられ現在の実用化にいっています。

1978年、英オックスフォード大 無機化学研究所で小さな爆発事故が起きた。これがリチウムイオン電池を生み出すきっかけとなった。
爆発の「犯人」は水島公一さん(現、東芝リサーチ・コンサルティング)。当時は東京大助手で、ジョン・グッドイナフ教授に招かれ留学中だった。リチウムを使った充電式電池(二次電池)の正極材料を探す実験に取り組んでいた。隣の研究室の電気炉を借りて実験していたろころ、小爆発が起きた。部屋中に硫黄とリンの蒸気がもうもうと立ちこめ、大騒ぎになったという。
当時はオイルショック後間もない時代。エネルギー問題から高性能な二次電池が求められた。金属リチウムを電極に使うと高い出力電圧が得られることは分かっていた。小型軽量化もできる。しかし、充放電を繰り返すうちにリチウムが電極上で樹状に成長しショートを起こして、発火爆発をする危険性があった。

電極の素材選びがカギ
その時、注目を集めたのが層状化合物の層間にイオンや分子が入り込む「インターカレーション」という現象だ。こうした化合物を電極に使えば、リチウムは電極内でイオンとして存在するため金属リチウムを使うより安全性は高い。
水島さんは爆発事故で隣の研究室を出入り禁止になった。グッドイナフ教授の勧めもあり、研究目標を硫化物から、安全に合成できるリチウムの酸化物に変えた。これがターニングポイントだった。
東大時代に研究で酸化物を使っていた水島さんは、酸化物の物性に「土地勘」があった。数ヶ月で、正極の材料としてコバルト酸リチウムにたどりついた

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最終更新:2013年12月28日 16:42