小学4年生――5月

【小学4年生――5月】

穏乃「GWだねぇ…」

京太郎「GWだなぁ…」

憧「GWねぇ…」

穏乃「……それなのになんで私達、京太郎の部屋でぼけーってしてるんだろ」

京太郎「…暇だからじゃね?」

憧「暇だからねぇ…」

穏乃「そっかぁ…暇だからかぁ…」

京太郎「うんうん」

憧「そうそう」ノビー

穏乃「…って違うよ!」

穏乃「暇ならどっか遊びに行こうよ!!」

京太郎「遊びにって言ってもなぁ…」

憧「うん!山とかオススメだよ!山とか」

京太郎「いや…そりゃ…まぁ…悪くはないんだろうけどさ」

穏乃「でしょ!!だったら、ほら、早く!」

憧「いや…でもねぇ…」





京太郎「山に行くのこのGWで何回目だよ」

穏乃「えっと…二回目?」

京太郎「四回目だよ!!毎日行ってるんだよ!!」

穏乃「う…で、でも、別にいいじゃん。爽やかだし」

憧「そりゃ…あたし達だって山は嫌いじゃないけどね…だからこそ4日連続で付き合ってるんだし」

京太郎「でも、流石に4日連続山で歩いたり走ったりするだけは無理」

穏乃「えー…」

憧「せめて何か目的があれば違うんだけどね…」

穏乃「目的?」

京太郎「あー…秘密基地作るとか?」

憧「流石にそれは子ども過ぎない?」

京太郎「…じゃあ、大人な新子さんは何が良いんだよ」

憧「えっ…そ、そりゃあ……つ、ツチノコ探しとか?」

穏乃「つちのこ?この辺りにいるの?」

憧「昔は目撃証言とかあったそうよ。正直、眉唾ものだと思うけど」

穏乃「まゆつばもの?」

京太郎「違うって。魔術場物。魔女とかが使う道具って事」

穏乃「やだ…なにそれこわい」

憧「違うっての。眉につばつけて聞かなきゃいけないような証拠のない話って事」

穏乃「へぇ…でも、なんで眉につばつけなきゃいけないの?」

憧「え…そ、それは…」

京太郎「それは?」

憧「……」

京太郎「……」

穏乃「……」

憧「そ、そんな事より目的よ目的!」

京太郎「(あ、これ新子もそこまで知らないな)」




憧「で、どうするの?正直、秘密基地でもツチノコ探しでもどっちでも良いんだけど…」

京太郎「意外と乗り気だなぁ…」

憧「だって、暇なんだもん」

京太郎「まぁ、どっちでもこうして部屋の中でぐだってるよりはマシか」

憧「そうそう。若いんだから外に出ないとね」ノビー

穏乃「そうだよ!子どもは皆山に行くべきだよ!」

京太郎「いや、別に山限定にする必要はないんじゃね?」

穏乃「えー…山楽しいのに」

京太郎「つーか、お前の言う山は普通の人の山とは違うから」

憧「基本、修験道を走り回るからねぇ…」

京太郎「それについてけてる俺達もどうかと思うけどさ…」

憧「恐るべし野生のパワー…」

穏乃「?」

京太郎「何でもない。それで…誘った高鴨はどうしたいんだ?」

穏乃「えっ私?」

憧「まぁ、言い出しっぺな訳だしね。どっちが良い?」

穏乃「えっとえと…じゃあね…」


>>+2
末尾偶数:秘密基地を作ろう!
末尾奇数:ツチノコを探そう!






























>>ツチノコを探そう!!

【山】

京太郎「で、山に来た訳だけれど…」

穏乃「~♪」

憧「こら、ノリノリで何時もの道に行こうとしない」

穏乃「え~…」

京太郎「まぁ、何時もの道に行ってもツチノコがいるはずないわな」

憧「そうそう。そんなところにいるのならもうとっくの昔に誰かが捕まえてるって」

穏乃「じゃあ、どうするの?」

憧「普通じゃ通らない所を探してみるしかないんじゃない?」

京太郎「でも、危険じゃないのか?迷ったりとか…」

憧「大丈夫。しずがいるから」

京太郎「えっ?」

憧「しずは昔っからこの山走り回ってるから殆ど庭みたいなもんだし」

穏乃「ふふん」ドヤァ




京太郎「…やっぱ野生児だよなぁ」

穏乃「えー。だって、山って気持ち良いじゃん」

憧「まぁ分からないでもないけれど…しずのそれは行き過ぎって言うか」

京太郎「そんなしずにずっと付き合ってやってるお前も大概だと思うけどな」

憧「その言葉そっくりそのままアンタに返すよ」

京太郎「まぁ、俺は男だし」

憧「未だにしずに勝てない人が男とか信じられないんだけどー?」

京太郎「ぐっ…そ、それはほら…高鴨が規格外過ぎるんだよ…」

京太郎「で、でも諦めた訳じゃないからな!何時か絶対、高鴨を追い抜かしてやる…!」

京太郎「その為に特訓だってやってるし!成長期に入れば俺だってもっと背が高くなるはずだし!!」

穏乃「…えへへ♪」

憧「で…なんでしずはちょっと嬉しそうなの?」

穏乃「え…い、いや、何でもないよ!?」アセアセ

穏乃「そ、それよりほら、山って言っても広いんだから早く行こうよ!」

憧「ふーん…まぁ、良いけど」





京太郎「(で…まぁ、普段通らないような場所を歩いてる訳なんだけれど…)」

京太郎「(やばい…これ結構足に来る…)」

京太郎「(足元がちゃんと踏み固められてないってこんなに体力使うものなのかよ…)」

京太郎「(まるで一歩ごとに膝に重石を載せられてるみたいだ…)」

京太郎「(勿論…最初は気にならなかったけど…一時間も歩くと…かなりやばい…)」

京太郎「(でも…新子にあんな事言われて俺から休憩したいなんて言えないし…)」

穏乃「~♪」

京太郎「(高鴨は高鴨ですっげー嬉しそうに先に行ってるからなぁ…)」

京太郎「(余計言い出しにくいって言うか…なんて言うか…)」

京太郎「(つーかアイツなんであんなにスルスルって先に進めるんだよ)」

京太郎「(まるで山がアイツだけ受け入れてるような…そんな風にさえ思えるくらい…簡単に進んでる…)」




京太郎「(まぁ…そんな訳ないか)」

京太郎「(日頃から山登りしてるからこうした道にも慣れてるだけだろ)」

京太郎「(俺も最近、普通の山道ならそんなに高鴨に離されなくなったんだけどなぁ…)」

京太郎「(もうちょっと…頑張らないと…何時までも追いつけない)」

京太郎「(それは…流石に格好悪いよな)」

京太郎「(何時か勝つってそう言ったんだから…その為にもっと身体を鍛えないと…)」

京太郎「(何時までも新子にからかわれ続けるのも腹立つしな…って)」

京太郎「(あれ…?その新子は何処行った…?)」

京太郎「(さっきまでは俺の横にいたはずなんだけど…)」キョロキョロ

憧「はぁ…はぁ…ぁ」

京太郎「(あ…大分、後ろだけど…居た)」

京太郎「(はは。アイツ…顔真っ青にしてやがんの)」

京太郎「(今にも倒れそうじゃねぇか…なんで休憩したいって言わないんだ?)」

京太郎「(…って、さっき俺の事体力ないってからかってたから言えないのか)」

京太郎「(新子も大分、意地っ張りだよなぁ…まぁ…気持ちは分かるけどさ)」

京太郎「(仕方ない。…ここで新子に倒れられると大変だし…)」





京太郎「お、お~い…高鴨ぉ…っ」

穏乃「え…?あ…っ!」

京太郎「悪い…ちょっと休憩しようぜ」

京太郎「そろそろ俺の足が動かなくなってきた」

憧「あ…」ホッ

穏乃「ごめん…また私、気づけなくて…」シュン

京太郎「良いって。気にすんなよ」

京太郎「それより…どっか座れそうなところないか?そろそろ足がガクガクでさ」

穏乃「うーん…ちょっと待ってね…」キョロキョロ

穏乃「あ、あっちの方に座れそうな岩場があったかも」

京太郎「よし。それじゃそっちに行こうぜ」

京太郎「…新子もそれで良いか?」

憧「は…ぁ…はぁ……う…うん…」





京太郎「よし。んじゃもうちょっとだし頑張ろうぜ」

憧「う…う…ん…」

京太郎「…どうした?」

憧「や…あの…」

京太郎「…口開くのも辛いだろうし無理に言わなくても良いぞ」

憧「あ…う…うん…」

京太郎「後、高鴨。大分、辛そうだし新子と手ぇ繋いでやってくれ」

憧「え…っい、いや…良いよ…っ」

穏乃「え…でも…憧かなり辛そうだよ?」

京太郎「そうそう。無理すんなって」

憧「だ、大丈夫だって…」



勿論、それに甘えたい気持ちは憧にもあった。
今よりずっと昔から穏乃に付き合っていたとは言え、憧の身体は穏乃のように規格外ではない。
その身体は早めに成長期を迎え、少しずつ女の子らしさを増していった。
そんな彼女が身体を鍛え始めた京太郎でさえ辛い道のりを走って辛くないはずがない。
正直な事を言えば、今すぐその場に座り込んでしまいたいのが本音であった。

憧「(でも…そんな事出来る訳ない…)」

新子憧という少女は聡明だが、それと同じくらいに意地っ張りな性格をしている。
そんな彼女にとって、さっきからかった男の子に気を遣われただけでも屈辱的なのだ。
その上、彼の前で穏乃に手を惹かれるだなんて情けないにもほどがある。
穏乃が指した休憩所はそれほど遠くないのだし、それくらいまでは我慢しようと思ったのだ。

穏乃「良いから…ほら、憧。行こう?」
憧「あっ…」

そんな彼女にとって不運だったのは3つ。
一つは穏乃が先走ってしまった自分に強い後悔していた事。
普段は中々見ることが出来ない山の景色に穏乃は夢中になり、同じ失敗を繰り返したのである。
それを心苦しく思う穏乃が、苦しそうに肩を揺らす憧を放っておけるはずがなかった。


憧「い、良いから放っておい…きゃああっ!」

2つ目は近づく穏乃の手から逃げるように後ずさった先がなだらかな坂だった事だろう。
普段の憧であれば簡単に下れるそれに、しかし、体力を減らした憧は足を滑らせてしまった。
結果、その小さな身体はバランスを崩し、そのままズルリと斜面を滑り落ちていく。
その勢いは決して早いものではなかったが、しかし、疲労した憧が止められるものではなかった。

京太郎「新子!?」
穏乃「憧っ!!大丈夫…!?」
憧「いたたた…」

それに驚いて二人が坂を覗き込めば、十数メートルほど下で尻もちをついた憧の姿が目に入る。
その目尻に涙を浮かべ、身体には葉っぱや枝を巻きつけているが、大した怪我はない。
多少の擦り傷程度で、捻挫すらしていなかった。
滑り落ちた距離からすれば奇跡のようなそれに感謝しながら、憧はそっと立ち上がろうとして… ――


















―― ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ













憧「…え?」

そして3つ目。
彼女にとって致命的に不運であったのが、憧が滑り落ちた先には茶色いボールのようなものがあったという事だ。
ドッジボールを幾分、大きくしたようなそこには穴が幾つも開いており、無数の虫が出入りしている。
黄色と黒のまだら模様を身体に刻んだその虫の名前は… ――

穏乃「蜂!?」

―― カチカチカチカチカチ

憧「ひっ」

叫んだ穏乃の声に答えるように虫 ―― 蜂たちは一斉に鋭い歯を鳴らす。
一般的に警告音とも言われるそれに憧は身体を強張らせた。
今すぐ離れなければ攻撃するぞというその音の意味を、憧は知らない。
だが、そこに込められた無機質な敵意に彼女の幼い身体は強張ってしまう。

京太郎「っ…!」

そして身体を強張らせていたのは憧だけではない。
彼女の様子を上から見ていた京太郎もまたその身体を強張らせる。
それは勿論、このまま傍観していれば大事な友人が大怪我を負ってしまうからだ。
しかし、そうと分かっているのにゆっくりと威嚇するように飛び立つ蜂の群れに中々、身体が動かない。

京太郎「(俺は……っ)」

坂と蜂の巣は丁度、憧を挟むように位置している。
このまま憧を助ける為に坂を下ればあの蜂の群れに真正面から突っ込む事になるだろう。
その事実に竦む二人の中、先に動いたのは… ――


>>+2
00~30 最初に動いたのは穏乃だった。
31~60 穏乃と同時に駈け出した。
61~99 いつの間にかその身体は駆け出していた。
ゾロ目 ???





























>> 穏乃と同時に駈け出した。

京太郎「っ!」
穏乃「憧っ!!」

その想像に二人が竦んでいたのは一瞬であった。
ほぼ同時に大地を蹴った二人は一気に斜面を降る。
ぐっと大地を蹴って前へと進む彼女たちがバランスを崩さなかったのはまさに奇跡だろう。
だが、その奇跡も虚しく、警告に従わない憧に蜂たちが牙を剥く。

京太郎「高鴨っ!」
穏乃「うん!憧…っ!」
憧「あ…っ」

その短いやりとりでお互いの意思を確認した二人は別々に動く。
穏乃は腰を抜かした憧の手を取り、強引に立たせた。
そのまま走って行く穏乃に背を向けて、京太郎は持っていた網を広げる。
ツチノコを捕獲する為に用意したそれは大型であり、また網目もしっかりとしていた。

京太郎「う…おおお!」

それを声をあげながら振り回す少年に蜂たちは敵意を向ける。
そこにはもう先に逃げた少女たちへの警戒心はなく、明らかな外敵を排除しようと動いていた。
そのまま針を突き出し、襲いかかる無数の敵意は山登りする為に着込んだ厚手の服が幾らか緩和してくれる。
しかし、顔や手など露出した部分への攻撃までは防げず、一分も経った頃にはその顔は真っ赤に腫れあがり見るも無残な姿になった。

京太郎「(痛い熱い苦しい…!)」

網を幾ら振り回しても減らない無数の悪意。
その渦中で踏みとどまる京太郎の身体はそろそろ限界を訴えていた。
蜂に刺される度に身体は痛みを覚え、熱く火照り、苦しくなっていく。
風邪を引いた時の火照りを何倍にも強くしたそれは今すぐその場から逃げ出せと訴えていた。

京太郎「(でも…まだもうちょっとだけ…!)」

それでも京太郎が逃げ出さないのは二人の身体がまだ視界の向こうまで消えていないからだ。
まだ足が竦んでいるのか憧の歩みは遅く、それに付き合う穏乃もまた完全に見えなくなってはいない。
そんな状態で自分がいなくなれば、蜂たちは二人へと攻撃を始めるかもしれなかった。
少年と言えども男のプライドと言うものを芽生えさせ始めた年頃の京太郎に、それは決して看過出来るものではない。

京太郎「(…よし…!)」

二人が見えなくなったのを確認してから京太郎は別の方向へと走りだす。
そんな彼を蜂の群れが追いかけ、攻撃を続けるが、もう京太郎はそれに構わない。
その手に持っていた網を投げ捨てて、一目散に逃げていく。
勿論、茂みが生い茂る山の中で全力疾走など出来るはずもない。
悪意の塊となった蜂たちは執拗に京太郎を追いかけ、攻撃を続けた。

京太郎「あー…」

しかし、それも十数分もすれば弱々しいものになっていく。
外敵が自分たちのテリトリー外へとさった事を確認した蜂たち巣へと戻っていったのである。
それを確認した頃には京太郎の全身は熱く、指先は腫れ上がりすぎてろくに曲げられないくらいであった。
そんな状態で走り続ける事など出来るはずもなく、京太郎は声をあげながら地面に腰を下ろす。

京太郎「(痛ぇ…)」

しかし、それすらも痛くて仕方がないのは彼の服の中に何匹か蜂が入り込んでいたからだろう。
元々、蜂を狩るつもりなどなかった彼の服は厚手ではあるものの、完全に進入路を絶っていた訳ではないのだから。
ほんの数分の邂逅の間にその入口を見つけた蜂たちは彼の全身にその傷跡を残していた。
それは彼の腰周りも例外ではなく、毒素の所為で真っ赤に腫れあがっている。

京太郎「(あいつら…無事かなぁ…)」

そんな彼が思い浮かべるのは後悔ではなく、先に逃げた友人達への心配だった。
見る限り、蜂の殆どは自分へと向かっていたとは言え、何匹かは二人にも向かっていたのかもしれない。
正直、刺される痛みに踏みとどまるのが精一杯で、ちゃんと確認出来た訳ではないのだ。
実際は京太郎のお陰で無傷で山を降りられたのだが、それを彼が知る由もない。

京太郎「(ま…何はともあれ…)」

その思考を京太郎が打ち切ったのは、それが考えていても仕方がない事だったからだ。
まったくの別方向に逃げた以上、途中で合流するのは不可能である。
ならば、まずは山を降りなければ二人の安否を確認する事も出来ない。
そう思って立ち上がった京太郎は周囲を見渡して… ――

京太郎「…ここ何処だ?」

鬱蒼と生い茂った木々の中、一人走り回るのに必死だった彼は完全に方向を見失っていた。
その進路をどちらに持っていけば良いのかさえ今の京太郎にはまったく分からない。
それでも動かなければいけないとそう思った彼の耳に微かなせせらぎの音が届いた。

京太郎「(…川かぁ)」

そこで京太郎が思い出すのは憧に習った遭難時の対処法だ。
山で遭難した際は出来るだけ動かずに救助を待つ。
それが出来ないならば川を探し、それを下っていけば大抵、人のいる場所に着く。
勿論、それは場所によっては命取りになりかねないものだが、この阿知賀の地では大丈夫。
そう付け加えられた言葉までは覚えてはいなかったものの、それは人知れぬ山奥で迷った彼の指針になった。

京太郎「…よし」

思い出の中の憧の言葉に従い、京太郎はゆっくりと歩き出す。
その歩みは決して早いものではなく、寧ろ、遅々としたものであった。
それでも休む暇もなく走り続けた所為で、限界を超えた疲労が何度も彼の身体を休ませる。
時にその身体を川の水で冷やしながら歩き続けた彼は、数時間後、何とか山を降りる事に成功した。

京太郎「(あー…死ぬかと思った…)」

住宅地に入った京太郎はそっと肩を下ろしながら、安堵を浮かべる。
少しずつ見慣れた阿知賀の町並みに彼はつい涙すら浮かべそうになった。
幾ら悪ガキであるとは言え、小学4年生にとって一人で山に取り残されるというのは心細いものであったのである。
特に夕焼けが空を染め、陽の光が弱まっていた頃など強い焦燥感を覚えたくらいなのだから。
それらから解放させる心地良さに京太郎は肩を揺らし、ゆっくりと帰路を歩む。

憧「須賀…!」
京太郎「…ん?」

そんな彼に声を掛けてきたのは、憧であった。
ほんの数時間前に別れた彼女の顔には特に腫れ上がっていた様子はない。
それに京太郎が安堵を強めた瞬間、憧の顔がクシャリと歪み、その目尻から大粒の涙を零した。

京太郎「ちょ…っ!?だ、大丈夫か!?」

普段は気丈で生意気な憧の泣き顔。
それに京太郎が焦りを覚え、思わずそう訪ねてしまう。
無事だったのは外見だけで、もしかしたら何処か怪我でもしたんじゃないだろうか。
そう思う彼の前で憧は泣き顔を隠す事なく、大きく口を開いた。

憧「馬鹿!それはこっちのセリフなんだから!!」

憧の目に映っている京太郎は見るも無残なものであった。
時間の経過と共に幾らか腫れも引いているが、それは彼の完治を意味しない。
その顔は未だ醜悪なもので、夜中に見れば化物と思われてしまいそうなままである。
そんな状態にも関わらず、真っ先に自分の心配をするのだから、憧が馬鹿と言いたくなるのも仕方のない事だろう。

憧「心配…心配したんだから…」
京太郎「あー…」

そのままポツリと漏らす憧の言葉に京太郎は何と言えば良いのか分からない。
普段とは打って変わって気弱な憧に、正直、困惑していたのだ。
てっきり会ったところで何時もと同じ軽口の応酬が始まると思っていただけに何となく収まりが悪い。
けれど、大粒の涙を手の甲で拭いさる憧に何か言わなければいけない事は分かっていた。

京太郎「その…ごめんな」
憧「な…んで…アンタが謝るのよ…」

憧の脳裏に浮かぶのは、逃げるしか無い自分の姿だった。
下手に意地を張った所為で坂を落ちた自分を助ける為に京太郎と穏乃は危険を冒す事になったのである。
しかし、自分はそれに対して何も出来ず、ただただ穏乃に引かれて逃げる事しか出来なかった。

憧「謝らなきゃいけないのは…私…なのに」

その言葉と共に憧の涙がブワリと漏れ出す。
今までの大粒のものとは違い、一筋となって流れだすそれに京太郎は何と言えば良いのか分からない。
勿論、今も痛くて苦しいし、寂しかったのは確かではあるが、京太郎はそれを憧の所為だと思うほど狭量ではなかった。
それなのにこうして泣かれると、正直、自分の方が悪い事をしたのではないかと思ってしまうのである。

京太郎「…でも…新子は俺の事探しに来てくれたんだよな?」
憧「…うん…」

それでもそうやって京太郎が口を開くのは、阿知賀の端にあるこの場所に憧が居たからだ。
京太郎の家からも憧の家からも遠く離れた場所にわざわざ来る必要はない。
だが、憧は自身が教えた言葉が山中で一人取り残された京太郎の指針になったのではないかと思ったのだ。
その為、山を捜索する穏乃や大人たちとは別にこうして一人待っていたのである。

京太郎「だったらそれでチャラだ」
憧「え…?いや…でも…」

京太郎の何気ない言葉に憧は驚きを覚える。
それは勿論、自分のした事を彼にさせてしまった事の比重が取れていないからだ。
それなのにチャラだと言われても、すぐさま納得など出来るはずがない。

京太郎「…待っててくれて嬉しかったから…それで…良いんだよ」
憧「あ…っ」

けれど、京太郎は首を振りながらそう言った。
重ねて言い聴かせるように、彼は自身の内心を吐露する
それは勿論、恥ずかしい事だろう。
硬派ぶって見せたい年頃にとって、それはあまりにもハードルが高い事である。
実際、彼の頬は夕焼けとも腫れとも違うもので真っ赤に染まっていた。

憧「…もう。ホント…馬鹿」

そんな京太郎に憧はそうとしか言えなかった。
本来ならば京太郎はもっと憧に大きなものを要求しても良い立場である。
それこそ今までの分の仕返しとばかりにからかわれても文句は言えない。
しかし、京太郎はそんな事はせず、ただ、嬉しかったとそう言ってくれた。
それに幾分、救われてしまった心は、震えながらそう言葉を漏らすしかなかったのである。

京太郎「馬鹿馬鹿うるせぇよ…ほら、帰るぞ」
憧「…うん」

そう言って歩き出す京太郎にそっと憧が並んだ。
そんな二人の間に会話はなく、沈黙だけが流れる。
京太郎は唇までも真っ赤に染めて、言葉を放つのが億劫であった事もあったし、憧は何を言えば良いのか分からなかったからだ。
何時もならば京太郎をからかう言葉が簡単に飛び出すはずなのに、今はそれらが浮かんでこない。

憧「…ねぇ」
京太郎「ん?」
憧「…あたし、今日の『借り』は絶対、忘れないから」

代わりに憧の心に浮かぶのは京太郎に対する強い感謝であった。
自分の失敗を許し、精一杯の贖罪を受け入れてくれた彼に対する暖かな気持ちだったのである。
それは決して言葉にして表せるような小さなものではない。
だが、その決意を表明する為にも、憧はその言葉を敢えて口にした。

憧「例え…『京太郎』が忘れても…絶対に忘れないからね」
京太郎「…好きにしろよ」

何時しか変わった呼び名。
それを京太郎が意識する事はなかった。
それほどまでに自然に変わったそれに彼が気づいたのは翌日、穏乃の前で彼女がその呼び名を使ってからである。
そんな鈍感な彼が今、隣で頬を赤く染める憧の存在に気づくはずがなく… ――




―― 二人はそのまま横に並んだままゆっくりと家路へとつくのだった。

















【System】
新子憧との思い出が一つ増えました。
新子憧の好感度が3(1+2)されました。
現在の憧の好感度は4です。














【オマケ】

京太郎「にしても川があれば山で遭難しても大丈夫なんだなぁ…知ってて良かったぜ」

憧「いや、危ないから」

京太郎「えっ…」

憧「この辺りはダムもないし滝もないから川降りれば良いって言ったけど」

憧「山で天気が変わると増量するし、滑って川に落ちることも良くあるみたい」

京太郎「…そ、そんな危険なルート進めるなよ!」

憧「だから、アレはここの山で迷った場合の話だってば。他の山だったら上を目指した方が安全なの」

憧「って言うか、私、その辺の事ちゃんと説明したと思うけど?」ジトー

京太郎「あ、あはは…わ、悪い」

憧「まったく…ま、良いけれどね」

憧「それよりほら、家帰って報告したら次は病院に行くからね」

京太郎「えー…病院とか辛気臭いし行きたくないんだけど…」

憧「私くらいの年頃だと蜂の毒って洒落にならないんだからちゃんいかないとダメ」

憧「その腫れを引かせるクスリとかも貰えるだろうし、素直に従っときなさい」

京太郎「うー…仕方ないかぁ…」
最終更新:2013年09月21日 14:33