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フィンレーテの叫び声がコロの鋭い聴覚に届いたのと同時に、戦場の辺り一帯を舞い散る花弁と毒の甘い匂いが覆い尽くす。シベルは反射的に口許を襟のファーで塞いだ・・・が、最初にフィンレーテの毒で昏倒した時の様な目眩は感じなかった。防毒薬が効いているのだろう。

「がうっ!がううっ!!」

事前にベロニカとマーヴェラスに与えられた、シベルとコロの役割。それはチャーチのゾンビ兵より銃器隊を殲滅する事であった。コロの俊足によって照準を合わせ引き金を引く余裕も与えられない銃器兵を咬み殺すなど、コロには造作もない事であった。銃で撃たれても、首輪の力か、コロの傷はたちまちの内に修復されてゆく。シベルはコロのやや後方で雪原の丘陵に隠れる様にしながら、コロに指示を与える。

コロの義眼の目は、しべ、しべと叫ぶフィンレーテの身体を一心に捉えていた。自分が真っ先にフィンちゃんを助けてあげるんだ、そんな覚悟がコロの義眼の瞳に浮かんでいる。

シベルは徐に後方を見た。ゾンビ兵達は結社の聖霊術を籠めた得物によって次々と粉砕されてゆく。

 

 

「防毒薬・・・じゃと?」

サンダルフォンは防毒マスク越しの黄石の瞳を瞬かせ、報告に来た前線からの斥候の顔を凝視した。こんな急場で、これだけの人数に、恐らく短時間の効能とは言え、薬を量産して配布する。

(・・・ノイエスが裏切りおったか)

殆ど直感でわかった。あの男の手際でしかあり得ない。だとしたら少し厄介な事になる。こちらはマスク、ベロニカの帝国兵達は率先して銃器兵のマスクを引き剥がして毒で自滅させる手を使っている。向こうが何の装備もなくとも毒に耐えられる、という事実を双子はここで初めて認識し、拙い事になったものだと苦々しい顔をした。

だが詮無き事。兵力及び地の利はこちらにある。結社隊員は兎も角、帝国兵は雪原にて足を取られる状況に馴れてはいない様だ。銃器兵がやられても、後方に控えている、雪に馴れたチャーチの精鋭が簡単にやられるとは思っていない。

「・・・戦線を前に出せ。白兵戦に持ち込む。マスクだけは剥がされない様に伝達せよ」

メタトロンは斥候に指示を出した。

 

 

どおおん、と、また大砲が煙を勢いよく吐いた。フィンレーテの悲鳴が微かに混じる。その悲痛な声がまた、シベルとコロの闘争心に火を付ける。フィンが怖がってる。今度こそ、今度こそ助けてやる。もうあの列車内での弱みは見せない。

だが彼等の前に立ちはだかり、突進してくる青白い槍の穂先があった。

「てっ・・・てめーは!」

他でもない、マスクを付けて顔こそ見えないものの、列車にて生き延びろとシベルに告げて戦線離脱させた、あの槍の男だ。

「コロ!かわせっ!」

シベルの指示も間に合わなかった。銃器兵の喉元を噛み切ったコロの脇腹に、青白く聖霊の光を湛えた槍の穂先が突き刺さった!

「きゃうんっ!」

コロの悲鳴が辺りに響き、喉を切られ絶命した銃器兵の傍らにコロがへたり込む。刺された脇腹は傷こそ浅いものの、じゅうじゅうと燐光に焼かれる様な傷を負っていた。それでもコロは立ち上がる。槍の男を真っ正面に見据え、痛みを感じない身体を幸いに思いながらぐるると腹の底から唸って牙を剥いた。

「なんでてめーは戦うんだ!何の為になるってんだ!」

シベルは意識せずに、槍の男に叫んでいた。自分でも自分の問いの深い意味など判っていなかった。それでも胸の内に溢れ出る疑問を、目の前の敵にぶつけずにはいられなかった。

「・・・」

「故郷を滅茶滅茶にして何がしたいんだよ!てめーは俺に言ったじゃねえか!生き残れって!

ほんとはてめーも望んでないんじゃねーのか!?フィンをあんな風に使って、コロを傷つけて、オレの故郷を滅茶苦茶にして!戦争なんか起こしやがって!!

それがてめーの望んでる事なのかよっ!」

 

 

槍の男の穂先が震えた。闘気が揺らいでいる。

何故戦っている?何を自分は為そうとしている?

まさかあの化け物の双子が怖いのか?

 

 

「黙れ小僧っ!子供は温和しく村にでも帰ってぬくぬくと暮らしていろ!!」

「フィンを巻き込んだ責任を取らせる!てめーの親分の指示だってんなら親分もやっつける!!

これ以上オレの周りを滅茶苦茶にすんじゃねえよおおおおおっ!!」

悲鳴染みた怒号を挙げ、シベルは無意識の内にコロより前に走って槍の男にナイフを構えて突撃していた。そうだ、自分はフィンとコロと、平和に暮らしたいんだ。もう失う恐怖を味わいたくない。あの愛犬の時の様に自分の無力さの所為で何かを失いたくない。精一杯やれる事をやって、それから後悔なり何なりすればいい。もううち拉がれるのは御免だ。自分は無力だと諦めるのは嫌だ。こうやって味方が居る。コロも、ベロニカも、マーのおっさんも居る。自分は決して無駄な存在などではない。

男は立ち竦んでいた。シベルの気迫に圧されたのだ。まさかこんな子供に。そう思っても、この目の前の子供の吐いた台詞が一々胸の一番痛む箇所に突き刺さった小骨の様で気持ち悪く、身動きが取れない。

どん、と軽い衝撃と共に、シベルの身が体当たりの格好で男の胸ぐらにぶつかった。シベルの手に握られたナイフは、男の影腹にぐっさりと刺さって居た。

 

 

雪国の陽が沈むのは早い。そして夜の帳が降りても、尚戦闘は続いている。双方の被害は甚大だった。体質により薬の効力が存外に早く切れて毒に中てられ命を落とす兵も居た。激しいぶつかり合いの白兵戦で倒れる者も多く居た。マスクを剥がされ悶絶しながら甘い匂いの毒の中、泡を吹いて死んでゆく兵も居た。

マーヴェラスはそれでも前進を止めなかった。むしろ後方の結社部隊の先鋒を務めてチャーチの一軍の防衛戦へと突き進んでいた。

あの双子を止めねば。早く正体を明らかにし、元同胞であるチャーチの面々に正しいのは誰なのかを喧伝しなければ。その一心だった。だが双子に動く気配はない。のっぺりと壁の様に立ちはだかる大砲の後方に陣取り、戦況を眺めている。

 

 

双子は血の匂いに釣られる本能を抑えるのに必死だった。戦場には毒の甘い香りと血の生臭い匂いが充満している。今すぐそのど真ん中に飛び込んで、食らえるものは食らい尽くしたい。そんな本能が脳髄を支配しようとするのを抑え込む事に集中しなければ、気が狂ってしまいそうだった。

戦場を、夜の闇が支配し始める。聖霊術の青白い光を反射する、血に赤く染まった雪が眩しく光っている。迷いと決意、本能と理性、各々のそれぞれが拮抗していた。

 

 

 

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最終更新:2015年02月17日 12:12