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夕刻、帝国内のネクロマンサー協会本部に、雪国由来の伝書鳥がやってきた。猛禽の足に括り付けられていた手紙には、ベロニカの筆跡で「結社と合流、至急以下の場所に援軍と防毒薬の手配を頼む」との記述がなされていた。

ノイエスは手紙を受け取り考え込んだ。ややこしい話になったものだ。チャーチに秘密裏の内に呪術具を横流ししている事がベロニカに知られたら、それこそノイエスは厄介な立場に置かれる。全面戦争は避けたい。しかしノイエスの頭は何処か冴えきっていた。

そろそろチャーチと縁を切るべきかも知れませんね。チャーチは大きくなりすぎた。

チャーチと雪国自治府を強化させ、それらに対抗する帝国のネクロマンサー協会の仕事を増やし、成果を上げ、予算を帝国政府からより多く頂く。それがノイエスの筋書きであったのだ。

だがしかし、ノイエスは協会の発展に興味は無い。

全てはイヴの為なのだ。

イヴさえ居れば、イヴさえより完全な形に近づく事が出来れば、彼はそれで満足だった。その為の協会の地位確立である。協会の仕事が嫌いな訳ではない。子供にお守りをあげたり、ネクロマンサーの在るべき姿の教えを説くのも彼の性には合っているし、天職だとも自分自身で思っている。しかしその根底にあるイヴへの思いはどうしたって揺るぎもしないし優先順位が代わる訳もない。

兎に角此処は、勢力を増しすぎたチャーチを潰す為にも、防毒薬をベロニカに渡すしかない。乞われた分の薬の増産など、訳も無い事だ。

ノイエスは執務室を出て、軍部の研究所へと向かった。

 

 

それから深夜。ノイエスからの返事は割合早く来た。援軍と、薬の増産及び結社の隠れ家への運搬には二日ほどかかる。それまで何とか持ちこたえて居て下さい。柔らかな筆致で書かれた手紙を受け取り、ベロニカは少し眉を顰めた。二日。その間にもチャーチの例の兵器は実装されるかもしれない、しかし間に合わない時間でもない。ノイエスは最善を尽くしてくれている。私は彼を疑っていたが、それは只の杞憂だったのか?あのノイエスの常時もの微笑が頭を過ぎる。しかしベロニカは自分の直感を拭いきれずに居た。

 

 

「コーロ!ちょっと来い!」

結社のアジトの在る森から少し離れた処、チャーチが攻めてこないか見張り役を任されたシベルは、深く積もった雪の中で遊んでいたコロを呼んだ。雪の中に顔を突っ込んで何やら掘る様にふんすふんすしていたコロが顔を挙げ、シベルを見る。

「お前、暴れすぎだろ。体液で身体べっとべとじゃねえか」

気付けばコロの身体の破れて骨の見える箇所から、血とも何ともつかないゾンビ特有の体液が溢れて、コロの毛皮をびっしょびしょに濡らしていた。くうん、とひとつ鳴いて、コロはまた嬉しそうに体液撒き散らしてシベルの元に駆け寄る。ほっぺわしゃわしゃして、と言わんばかりにシベルの胸元に飛び込んで、顔をうりうり。漏れ出した体液は、シベルの毛皮の衣服を濡らした。

「うぇっ、なすりつけんなよ!首輪もべとべと・・・ちょっと洗ってやるからこっち付いてこい」

コロの首に付けられていた呪術具の首輪も、長旅の間に体液に濡れていた。コロを連れて、シベルは見張りの交代時間である事を懐中時計で確かめると、また森の中へと戻っていった。

交代の帝国兵と少し挨拶を交わして、シベルはお湯を貰ってテントに入り、暖かいストーブにあたりながら手持ちの大判布でコロの身体を拭いてやった。首輪を外すと、少し体液が糸を引いていた。

「楽しいのはわかるけどよー、お前凍っちまうぞ、そんなでろでろの身体じゃあ」

「わふ?」

シベルが手桶のお湯で首輪を洗って居るのを、コロはきらきらした義眼の目で見つめていた。宝石(恐らくこのシンプルな光る石が呪術具の本体なのだろう)も丁寧に指で擦る様に濯いで、お湯から首輪を引き上げ、ぴっぴっ、と軽く振って水気を切る。シベルの手で乾いた布で汚れを拭ったその宝石は、当初の輝きを取り戻していた。シベルが両手で再びコロの首に首輪を巻いてやろうとすると、千切れて取れそうな尻尾をぶんぶん振って、早くつけて、早くつけてとアピール。コロもこの首輪が余程気に入っているらしい。

興奮して首をぶんぶん振って暴れるコロに難儀しながらも、首輪を付けてやった。シベルはコロの仕草に笑みを浮かべながらも、フィンレーテの事が気になって仕方なかった。自分とコロがこうやってのんびりしている間、フィンはひとりなんだ。何処かできっと泣いているんだ。勿論フィンレーテはアンデッドなのだから涙を流したりする事は無いのだが、何故かシベルの脳裏に浮かんだフィンレーテの幼い柔らかそうな頬は涙に濡れていた。

 

 

チャーチ本部、新兵器の建造ラボに連れてこられたフィンレーテは明らかに衰弱していた。寒さに関しては、チャーチの研究員が精密に蒸気熱にて湿度や温度を管理している為問題はない。フィンレーテは自立思考で動いているのだから、術者との距離も問題ではない。毒を封じる手枷を嵌められているとは言え、手枷に衰弱させるだけの強大な効果もない。フィンレーテの衰弱は、明らかに不安と恐怖と、シベルやコロの居ない寂しさから起因するものだった。見た事も無い軍服や白衣の大人達に囲まれ、蔦を弄くられたり花をもがれたり、・・・ゾンビ故痛みを感じる事はないのに、フィンレーテは顔を泣きそうな表情に歪めて弱々しく嫌々と頭を横に振っていた。

フィンレーテは墓の中の事を思い出していた。あんな冷たくて暗い処はもう嫌だ。でも今は違う。煌々とランプの明かりの眩しい室内、蒸気で熱せられた空気。墓とはまるで正反対の場所に居るというのに、同じ恐怖を今自分は感じている。それは「居て欲しいひとが傍に居ない怖さ」。フィンレーテも生前は優しい家族や楽しい友達と共に普通の女の子として生きていた。それらから急に死によって断絶され、暗くて冷たい場所に閉じ込められて。シベルに蘇らされた時も、最初こそ怖くて森に逃げてしまったが、後々のシベルの蔦を切ってくれる手の暖かさ、自分が落とした種を食べたコロの嬉しそうな笑顔(狼の笑顔というのも変な話だが)、それらがフィンレーテにはとても嬉しく、優しく、暖かいものだった。

今自分は墓の中とおんなじ場所に居る。誰も味方は居ない。やさしいしべも、ころも、いない。

それに先刻から遠くより聞こえる、地響きを伴う大きな爆発音。とても怖かった。一体自分がこれからどうなってしまうのか、見当も付かないのが怖かった。ただ、あの爆発音と自分は決して無関係ではない、そんな勘染みた予感がフィンレーテの小さな身体の隅々を恐怖でこわばらせていた。

 

 

二日間。結社と帝国兵、そしてそれに対するチャーチに動きはなかった。

嵐の前の静けさ。勿論気を抜かず厳重に双方互いの動きを見張り合って居たが、そう言っていい様な、本当に何もない、静かな二日間であった。

戦争の火種であるフィンレーテは、研究室にて、もう考える事すら止めて、なすがまま、巨大な鉄の塊に蔦を絡ませ括り付けられた。

着々と、静かな内に、戦争は進んでいた。

 

 

 

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最終更新:2015年02月12日 16:01