それから一時間ほど後。ふたりきりの執務室にて。
あの時のサンダルフォンの提案に、メタトロンは少なからず驚いた。何処の馬の骨とやらも判らぬ流しのネクロマンサーの少年に、ノイエスとコンタクトを取る様促したのだ。
「本当に信用してよかったのか?」
「トロン、怖がりすぎ。だって考えてみなよ。
まさかあんな子供がスパイだなんて誰も思っちゃいないさ。あんなに純朴そうな・・・ま、頭悪そうな子、ノイエスだって警戒しない。いや、スパイって思ってもいいんだよ。雪国訛りでばれたって、僕等が『帝国はこんな少年まで手に掛ける非情な軍だ!』って言えるじゃない。
そしたら僕等だって動きやすくなる。帝国に喧嘩売る口実、できるじゃん?」
メタトロンにはサンダルフォンの策略は難しすぎて判らない。只、たまに出てくる過剰な恐がりや暴走癖がなければ、これ程頼りになる相方は居ない。マーヴェラスを追いだした時の様なこっちの根回しも、別に苦にはならない。
なぜならこの双子は、相方が倒れてしまえば、自分自身もまた壊れて消える運命にあるのだから。
結社に拾われる前、雪原で無邪気に遊んでいた双子に声を掛けてきたスーツケースを持ったおじさんを食い殺してしまったのは全くの想定外の事故だった。サンダルフォンの頭を優しく撫でてきた人間の匂いが、キメラの「人を襲いたい欲求」を刺激してしまったのだ。結果サンダルフォンは恐らく帝国の手先であろうそのおじさんの腕を食い千切った。血の匂いに感化されて、メタトロンもまた我を失った。気が付けばおじさんは無残に獣に食い殺された様な姿で雪原に倒れていた。落とした勢いで外れたものか、スーツケースの鍵が開いていた。メタトロンが開けてみると、そこにはふたつの宝玉。
『トロン、どしたの?』
『・・・「ぞんび、けいたい、いじそうち」・・・だってさ』
この事件の少し前から、双子はある現象に怯えていた。上半身を覆っていた羽が異常に抜け落ちたり、鱗が剥げてきたりしていたのだ。このままでは崩れて消えてしまうのではないか。双子はそんな恐怖を感じていた。その恐怖を頭から振り払う様に、街を離れて雪原を彷徨い歩き、遊んでいたのだ。
宝玉に添えられていた説明書は矢鱈難しく書かれており、朧気にしか意味はわからなかった。巧く文章を咀嚼できる冷静さも双子にはなかった。しかしもしかしたらこれを使えば、自分達が壊れてゆく事はなくなるのではないか、それは理解できた。
胸の肋骨の隙間に、双子はそれぞれ宝玉を押し込めた。ずんと重かった身体が楽に軽くなる感覚を覚えた。しかし、双子は重大なミスを犯していた。
『あれ?・・・これ、サナのじゃね?』
『え?うそ?じゃあ僕のこれがトロンの?』
それぞれの維持装置、宝玉、心臓を、取り違えて入れてしまったのだ。これが意味する所は簡単だった。どちらかが死んでしまえば、自動的にもう一方も崩れ去ってしまう。一蓮托生。最早双子はお互い庇い合いながら行動するしかなくなった。サンダルフォンは今にも泣き出しそうな顔をしている。こんな顔、悲しくて見ていられなかった。どうして自分達ばかり、こんな目に遭うのか。
『大丈夫。俺がお前を守ってやる。俺が死ななきゃ、サナが死ななきゃ全部巧くいくんだから』
そうやって、失敗を誤魔化すしかなかった。
がたん、がたん。チャーチの計らいで、雪国から帝国に向かう貨物列車の中。シベルは大きなスーツケースを抱えて、客席にてのんびり車窓の外の景色を眺めていた。時間が経つ毎に雪の層は薄くなり、地表が見て取れる様になった。シベルは無意識の内にスーツケース・・・首輪の力でバラバラに解体されて眠っているコロに触れていた。お前にも見せてやりたいよ、この景色。
老師から指定されたのは、帝国の中心街にある協会の本部。そんな重要な所に潜り込めるのか、と問うたら、協力者は向こうにもいくらでもいる、兎に角この人物に会ってこい、と一枚の紙を渡された。
そこには「ネクロマンサー協会、ノイエスと言う男に会え。軍に何か聞かれたら、『ノイエスの一存だ』とだけ言え」との一文が記されているのみ。
物思いに耽っていると、がたん、と突然列車が止まった。ざわざわと乗客が騒ぎ出す。
「なんだなんだ?」
「軍の検問だってよ。急いでるのに勘弁してくれよー・・・」
軍。シベルの心臓がどくんと跳ねた。と、シベルの縮こまっている客席のある車両に、軍服姿の女性が手下を引き連れて入って来た。冷静になれ。なんでもない振りをしろ。シベルは自分にそう言い聞かせ、唯々下を向いていた。
軍靴の音が、シベルの席で止まる。頭上から、女の声が響いてきた。
「貴様、雪国の人間か?渡航理由を言え」
顔を挙げて女性の顔を見る。紅いロングヘアをオールバックに固め、意志の強そうな瞳の女性。軍のお偉いさんなんだろう。
「どうした。言えないのか」
言い澱んでいる暇はなさそうだ。シベルは出来るだけ気勢を張った声で言った。
「雪国から来た!『ノイエスの一存だ』!」
ベロニカは迷った。先日の疑念が再び彼女の胸をふつふつと沸かし始めたからだ。ノイエスが雪国の人間とコンタクトを取ろうとしている。もしかしたら彼女の勘は当たっているのかもしれない。
しかしこんな小さな少年が、雪国のネクロマンサー事情の深い所を知っているとは思えない。ノイエスが言っていた通り、「雪国の人間と接触して、技術を横流ししているルートを探っている」と考える方が妥当だろう。そう考えれば納得がいくし、この少年も只の使い走りだとも思える。
「・・・判った。ノイエスにベロニカから宜しく言っていた、と伝えておけ」
女性はまた軍靴を鳴らして、シベルの客席を離れていった。シベルの汗に濡れた手が、コロのスーツケースに触れていた。そして暫くして、再び列車は動き出した。軍の検問が終了したものらしい。
列車は走る。知らずの内に、戦争の火種を載せて。
そしてシベルは、大きな建物の前で固唾を呑んだ。何せこんな荘厳で立派な建物は雪国みたいな田舎にはない。ネクロマンサー協会。ここに、あの老師の言っていた「ノイエス」が居る。
ギィ、と扉を開けて中を覗き込む。目の前には綺麗な服を着たお姉さんの姿が見える。
「あら、どうしたの坊や?」
「あ、えっと・・・『ノイエス』ってひとに会いにきた!」
毛皮の衣服に、雪国訛りの喋り。帝国の人間でない事は一目瞭然だった。お姉さんは隣の同僚の受付嬢と何やらひそひそと話し込んで・・・再びシベルのがっちがちに固まった表情を見ると、柔和に笑って、
「こちらへどうぞ」
受付席から出て来て、シスター姿のその女性は、シベルの前を歩く。質素だが堅実に作られた廊下、これが帝国なんだ。シベルはシスターの後ろを行きながらひとりごちた。
「ここがノイエスさんの執務室です。どうぞ」
開けられた扉をくぐると、これもまた簡素な作りの執務室。執務机には、これまた柔和そうな男性が居た。男性は扉の向こうに人の気配を感じないのを確認してから、笑顔を浮かべてこう言った。
「君がシベル君だね。通達は既に届いてあります。私がノイエスです」
毛足の長い絨毯を踏みしめながら、ノイエスは戸惑うシベルに近づき、また笑って、
「まさかチャーチも君の様な子供に『首輪』を預けるとは。そのスーツケースの中に君の相方が居るんですね。ここでは復元しても大丈夫ですよ」
コロの事も知っているらしい。若干おどおどしながら、シベルはスーツケースを開けて、バラバラのコロの首に首輪を嵌めてやった。ノイエスの瞳が心なしか感心した様に細くなる。首輪についたシンプルな宝石を握って力を込めると、ふわりとコロの部分部分が浮いて、瞬く間に巨体の狼へと復元された。
「・・・なかなかの力の様ですね」
「ったりめーだろ、どんだけ勉強したと思ってんだ」
ノイエスは少しばかり、横流しが過ぎたか、と頭の隅で思った。