【あたらしドライブ/偽(ニセ)?・故意(コイ)?】
「きょ、京太郎……」
「なんだ、どうかしたのか? コーヒー今淹れるからちょっと待っててくれよな」
「う、うん……」
ドリッパー。ティーポッド。サーバー。ペーパーをいそいそと用意。
大学生、須賀京太郎。丁度ペーパードリップに嵌まってしまうお年頃だった。
というのも今一人暮らしをしている生活圏に――そこそこコーヒー屋が多いこと。
喫茶店そのものだったり、コーヒー豆屋だったり、あるいはその半々だったりと――なにかと縁がある。
コーヒーの、鼻腔を擽る苦い甘味のその匂いに釣られて入店。一杯引っ掻けようかと思ったらコーヒー豆販売だった。
どうしたものか。
ドアを開けてしまった以上、即座に踵を返すのは店主に失礼である風に思えてならなかったが、さりとて何をどうすりゃいいのか判らない。
コーヒーを飲みに来たのであって、コーヒー豆を飲みに来たのではない。豆の文字があるのとないのでは大きな違いがある。
……と、そんなときにその店主から勧められたのがスタート。
以降、いそいそと豆を買いに行ったり、コーヒーブレンド用だったり美味しい淹れ方だったり、実にドハマリしている。
まだ自分で挽くレベルにはなってはいないのが幸いだが。
「えっとさ……あ、あのね?」
「どうした? らしくもないけど……」
「あたしと――付き合ってくれない?」
「――」
ペーパーの上端からお湯が溢れだした。蒸らし、失敗。
コーヒー豆は挽いてないけど、憧の態度には引いた。
「コーヒーのドリップじゃなくて、いつの間にか異世界にトリップしてたのか……俺」
「よし、“天国(うえ)”の世界と“地獄(した)”の世界――どっちがいいか選ばせてあげるわよ」
「どのみち死ぬよな、それ」
このコーヒーの風味みたいに。
今、部屋中に香ばしさの中に甘さを隠した妙香が漂っている。
鼻孔を擽る、その匂い。
実に心地好く、これこそが――格好よさとかより何より――京太郎をコーヒーの虜としたものだが、これでは駄目だ。失敗だ。
コーヒーは死んだ。何故だろうか。
坊やだからさ(京太郎が)。
なお、黒服の玄人は関係ない。凄腕のイカサマ使いとはある種憧れるが、京太郎には関係ない話だ。イカサマはやらない信条である。
閑話休題。
ドリップコーヒーの肝は蒸らし(蒸かし)に尽きる。これがコーヒーの八割を担っているに等しい。
豆の品質とタイで一位に入る。どんな豆を使おうが、ここを失敗したら何もかもが台無しとなるのだ。
如何に均一に、豆を湯に触れさせるのが目的。
これじゃあ――どうしたものか。
「……悪い。聞こえなかったんだけど、なんて言ったんだ?」
「あたしと付き合って、って言ったのよ」
「ああ、あれだろ? 病院の付き添いって奴だよな? うん、そっかそっか……そうだよな?」
「……なんで病院なのよ」
「いや……それは……」
「なに?」
首を傾げる新子憧に、言い淀んだ言葉を霧散させる。
「産婦人科?」、などと言おうものなら鉄拳制裁が待っているだろうし、流石にそこまで尻軽だと思いたくない――思えない――し、
そんなことを口にするほど京太郎はデリカシーがない人間ではないし、そもそもそれを言い出したら想像した時点でだいぶ失礼に当たる。
では……
「ああ、カップル限定メニューがある喫茶店とか? 行くのか?」
「はあ!? ぜ、絶対嫌に決まってるじゃない!」
「絶対って……そこまで言いますか……」
「当たり前でしょ? な、何が嬉しくてあんた何かとカップル限定メニュー食べなきゃなんないのよ!」
「カップルに誤解されたらどうするのよ」と捲し立てる新子憧を尻目に、京太郎も吐息を漏らす。
叫び出しはしないが、嘆息したいのは京太郎も同じ。
彼女には高校時代の恩もあるとは言え――ここまで邪険にされてしまえば、こちらの対応も同様のものになるのは必然。
「……お互い様というか、それは俺の台詞だろ」
「うー……言い出したのあんたでしょ!」
「それは――、確かにそうだな……うん」
畢竟、そんな恩義だ義理だの話はどこかに行って、ああ言えばこう言う――――売り言葉に買い言葉の関係が成立する。
ただ、彼女が気にしてそうなことには突っ込まないし口にもしないように心がけてはいる。男が苦手とか。
「大体なんであんたみたいな残念で空回りでヘタレでええかっこしぃの甲斐性なしなんかと……」
「……うるせー、万年処女」
ごめん嘘。無理だった。
「しょ……!? なななな、なに言ってんのよあんた!」
「悪かったな、初恋もまだの新子憧さん」
「は、はあ!? あたしだって好きな人の一人や二人はいるわよ!」
「いや……」
二人は問題だろ。
二人はプリキュアってレベルじゃねーぞ。二人はセクキャバってレベルのビッチだ。
頭とか尻とか軽そう。
「言葉の綾よ! そんな風にあんたの一々細かいとこが気に食わないの! 男の癖に!」
「男の癖って……そういうの、逆セクハラって言う――」
「せっ、セク!? なに言ってんのよ、このセクハラ男!」
「なに言ってって……今、お前が言ってるんだけどな」
「うるさいわよ!」
無茶苦茶だ。色々と無茶苦茶すぎる。
それを言ったら、新子憧に対する須賀京太郎もそれなりに無茶苦茶な感じである。
そもそも京太郎は、紳士だ。温厚である。誠実である。社交的である。
女ばかりの部活でやって来たのだから必然、相手の機嫌を損ねないよう気を付けるし……元々京太郎は、誰かの気分を害するような言動をしないタチだ。
なのに、新子憧の前では時々しばしば中々にこうなってしまう。ある意味、気心が知れてるからだろうか。
……いや、あっちからはかなり敵視されているか。うん。
それでも腐れ縁なのだから――まあ、よしとしよう。
「でも、意外だったな……憧にも、好きな人か」
「う……」
「誰なんだ? 俺の知ってる奴か? なんなら、アドバイスとか告白とか飲みのセッティングとかしてやるけど……」
「……」
「……憧?」
「……なんでそれをあんたに言わなきゃ駄目なのよ。別に関係ないよね?」
「関係は……確かにそうだけど、今まで世話になったから……なんか手伝えないかってな? 何だかんだ、付き合い長いから」
そこらへん、時々――どころではなく――辛辣にあたられるとしても、高校以来の知人。
同じ大学、同じ学部と関係性が深いので手伝ってやりたいという純粋な気持ちだ。
だが、
「……………………はぁ」
とだけ憧は嘆息し、ギロリと京太郎に独特の猫のようなパッチリした吊り目を向けてくる始末。
よく見れば睫毛などが調えられており、お洒落に気を使っていることが判る。
尤も、男性の相手が不得手である以上それは宝の持ち腐れ――、と、片想いの相手がいるんだったか。
そう考えると、大学に入って益々そういった外見へと気を遣っているのも頷ける。
或いはただ単純に、同じ学部学科で、更には家が隣ということで彼女と顔を合わせる機会が増えたがために、
以前より新子憧を目撃するようになった故の錯覚かもしれないが。
「で、付き合ってって……病院でもなきゃ、喫茶店でもないんだよな?」
「……そう言ってるでしょ」
「じゃあ、なんだ? 水着とか洋服のショッピングとか、大学の購買とか、夕飯の買い物とか――」
「……違うって」
「じゃあ、一体……」
「い、いわゆるその……彼氏彼女として」
「は? ――っ、あ、熱ッ!?」
ドリッパーの上に、盛大にお湯をブチ撒けてしまった。
溢れたお湯がそのままジーンズへと溢れかかり、電気的な刺激として脳へとアラートを送る。
手元が狂って駄目になった。コーヒー豆も駄目になるだろう。勿体ない。
「大丈夫、京太郎!?」
「悪い、ちょっと濡れタオルかなんかとってくれ」
「判った! ちょっと待ってて!」
「すまん、ごめん」
「お、お待たせ京太郎――って何脱いでんのよ!?」
「うおっ!? わ、悪い……脱いだ方が早いかって……」
「い、言い訳はいいから早くズボン上げてよ! この変態! ヘタレ露出狂!」
「悪かったって! ……あ、布がジッパーに噛んで」
「何してるの!? 信じらんない!」
「いや、本当悪いって……! クソ、外れな……」
「ならあたしが外し――、ってこっち向くな! 見せんな!」
「無茶ですよね、それ!?」
なんて騒動があって。
ひとまず落ち着いて、仕切り直し。
「……で、彼氏彼女として付き合ってくれ?」
「……そうよ」
「……気持ちは嬉しいけど、せめてもっとムードはどうにかならなかったのか?」
言い合いの最中とかじゃなくて、二人で遊びに行ったときとか。
或いはもっと照れたり恥ずかしがったり、そういう可愛らしい面を全面にだしてくれたら良かっただろう。
二人っきりで、しかも家。
ムードさえあれば、キスしてそこから――という流れになるであろう。なるはずだ。ならなければ不能である。
……が。
「……なに勘違いしてんのよ」
「えっ」
「彼氏彼女として付き合ってって言っても、フリに決まってるじゃない。フリに」
「フリ……?」
「そうよ? フリに決まってるでしょ」
何を当然、という口調の憧。
そりゃあ確かに――何だかんだとロマンチスト(スイーツとも言う)――の憧としてはこんなムードもへったくれもない告白はしないだろうし、
何よりこうも犬猿の仲――とまでは言わなくとも、ト●とジェ●ー、マ●オとク●パ、ミッ●ーとピ●ト的な関係。
そんな男に告白するなど、あり得ない筈だ。どうかしてる。
言わばベジータがカカロットに告白するようなもの。どうかしてる。ちなみにピッコロはネイルと同化してる。
「ははーん、それとも勘違いしちゃった? いい人止まりでモテないから?」
「いや、全く。冗談で良かったなぁ……ってさ」
「………………ふーん。あっそ」
得意気に笑った顔が、途端に不機嫌なものになる。つまらなそうに口を尖らせる新子憧。
まあ、優位に立ったと思った直後に舞台を返されれば誰でもそうなるだろう。
残念だのいい人止まりだの言われていた京太郎からすれば、些か溜飲が下がる思いだ。
それにしても、フリとはどういうことか。
「実は、あたしにはお姉ちゃんがいて……」
新子憧にはどうやら、姉がいるらしい。
まず、意外にも妹キャラというのに驚いた。実は甘えたがりなのだろうか。いや、妹キャラに対する偏見かもしれないが。
ただ、色々とちゃっかりしているのは事実なので、その辺りは色々と苦労の多い長男長女と違って、妹である所以なのかもしれない。
しかし、新子憧が妹キャラ。
つまり例えば――「京太郎お兄ちゃん♪」とか「京太郎先輩♪」とか言うキャラなのか。似合わない。
似合わないってレベルじゃない。脳の病気を疑う。
というか、なんか憧の声と外見でそんな台詞で甘えられるとなんか碌なことがなさそう。
具体的に言うと奢らされそう(直球)だし、貢がされそう(ストレート)だし、そもそも普通にお金をせびられそう(暴投)。
別にそんな趣味のない、しかも同学年の京太郎でさえそう思うのだから――憧の声は偉大だ。つくづくこいつが男苦手でよかった。
そうじゃなかったら、稀代の女王蜂になっていただろう。
ありがとう憧。
「な、なによ……? なんか、変?」
「いや……お前、いい奴だなって」
「へ? あ、ありがとう」
なんか急に気勢を失う憧。俯いてもじもじと居心地が悪そうにしている。
まあ、いきなり褒められたら誰だってそうなるだろう。
(じっと見ちゃって……お化粧ちょっと薄くしたけど大丈夫ってことかな……? それとも、リップつけてるのとか、香水変えたのとか……?)
「どうした?」
「……なんでもないわよ」
女性のなんでもない――というのに何か意味があると聞くが、突っ込んでも碌なことにならないと体感済み。
前に憧にそれで訊こうものなら、「なんでもないって言ってるのにしつこい!」というお叱りが飛び出した。
なので黙る。余計な、宛にならない変な知識なく接するのが一番だ。
何事も素直のストレートが一番いい。
「で、都会に出て……変な男に捕まったり、変な遊びに嵌まったりしてないかって……心配させたくないから」
「そうよ。……別に深い意味はないけど、あんたが適任かなって」
そう評価されるのは嬉しいしありがたいが、単に他に頼めそうな男がいないからという気がしなくもない。
……と。
「そうだ! お前、片想いの相手がいるって言ったよな? だったらその人に頼んだらどうだ?」
「……」
「そうすれば距離も縮まるし……名案だろ?」
「はぁ……」
「な、なんだよ?」
我ながらかなりいい提案だと思った。
相手には――まあ、遠回しに気があると伝えることになるかもしれないがそこは置いておこう。
憧のことだから間違いなく、苦手意識と警戒心に負けず嫌いが合わさってその相手とは碌に会話できていないだろう。
だから、そういう機会となるイベントは大事だ。
恋人を演じなければならないとなったら、憧としても無口ではいられないと言うのもワンポイント。
最初のハードルが高いが、ハードルを潜ればそれでひとまずはいい。
で、更には。
恋人のフリをするということは、恋人となった憧がどんな感じか判るということだ。
そこで憧の可愛さが判ったんなら、男の方も――いやひょっとしたら女かもしれない。麻雀をやってる女子はどこか百合百合しい人間の比率が高い――乗り気
になる。
そうしたら、ゴールするのではないだろうか。相手からの告白で。
いつぞや憧は、やっぱり相手から告白されたい――それも情熱的なもので(京太郎と穏乃を例に挙げた)――と言っていたので、
きっと彼女にとっても喜ばしいだろう。
悪くない提案だと思えるのだが……。
「何よ、フリって。そんなこと言い出した時点で、告白してるのと一緒でしょ?」
「そうなのか?」
「あんたみたいによっぽど鈍感な奴じゃなかったら、言われた時点で意識するわよ。だったら一緒じゃない」
「あー、そうか? でも、俺みたいに他に適任者が居ないからって理由だったら……そう思うんじゃないのか?」
「そりゃ、あんたみたいな鈍感限定よ!」
「鈍感って……あのな、それでも間違いだったら恥ずかしいからって予防線張りたくなるタイプもいるからな?
憧の片想い相手も、そんなタイプかもしれないだろ?」
「……ッ、あたしの片想いの相手はもっと鋭いから判るわよ! あんたと違って!」
「さいですか……」
「そ、そうよ! そうなの!」
(ふーむふむ……なるほど、俺とは違って鋭いタイプか)
誰だろうと、憧と関わりそうな男でタイプに沿った相手を指折り数えてみる。
邪魔かもしれないが、やはり付き合いが長いし世話になってることも多いので助けになってやりたい。それとなく。
(こいつが俺に言い出してきた意味は――)
今の発言で判ったことがある。言わば京太郎からのある種のSOSサインだ。
正面から聞いても、この意地っ張りが素直に答えるとは思えない。それゆえの変化球。
いや、別にそんな面倒くさいことをしなくても別に構わないのだけど。
(①本気で姉を心配させたくない。
②本当に他に頼る相手が居なかった。
③単に俺のことが好き)
思い返してみる――。
高校のとき、初めて出会ったときは警戒心全開。距離を取られた。
それから、呆れ顔。何だかんだ付き合いはいい。
こっちに来てからは、呆れ顔に怒鳴り顔に意地っ張りな表情にふてぶてしい態度につんけんした言動。
(この否定っぷりからして、③はないな)
となると、①か②のどちらか。
どちらにしても――やることはひとつだ。
「判った。任せといてくれよ! 俺にできることなら何でもするから!」
「……あんたって無駄に思いきりよくて、無駄に変なとこ優しいわよね」
「?」
「……べーつーにー」
さて、彼氏彼女のフリか。
具体的にはどうしたらいいのだろうか。考えてみる。
二人で山に登る――山がない。
野外でいちゃこらする――即通報待ったなし。
カラオケでいちゃこらする――店員から変なアダ名つけられる。
ショッピングモールに行く――都心にショッピングモールはない。
……駄目だ。打つ手がない。
というか、どれも姉の前でする話じゃない。問題すぎる。羞恥プレイ好きか。
他に、と頭をフル回転。
確かあれは高校生、夏のインハイで狩宿巴とデートみたいなことをしたことがあった。
カップル限定のメニュー食べたりしたのだ。
「なあ」
「なーに?」
「彼氏彼女のフリって言っても……何をどうしたらいいんだ?」
「それは……」
「それは……?」
「えっと、その……」
「……考えてなかったんだな」
「うっさいわね! その辺の少女漫画でも読んでなさいよ!」
「俺物語はハードル高いな」
あとはホスト部と7SEEDSと川原泉作品ぐらいしか家にはない。
……ホスト部が一番参考になるだろうか。
「彼氏なんだからリードしてよ!」
「いや、まだ始まってないんだけど……」
「うっさい! 細かいこと気にする男はモテないわよ!」
「彼氏に他の女にモテること要求するなよ」
「まだ始まってないでしょ! 彼氏面しないでよ!」
「無茶言いますね新子さん」
「う……か、彼氏なんだからちゃんと名前で呼びなさいよ!」
「いや、まだ始まってないってお前が……」
「うっさい! バカ京太郎!」
「お前、言ってること無茶苦茶過ぎ……それになぁ」
「何よ」
「彼氏だから名前呼びって言ってるけど、普段から名前で呼んでるよな? それってどうなるんだ?」
「……ふきゅ」
「え?」
「な、なんでもないわよバカっ!」
あー。
こりゃ、確かに須賀京太郎以外に頼める筈がない。
普段とのギャップが激しすぎて、彼氏役の男は半分ぐらい居なくなりそうである。
長らくの付き合いである京太郎は馴れたものだが(それでも売り言葉に買い言葉となる)、そうでないなら尚更。
……そう考えると不憫になってきた。
「憧」
「な、なによ」
「しょうがないから(この役は)俺が貰ってやるよ」
「よしその喧嘩買ったわ」
そのまま暫く言い合いが続く。
なんだかんだ、いつもの流れだが……これを憧の姉の前で出してしまったとしたら問題である。
そうならないように、気を付けなくてはいけない。
「まあ……安心して貰うからには、そういう感じの人柄を出していくのが一番だよな」
「どんなの?」
「気が利いて、明るくて、几帳面で、真面目だけどあんまり堅苦しすぎなくて……何よりも優しい感じか?」
「それって……」
「心当たりあるのか?」
「べ、別に……」
「そうか……難しいよな、こういうの」
(それって普段のあんた……なんて言えるわけないでしょ!)
憧がまた百面相を展開するのは置いておく。
その、理想の彼氏像とやらを想像していらっしゃるならそれでいい。
憧は憧として、京太郎も京太郎で考えなくてはならないのだ。
「ところで……お姉さんは、いつ来るんだ?」
「えっと……怒らないで聞いて欲しいんだけど」
「まさか明日とか言わないよな?」
「今日の、お昼前。多分そろそろ東京駅着いた……かも」
「おい」
おい。
なんて恐ろしいことをしでかすのだろうか。
それは確かに京太郎以外に頼れる人間がいないはずだ。
ドタキャンならぬドタお願いドタオッケーである。最近すっかり見なくなった和泉元彌もビックリ。
……和泉元彌とドタキャンの意味が判る人間が何人いるだろうか。そもそも和泉元彌が判るのか。
閑話休題。
確かに近場にいて、いきなり頼んで、最低基準を満たすのは須賀京太郎しか居ない。
ひょっとして新子憧は自分に気があるのでは、なんて思ってしまった自分が憎らしい。恋愛ピンク脳か。
まあ、そういうことならそういうことだ。
「――っと、悪い。電話だ」
「どーぞ」
着信を見る――前に音で判る。
この音は、“悪友”のグループ設定。つまりはいつもの彼らだ。
『もしもし、須賀か?』
「おう、どうした?」
『今、古市とシンと一緒なんだけどさ……なあ、これから暇だったりしないか?』
暇かと言われると――。
「悪い。今日ちょっと用事があるんだよな」
『あっちゃー、用事か……こりゃ三麻決定だな』
「ごめんな。外せないからさ」
『平気平気。仕方ないよな、急だったんだから。……で、ちなみに何の用事だ?』
「それは……」
なんと答えたらよいものか――。
言い淀んだその瞬間を、電話口の向こうの呆れ気味な声が鋭く指摘した。
『……女じゃないのかよ』
『バカ、何言ってんだよシン。京太郎に限ってそんな訳ないだろ』
『そーだそーだ、京太郎は俺たちを裏切らないからな? なあ、ソウルフレンド』
「あ、ああ……勿論だろ! な!」
誤魔化しは――
『……』
『……』
『……聞いたか、陽介』
『……聞いたか、古市』
『今の間は……なぁ』
『知将がそう思うなら……だよなぁ』
『えっ、本当だったのか……!?』
――失敗した。
シン、許すまじ。後でナンパの刑に処すしかなさそうだ。
『オーノー、シンだけじゃなくて須賀まで裏切りやがった!』
『なんて時代だ! ちょっと髪の毛が金髪だからって!』
『いや、金髪は関係ないだろ』
『うるせー! 「銀髪ってクールそうだけど……残念だね」とか「古市くん中学の頃から変わったね(苦笑)」って言われる気持ちがお前に判るか!』
『そうだそうだ! 茶髪もチャラいって見なされるのに、何故か金髪には王子様イメージも付いてるんだぞ!』
『あんたも王子様じゃ……』
『残念王子とか呼ばれても嬉しくないっつーの!』
『これだから巨乳とフラグ立ててる奴は……』
『それは関係ないだろ!』
「あー……後で掛けなおすから」
三十六計、ジョースター家の伝統的方法である。
「……なんて?」
「あー、麻雀のお誘いだった。……部活の誰か紹介した方が良かったか?」
「……人によってはトラウマ作っちゃうかもしれないわよ」
「そうかぁ? 皆優しいと思うけどな」
「……」
確かに厳しいところは厳しいが、優しいところは優しい。
ちゃんと、麻雀部以外との――本気だが全力ではなく、或いは全力だが真剣ではない打ち方をやるぐらいの常識はあるはずなので大丈夫な筈だ。
麻雀でトラウマとか、なにそれって話だし……。
『京くん、そう甘いとなーぁ? 気にせず進まれて正面からやられるよーぅ』
『迷彩は、迷彩を気にする相手にしか意味ないからなー』
『「何が悪かった」? んー、判るまでもっかい打とーか』
『大丈夫、大丈夫。そんぐらいの直撃やったらまだ片腕がなくなっただけやから』
……。
トラウマはともかく、優しいとは言いきれないかもしんない。
例えが一々エグいし。
点数が減ったら「今のは投げられて頸椎折れとるよ」とか「あちゃー、頭蓋骨陥没」とか「脾臓と小腸潰れちゃったねー」とか。
「これ、死んだ方がいくらかマシパンチ」とか「ついでに両足折っとくなーぁ」とか「目潰しになっとるねー」とか。
点数の減り具合を肉体ダメージに換算して指導するのはお止め願いたい。
「憧」
「何?」
「お前、優しいのな」
「な、何よ……いきなり」
目線を反らしながら毛先をくるくると弄り出す憧。
照れているらしい。そりゃ、褒められたらこうもなろう。
かと思えば、割りと本気で叫ばれたりするあたり……女というのはよくわからない。
「まあ、そろそろなら……お姉さん迎えに行ってきたらいいんじゃないか?」
「うん……でも……」
「その間に考えとくから、な?」
「じゃあ、お願い。……コンビニとか行くなら、鍵はお願いね」
「おう、判った」
ふむ、と考えて沈黙。
「やっぱ、駅まで送ってく」
「え……別にいらないけど……」
「いや、俺も丁度買いたいものがあったからな。ついでだって」
「そう? ならいいけど……買い終わったら、大人しく帰っててよね」
「おー、判った」
それから、駅まで。
一人で行けばそれなりに早く着くが、やはり憧と一緒では遅くなってしまう。
身長がこれだけ違えば、歩幅も当然違う。合わせて歩けば、遅くもなろう。
「なあ、憧」
「何?」
「お前のお姉さんが来たら……駅まで迎えにいった方がいいか? 彼氏として、なんか……」
「どうなんだろ……? 判んないのよね、そこんとこ」
「あー、彼氏居たことないし仕方ないか」
「……死ねッッッ!」
「うおっ!?」
ひでえ。二重の意味で。
今のはデリカシーがない発言だった。背中を叩かれるのも、まあ仕方ない。
……それにしても痛い。引き攣るように痛い。
実によくスナップが効いた一撃だ。凄い音がした。ゴリラのドラミングみたいに。
「誰がゴリラなのよ、誰が!」
「何も言ってな――――たわばっ!?」
背中に叩き込まれる撃滅のセカンドブリット(平手)。
これも痛い。中々に痛い。かなり痛い。マジ痛い。
……うん、これ確かに彼氏のフリにその片想いの相手を付き合わせなくて正解だ。付き合う前に絶影ならぬ絶縁されている。
京太郎はわりと気にしないからいいものの……問題である。
「憧」
「な、何よ」
「ちょっと手、見せてみろ」
「なんで……」
怪訝そうな顔をする憧の手を勝手に掴み上げる。
やはりだ(色々キツイ牌のお姉さんは関係ない。字の並び順違うし)。
あれだけいい音がしたのだから、当然。
「……ほら、赤くなってるじゃねーか」
「う……」
「ハンカチ貸してやるから、濡らして当てとけよ」
マイブーム――つまりはやり(くれぐれも流石の京太郎でも色々キツイ牌のお姉さんは関係ない)の、和物柄のハンカチを。
「いいわよ」と受け取ろうとしないのを、手で手を包んで無理矢理握らせる。
観念したかのように、憧は溜め息を漏らした。
「判った、判ったわよ!」
「おー、ならよかった」
「………………それで、いつまで手ェ握ってるのよ」
「ああ、悪い悪い。意外にお前手ちっちゃくて可愛いって思――ひでぶっ!?」
手を握ってるから抹殺のファイナルブリット(平手)は来ないと思った。
代わりに瞬殺のファイナルブリットが来た。……蹴りはマジ痛いと思いますの。
……そして、憧の部屋に帰って待つこと数十分。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
足音が近付いてきたと思ったら、玄関が開いて二つの声。
憧と――その姉である。
ちなみに確か、憧が実家の手伝いをまるでしない放蕩娘なのに対して、家業を行うのが姉だとかなんとか。
「へー、ここが憧の……」
「どう? 片付いてるでしょ?」
「意外……ちゃんと掃除もしてあるなんて」
片付けたのは須賀京太郎ですがね。
勿論掃除も須賀京太郎。
吸引力が変わらないのはダイソン。元々弱々しいから変わらないのはダイソン。
弱々しい荒い息で爆弾のスイッチ握ってるのもダイソン。ターミネーター研究してスカイネットの基礎を作ったのもダイソン。
ダイソン尽くしだ。もう全部ダイソン一人でいいんじゃないかな。
この家にはダイソンないけど。
そりゃあんな吸引力最弱安定、一々フィルター掃除しなきゃいけない掃除機なんて使わない。
「って、この……男物の靴は?」
「あ、その……ちょっと待ってて、お姉ちゃん」
……さて、ということはそろそろだ。
だが……ああ。
「京太郎、ほら、お姉ちゃんに紹介するから……」
「判ってるけど、悪いちょっとタンマ」
「何よ、どうしたの?」
「背中と腰が痛いんだよ。お前があんなに激しくやったから……」
「何よ、それぐらい。あんまりやってないんだからシャンとしてよ」
「お前なぁ……」
「やりたりないのに我慢してあげたくらいだから、グチグチ言わないの」
「……あれ以上やるつもりだったのかよ」
そこまでやたら暴力的ではないと思ったのだが……姉が来るのか、いつもとテンションが違うらしい。
意外とシスコンのタチなのだろうか。
確かに姉に甘えるというか、頼りにしてそうなイメージはある。
……と、玄関に向かってみれば。
「あー……その、ゆうべはおたのしみでしたね」
「ちちちちちちちちちちちちちちちちがうんだからぁ!」
「あー」
会話、聞こえてたらしい。変な風に。
「あ、ゆうべじゃなくて……さっき? 私が来る前とか若いなー」
「ふきゅっ!? なにゃ、にゃ、にゃに言ってるのよお姉ちゃんのばかぁ!?」
落ち着けと、憧をじっと眺めてみる。
あんまりな態度をすれば、偽物の恋人関係というのも露見してしまう。
だから――まあ、片想いの相手がいる中、好いてもない男と肉体関係を勘繰られるというのは面白くないだろうが……。
なんとか堪えろと、目線で訴えかける。
……が。
「ふーむふむふむ、見詰め合っちゃって二人の世界だねー。おアツいなぁ」
「ふきゅん!?」
「これ、お姉様は邪魔だった? 早く昼間から続きしたい?」
「うにゅぁぁぁぁぁあ!?」
……駄目だ、こりゃ。
むしろ逆効果でしかないらしい。これは良くない。
火に油を注ぐことにしかなっちゃいないのだ。
流石にフォローが必要だろう。いくらなんでもバレるのは時間の問題……を通り越して、もうバレてそう。
「その……お姉さん」
「はいはい。えっと……君は」
「妹さんとお付き合いさせて頂いてます、須賀京太郎です」
「へー、君が……須賀、京太郎くん。へー」
「うにゃぁぁあ!? にゃ、にゃああああああ!?」
どうしたんだ、憧。人間に戻れ。
あと、「へー(意味深)」ってなんだろうか。
姉の手をひっ掴もうとする新子憧――いや、これはどうなんだろうか。
が、またしても意味深な目線。そしてウィンク。
結果、憧は静かになった。人間様に戻ったらしい。
……なんだったんだろう、今の。
「で、ごめんねー。君が憧の彼氏の、須賀くんなのよね」
「はい。妹さんとは、健全なお付き合いを……」
「週何?」
「えっ、はい……?」
「大学生で健全な若い二人……いやー、週何回くらいシてるのかなぁって」
「……」
おい。
何言ってるのこの人。
この人巫女さんだよね。
それともあれか。バビロニア神話の泥人形から精を抜いて人間様にした巫女さんよろしく巫女さんってそういう――。
「あーこ、何回シてるの?」
「ご……よよよ、四回!」
「へー」
おい。
何言ってるのこの処女。
「なるほどなるほど……いやー、五回も」
「よ、よよよ、四回だからぁ!」
「そうなの、須賀くん?」
「誤解ですね」
「ほら」
「なんであんたが知ってるのよぉっ!? 聞こえてたの!? 聞こえてるの!?」
「……へ? いやだから、誤解だって俺は言っただけで」
「だから、聞いてたのに普通そうに接してあたしをどういう目で見てたの!?」
……。
そりゃ彼氏だからシてる回数知ってなきゃ変だろ。そうじゃなきゃ浮気だ。
というか、誤解だから。
五回は誤解であって誤解以外の何者でも――“ごかい”“ごかい”紛らわしいわ!
「まあ、意外にこの娘あるから嬉しいでしょ? 喜んで貰おうって豊胸体操やってるから、Dに近いぐらい増えたというかもうじきDに――」
「わー!? わー! わー! わー!」
「……」
……。
なんかえろい。
喜んで貰おうってそれ、相手の男の為だろうか。いじらしくて健気である。
まあ、そこはかとなくえろい。
……。
なかなかえろい。
そうまでして片想いの相手に合わせようとする憧の努力する姿というのは、可愛らしいしやっぱり乙女なんだなって思う。
でもえろい。
……。
けっこうえろい。
なんか、この負けん気が強い憧にそこまでさせるその男が――軽く羨ましく思える。軽く。
だけどえろい以上に、軽くショック。
というか、それを自分が聞いてしまったことが申し訳ない。
そんな努力は、憧の意中の男だけが――というかひょっとするとその男も駄目で憧だけが――知るべきことなんだろうから。
武士の情けだ。忘れてやろう。
「あー、望さん?」
「何、須賀くん? 週五、日五?」
「流石に毎日五回なんてしないから! そこまでいやらしくないわよっ!」
「……いやらしいっていうか、身体もたないなソレ」
「……そ、そうなの? 普通そうなの?」
「男はターミネーターじゃねーよ」
「……男?」
「ん?」
「……あ、あー! そっかそっか。そうよね、そうよねー」
「お前、何……」
「なんでもないわよっ」
「あ、ああ……」
どんな化け物だよ。男に幻想抱きすぎだろ。
シャドーならともかく、プロレスなら体力恐ろしいぞそれ。
流石に普通、毎日五回もしたらコンデンスミルクがカルピス原液通り越してカルピスウォーターの水割りというかカルピスウォーター(苺味)になる。
自慰ってか自殺だ。マジで逝くってレベルじゃねーぞ。
射精通り過ぎた粛清だ。この星から男を消し去るつもりなんだろうか、こいつ。
「……で、何かな。憧の“彼氏”の須賀くん」
「ふきゅっ」
「……あー、そのですね。実は俺たちまだそういうことしてないと言いますか、そのー……」
「……大学生でしょ?」
「はい。……現役合格っす、一応」
「……。……病院とか、行ってる?」
あ、今間違いなく馬鹿にされた。
そりゃまあ……健全な男としてはイエローゾーンだ。かといってレッドなものが出るくらいもどうかと思うが。
というか毎日五回って、それ、女の子の方も辛いのではないだろうか。あんまりだと、ひりひりするって昔聞いた覚えが――――あー、失敬。
とりあえず今は、憧だ。
「その……俺としては憧、――あー、妹さんのことをもっと大事にしたいと言いますか」
「古風だねー。結婚するまで、しないとか?」
「いや……そういうあれというか……違うというか違わないというか」
「というか、結婚するつもりなんだ?」
「ふきゅぅぅぅう!? ななな、なにゃ!? あ、あひゃしと京太郎が結婚して新婚満喫するなんて言ってないかりゃぁ!?」
「言ってないわよ」
「言ってないよな」
「ふきゅっ」
……話進まないなコレ。
……というかこの女、本当に大丈夫だろうか。
話題の中で結婚というワードが出ただけでこの慌てようである。男が苦手というレベルではない。
何だかんだと高校からの知り合いとして、真剣に心配せざるを得ない。ともすれば憧の男性苦手意識克服に付き合うのも吝かではない。
いやマジ大丈夫だろうか。
須賀京太郎以外の男子と、まともに会話している姿が浮かばないのだが。実際、今の生活で。
「と、とにかく……妹さんのことが大事なんですよ、俺は!」
「へぇ?」
「高校の頃からの付き合いで、こうして大学でも――学部も一緒、部屋も隣で、俺にとっては凄く身近なんです!」
「ほうほう」
「だからこそ、余計に大事にしたいというか! 悲しませたくないと言いますか! 憧が嫌がることをしたくないというか!」
「なるほどなるほど」
「確かに俺も男だから、憧のことを抱き締めたいですよ! 毎日いちゃいちゃしたいです! ずっと、可愛い可愛いって言いたいです!」
「ふーむ、ふむふむ」
「でも――だから憧を大事にしたいんです! 流されるとか、周りがそうだからとか! そういうのじゃなくて……真剣に憧が好きなんです!」
「ほーうほう」
「だから、なあなあとかじゃなくて……俺はちゃんと! 憧のことを! 優しく抱き締めて! 大事にしたいんです! それぐらい好きなんです!」
……よし、言いきった。
我ながら実に素晴らしい演技力だ。ちょいちょい事実を混ぜるのが嘘を吐く秘訣だと昔言われた通りにした。
あとは話を大きくして、判断力を奪うとか。
いや、この場合大きくなったのは声であって話ではないが。というかいくら嘘でも流石に恥ずかしすぎて、勢いに任せなきゃ言える訳ない。
これは新手の拷問だろうか。いいえ、ゾンビです(京太郎の心が)。
何だかんだと恩がある憧からの頼みでなくては、流石に演技とはいってもここまでのことは不可能である。
というか、実際の恋人だとしても無理。
いわんや、偽物の恋人をや――という話である。羞恥心半端ない。かなり辛い。
だが、これだけ身体を張ったのである。
そうとなれば、多分余程のことがない限りは勢いで押し通せる筈である。そうでなきゃ甲斐がない。
ダメージは凄まじいが、完璧なるフォローだと憧の方に目をやり――
「なにゃ、なにゃ、なにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ……」
「憧……?」
「何言ってんのよ、死んじゃいなさいよこのバカ――――――ッ!!」
余程のことが起きた。
鉄拳痛てーよ、うん。
……まあ、大体判ってたけどな。
だって新子憧は――男が苦手なのだ。
いくら相手が普段つんけんと、半ばいがみ合っているような須賀京太郎だとしても――こんな愛の告白じみたことをされたら、そうなる。
例えば京太郎が同じように誰かに偽の恋人を頼んだとして、同様のことをその誰かに言われたら動揺する(なんちゃって)。
だから、新子憧なら――然るべきだ。
耳まで真っ赤にして涙目だったから、まあ、つまり、堪えられる限界を超えてしまったのだろう。
……これは、須賀京太郎の責任でもあるだろう。配慮が足りなかった。
別に女が苦手でもない京太郎ですら、口走ってダメージを受けたのである。
男が苦手な憧なら、推して量るべし……だ。
「……憧」
「う、その……あの、ごめん京太郎」
「いや、俺の方こそ悪い。もうちょっと、考えた方がよかった。……判ってたもんな」
「……。それでも、叩いてごめん」
「……いいんだって。それよりお前の方こそ、手首とか大丈夫か?」
「……うん」
色々台無しになったが……まあ。
少なくともこれで、憧の望みは達成できただろう。形は違うが。
これほど男が苦手な様を見せたら――きっと憧の姉も、憧が変な男に引っ掛かりはしないと判るはずだ。
だから、一件落着――
「なるほど、まだ憧って苦手意識強いんだ。興味は人一倍あるのにね」
「う……だ、黙ってってば、お姉ちゃん!」
「うーん、なるほどなるほど。こりゃ憧と毎日いちゃこらは無理だ。うんうん」
「うぅ……」
「うん。愛だなぁ。憧が大丈夫になるまで待つって――愛だね。お姉さんは嬉しいよ、須賀くん」
「は、はぁ……」
「今のやりとりも愛でしょ。愛だねー、そうだよね憧?」
「う、うるさいっ!」
……落着しろよ。
頼むから落着してくださいよ。
もう落着してもいいんじゃないかな。してもいいと思う。
「で、五回ってのは?」
「……きょ、京太郎としてるちゅーの数」
「へー」
おい。この処女。
しんみりした気持ちとか諸々返せ。
「でも、五回って少なくない?」
「と、特別なちゅーなんだから当然でしょ! あたしのこと、そ、その……ああああああ愛してるってぎゅっとしてくれるちゅーなんだからっ」
「へー。ふーん?」
“ぎゅっ”なのか、“ちゅー”なのかハッキリしろよ。ハッキリしてくれよ。
というか、憧の姉はこれ……気付いてるのではないだろうか。妹の性格なら把握ずみの筈である。
憧が頭が上がらないというのも、要するに妹だと言うのも頷ける。
……しかし。
それで続けるなんて、一体何を考えているのだろか。
と――
「じゃあ、それやってくれる? 特別な奴」
「へきゅぅうっ!?」
「ほらほら、須賀くんも。私は構わないからさ」
ウェェェェエイ!? ナニイッテンダアンタイッタイ!?
構えよ。
構うだろ。
構わない訳がないだろ。
……というかこれ、流石に洒落にならない。本当に洒落にならない。
思い浮かぶのは――まあ、いくつか。否定するのはそう難しい話ではない。
いくらラブラブだとしても、人前でやるのかやらないのかは別問題である。バカなカップルじゃあるまいし。
そして――新子憧は、この手の話が苦手である。ならば当然、
「そそ、そんなの見せられる訳ないでしょ!?」
このように否定される。
よくぞ言ってくれました。流石にここで頷かれたら弁解に困った。
まあ、余程ネジが外れた女でもなければオーケーはしないだろうし、ましてや憧なら言わずもがなだ。信じている。
「いいじゃない、減るモンじゃないんだから」
「へ、減るわよ……!」
「何が?」
「何って……そりゃ、あの、その……」
「なーに、憧?」
「………………………………………………………………きょうたろう力が」
うわーお。
ちなみに力は“ぢから”と読む。聞いたこともない隠しステータスだ。
というかなにこれ恥ずかしい。
「うーん、じゃあ、キスはなしでいいから」
「そ、それでも駄目よっ! 駄目に決まってるでしょ!」
「駄目なの? なんで?」
「そりゃ……だって、恥ずかしいし……」
「……うーん。今更だけどさ、憧。本当に須賀くんと付き合ってるの?」
「とと、当然でしょ! そりゃもう、ラ、ラッブラブよ!」
「そうですよ! ラッブラブです! 憧のことが好きすぎて、憧のことを考えない日なんてないぐらいに!」
「へひゅっ!? な、何言ってんのよバカぁ!?」
「お、おい!」
駄目だ。
フォローに入ろうとしても、この男性苦手症候群なのに負けん気が強い新子憧相手では、余計に不審な言動をさせてしまう。
このままではバレるのも時間の問題だ。滅茶苦茶眉を顰められている。
というか、これ、正直に言った方がもういいんじゃないかって気しかしない。
「うーん、まぁ、無理にとは言わないけどね」
よかった。どうやらこのまま、乗りきれそう――
「ただ……昔から男が苦手だった憧が、大学でその辺りに付け込まれないか心配で心配で奈良から出てきて」
「うっ」
「どうなるんだろうなーって思ったら、ちゃんとしてそうな彼氏くんが居て、しかもラブラブで」
「うう……」
「一安心と思ったんだけど……でも何か本当に彼氏なのか気になって、せめてちょっと証拠でも見せてくれたらなー――なんて思っただけだから」
「ううぅぅ……」
「別に無理になんて言わないわよ。うん」
「……………………………………………………………………やります」
……そうなるよな。
これは仕方ない。憧を恨むなというのは無理な話だ。
憧と向かい合って。
彼女の姉は――何故だか、柱に隠れて半分だけ窺うように顔を覗かせて。
そして今。居間。
「……なあ、憧」
「なによ。ま……言いたいことは判ってるけどね。ごめん、何か付き合わせちゃって」
「いや、俺の方こそなんかごめんな」
「何が……?」
「いや、相手が俺で。……しかも苦手だってのに」
これは本当に申し訳ない。
というか、今からでも遅くない。やはり憧の為には――正直に言い出すべきなのではないか。
そんな気がして、ならないのだが……。
「その……あんたなら、構わないわよ。何だかんだ、付き合い長いし……」
「でもな……流石にやっぱり」
「……お姉ちゃんにああまで言われちゃ、仕方ないでしょ。別にその、減るものでもないのも……本当だから」
「そうか? でも……」
「た、ただし! 別にあんたが相手だってのも、仕方ないってのも我慢してあげるから――」
「……から?」
「せめて、うーんとロマンチックなキスにしてよ? 忘れちゃったり、どうでもいいって思わないぐらいに……ちゃんと、大事な大事なキスで」
「――――」
「……お願い」
袖の辺りをきゅっと掴んで、上目遣いで目を潤ませる新子憧。
爪先立ちで背伸びをした彼女の体重を、身体を曲げて受け止める。
胸元に、憧の手が揃えられた。こちらのシャツの襟元を握る手に、力が入る。
こうして見てみると、やはり憧は美人だ。
睫毛も整えられているし、眉毛も、目尻もそう。全力で、全身全霊で可愛い女の子になろうとしている。
努力の結晶だった。
綺麗になりたいという憧の気持ちが、表されているようで――そうしたいだけの想い人が憧には居て――
「……なあ、憧」
「な、何? キスしてるときは……目、瞑っていて欲しいんだけど」
「いや、何か引っ掛かったんだけど……さっきの言葉からして、お前まさかファーストキス? 大学生で?」
「――」
「というか、それならやっぱやめとけよ。俺が飲み会とかのノリで人にキスするのとは違うんだぞ」
「――」
「正直、意外だったけど……いいか? こういうのは、ちゃんと好きな相手同士でだな――」
「大学生になってファーストキスすらまだの訳ないでしょこのバカそれに仮にそうだとしてもでもだからどうしたのよ死んじゃいなさいよバカぁ――――――ッ!」
鉄拳。二度目。
……うん、台無しだ。
・
・
・
「うーん、やっぱり付き合ってなかったかー」
「……見ての通りですね」
「し、仕方ないじゃない! だって何か視線怖いんだから!」
ならそんな格好すんなよ、と言いたい気持ちを抑える。
明らかにこなれてそうなお洒落な格好を選んだら、そりゃ男もそういうつもりで来るに決まってる。
……まあ、人の趣味だからとやかくは言わないが。綺麗の努力というのも判らなくもないし。
「というかだったら、せめて格好をもう少し落ち着いた奴にしろよ」
「女の子なんだから、綺麗に見られたいに決まってるじゃない!」
「……見られたいのか見られたくないのか、どっちなんだよ」
スイーツ(笑)なんだろうか。
見た目的にはばっちりだけど。
「それは…………その、好きな人の前ではできるだけ可愛いって思われたいって言うか」
「あ、コーヒー淹れてきます」
「ブラックでおねがーい」
「ちょっとぉ!?」
犬も喰わない。胸焼けがしそうだ。甘いものには苦いコーヒーしかあるまい。
というか、何が嬉しくて他人の甘々の片想いの話を聞かねばならないのだ。爆発しろ。
……ああいや、そういえば逆をやってたな。散々相談に乗って貰った覚えがある。
なるほど、こんな気持ちになるのか。勉強になった。
……で、須賀京太郎が台所に引っ込んだ後。
「ねえ、お姉ちゃん……いつから気付いてた?」
「んー、最初?」
「はぁっ!? な、なんで!?」
「いや、ヤッてるにしては距離が変だなって」
「ヤ、ヤっ!? ふきゅっ」
「なのに嘘吐いたから、これはなーって」
「……お姉ちゃん凄すぎ」
そりゃ当然とウィンクを飛ばす姉に、敵わないなと視線を送る。
……というかその辺り、素直に師事を仰いだ方がいいのかもしれない。何だか経験豊富そうだ。
ズルい。我が姉ながら。
「でも、だったらなんであんな風にからかったのよ?」
「からかったというか……援護射撃?」
「援護? 何が?」
「須賀京太郎くん」
「……」
「須賀京太郎くん」
「……に、二度も言わなくても聞こえてますから!」
というかここで一体何故須賀京太郎の名前が出てくるのだろうか。
そりゃあ確かに一番身近な男子で、高校一年生からの付き合いで、学部も一緒で、家も隣で、ご飯一緒に食べるけど……。
でも、別に、その、たかが須賀京太郎だ。
男苦手だけど話しやすいぐらい軽薄で、気が利くなってくらい神経質で、熱心だなって思うぐらい生真面目で、
穏やかで落ち着いてるなってぐらい男として甲斐性がなくて、進んで人の手伝いをするような断れない優柔不断で、男男してないから良い覇気のなさで、
一々気軽に頼ってくれちゃうぐらいだらしなくて、俳優かって感じのイケメンってところの黙ってればマシな格好よさで、
わざわざ荷物持たなくてもいいのにってぐらいの中途半端な逞しさに、正直スポーツ得意ってそれだけでいいかもってぐらいの麻雀部には必要ない運動神経の持ち
主で――。
その癖、やけに憧に対してぞんざいというか突っ慳貪でお調子者で胸がおっきな女の子にデレデレしてる、あんな男なんて。
「別にあたし、京太郎なんてどうでもいいわよ」
「そう? 高校の頃から、話題に出る男子と言ったら須賀くんなのに?」
「ひゃぁぁあ!? わー! わぁー! わぁぁあー!」
「お洒落にもっと気を付けてるのも、バストアップ体操してたのも、料理の仕方聞いてきたのも、さくらんぼで舌のトレーニングしてたのも――」
「ちちちちちち、違うわよっ! 違うのっ! 違うんだからぁ!」
「デートのお作法聞いてきたのに?」
「そそそ、それは一般論であって別に京太郎は関係ないし京太郎に好きになって貰おうとか思ってないし京太郎なんてどうでもいいんだからぁっ!」
「へー、顔真っ赤」
「こ、これはお姉ちゃんが大声出させるから!」
「……別に大声出せなんて一言も言ってないわよ?」
ううう、とすっかり意気が消沈する。
こういうところ、やはり、姉には敵わないのである。
新子憧がどういう人間か――どういう妹かなんて、とっくのとうに判りきっていて、折込済みなのだから。
……。
いや、でも、それにしても、須賀京太郎については誤解としか言いようがない。
そりゃあ、まあ、顔は整っている。
性格も穏和で、気が利く方で、落ち着いている風で、何だかんだと気遣ってくれて、爽やかで、面白くて、男なのに話しやすい奴だ。
そういう意味だと、まぁ、悪くない奴だと言ってやらないこともないもないもないかもしれない。その、一応。
「そ、そりゃ……相手が京太郎でも、いきなり言われたら驚いちゃうわよ」
「ふーん?」
「そ、そうよ。京太郎相手でも仕方ないのっ」
……でも。
そんな態度、憧にはあまり見せないし、先輩には従ってる癖に自分には突っかかってくるし、巨乳にはなんとなくデレデレ脂下がるし、
自分が隣にいるのに別の女の子に目を遣るし、気遣ってくれてるのか知らないけど一言多いし、生意気だし、馬鹿だし、
なんか軽んじられてる気がするし、香水変えたのに中々気付いてくれないし、こっちの気も知らないで何気なく近くに寄ってくるし、
高身長でスラッとしてるのはいいけど……あれだとキキキキキキキキキスするとき大変そうだし、
勇気出して誘ったのに何でもないように受け入れられるから……悩む価値ないのかな女と思われてないのかなって感じだし、
家が隣だから夕飯とか一緒に食おうって言ってくるし、その癖小瀬川白望にかかりきりであんまり一緒に食べられないし、デレデレしてるし、
ちょっとミーハーだし、こっちの気も知らずに笑いかけてくるし、鈍感だし、無神経だし、ええかっこしいだし……欠点を挙げればキリがない。
「京太郎なんて、別に好きじゃ……ないんだから」
だから、あんな馬鹿男なんて、どうでもいいんだから。
「あー、好きじゃなくて大好き的なノロケ?」
「ちちちちち、違ぁぁぁぁあう!」
「じゃあ、愛してる?」
「あああああ、あっ、あっ、あっ、あい!? 愛し!?」
「いきなり喘いでどうしたのよ」
「ああああああああああ、あ、あああ、喘いでなんてないっ! 枕使ってるもんっ! 使ってるんだからぁ!」
「……枕?」
「ふきゅっ」
違う。こ、これこそ誤解!
別に京太郎なんてどうだっていいし、正直なんであんな奴でって感じだし、別にアイツなんて本当にどうでもいいし、
嫌いだし、嫌いは言い過ぎたあんまり好きじゃないだし、あんまり好きじゃないっていうかまあそこまで嫌いじゃないって感じだし、
他に男が身近にいないから妙に意識しちゃってるだけだし、アイツが今日みたいに心臓に悪いこと言うからだし、高校三年間女子校だから免疫ないだけだし、
あくまでも仕方ないだけであって、将来好きな人が出来たことを想像したら、ホンの少しだけヘンな気持ちになっちゃっただけで、
たまたま近くに京太郎がいる所為だから、これは別に仕方がないことであって仕方がないし、京太郎なんて本当に別にどうでもいいのだ。
「……まあ、お試しで付き合うのも悪くないんじゃないの? うんうん」
「お試しって……だって、最初に付き合うのはやっぱり好きな人がいいし……」
「乙女ねー、我が妹ながら。……拗らせるわよ?」
「うぅ……でも、最初だから大切にしたくても、いいじゃない」
やっぱりちゃんと好き同士で結ばれたいし、優しくして欲しい。
多くは望まないから……。
ちゃんと話聞いてくれて、清潔で、優しくて、明るくて、話易くて――自分のことを好きで居てくれるなら、それでいい。
勿論……顔には拘らないけど、あんまり怖すぎるのは嫌で、男男してるのもちょいパスで、流石に見るに堪えないのはご遠慮で、できればイケメンだとなおよし。
身長だって、高い方が格好いいけど、あんまり離れ過ぎてると首が疲れるし、キスも大変だし、威圧感ありそうで嫌だ。
まあ、ぎゅってしたときに、ちゃんと受け止めて頭を撫でてくれるなら、それはそれでいいかもしれない。うん。
スポーツは出来たら格好いいのは勿論だけど、別にバリバリじゃなくても問題ない。
ただ、リードして色々なのに連れていってくれるとデートの幅が広がって嬉しい。あとやっぱり、助けてくれたりするとポイント高い。
他には出来れば――って考えると、色々ある。
でもやっぱり一番は、ちゃんと自分のことを好きで居てくれること。好き同士だったら、それでいい。
……だから、須賀京太郎は当てはまらない。
売り言葉に買い言葉ですぐ喧嘩とか、当てはまらない以外の何者でもない。
こっちも言い過ぎちゃってごめんって感じだけど……やっぱりデリカシーがないから、向こうも悪い。
それにそうされると、全然意識されてないのかなって感じで……何か癪で、ついつい言葉が刺々しくなってしまう。
直したいとは思ってるけど、京太郎もそういう態度なんだから、仕方ない。
だからちょっとでも変えようと思ってお洒落に気を使ってるのに……鈍感で、全然気付いてくれない。
そうなると、繰り返しだ。
――だから、やっぱり、須賀京太郎なんてどうでもいいのだ。
だって、須賀京太郎は、新子憧のことを……ちゃんと見てくれないんだから。
「……まあ、じゃあアドバイス」
「別に……いいわよ」
「本当に?」
「……」
「本当に? なら、別にいいけど」
「……一応、聞く」
……別にどうでもいいけど。
須賀京太郎にナメられるとか、軽んじられるとか、甘く見られるとか、馬鹿にされるのが癪なだけだ。
だから、その――これも仕方ない。
須賀京太郎とか、本当に、別に、どうだっていいけど……うん。
とにかく、京太郎には弱味を見せたくない。それだけ。
「じゃあ――」
・
・
・
「コーヒー入りましたー。やっぱり久しぶりだと、盛り上がるんですか?」
「……聞こえてた?」
「いや、時々憧が奇声上げてるぐらいだな」
「奇声ってあんた――、……まぁ、いいわよ」
「……?」
トン、とコーヒーカップが置かれる。
お揃いで、色違いの京太郎用。ときたま、というかしばしば遊びに来るから態々買ったのだ。
……当の須賀京太郎は、なんら意識してないから、やっぱり腹立たしいけど。
「憧は砂糖とミルクあった方がいいか?」
「……あんたは?」
「俺は基本的にブラック。ブラックの風味を一番に淹れてるしなー」
「……じゃあ、それでいい」
「そうか? ……一応、ミルク置いとくけど」
別にいいって言ってるのに……この気にしいが。
こういうところも、やっぱり気に食わない。腹立たしい。
……一応、一口はブラックで飲んでみて、それから決めよう。
「あれ? これ、思ったより……」
苦いんだけど、苦手な苦さではなかった。
なんていうか風味が豊かで、泥水という感じもしなければ、缶コーヒーのような金属っぽい苦さもない。
もう一口。
……やっぱり苦いけど、嫌いじゃない。
「須賀くん、これブレンド?」
「あー、はい。……判りますか?」
「そりゃあ、それなりに飲んでるから…………何使ったの?」
「エチオピア、クリスタルマウンテン、キリマンジャロのブレンドです。キリマンジャロはちょっと粗めで」
「分量は?」
「エチオピア2の、クリスタルマウンテン2の、キリマンジャロ1ですかね」
「へー。少し酸味、香り強めのブレンド? あと、抽出温度下げてあるでしょ」
「あー、まぁ……」
色々と当てられたことにばつが悪そうに、京太郎が頬を掻いた。
どうせ、始めたてのコーヒーで密かに色々やって一人で得意気にしていたのだろう。そういうところ、お調子者なのだから。
なのに、そう上手くはいかなかった。色々と詰めが甘いのだ、この男は。
「そりゃまた、どうして?」
「あー、その……」
「何、勿体ぶってるのよ。さっさと言えばいいじゃない、京太郎」
「…………あー。その、憧が」
「あたしがどうしたのよ」
「……苦いの苦手だけど、なるべくストレートのコーヒーの美味さを楽しんで欲しいなって思って」
「……」
――。
――。
――。
…………ばっかじゃないの、このかっこつけ男。
「……ふーん」
「いやあ、愛だね。見せつけてくれちゃうなー、須賀くん」
「愛って……いやいやいや、望さん! 俺とコイツはそんな関係じゃないですから!」
「そうなのー? 君が義弟ならおねーさん、大歓迎だけど」
「いやいやいやいや、あり得ませんから! な、憧?」
「……………………ふん」
ちょっと見直したと思ったら、すぐこれだ。
腹立たしい。一々、喧嘩売ってくれちゃって。
まあ、あり得ないって言うのはこっちの台詞であるし、別に須賀京太郎が否定しようが、どうだっていいけど。
……本当にどうだっていいけど。
……というかそれ以上に。
いつの間にか、平然と我が姉を下の名前で呼んでるし。なにそれ。
こっちのことを名前で呼ぶのには、一ヶ月とか二ヶ月とかかかったのに。なにそれ。
いや、別に構わないけどね。構わないけど。
構わないけど、ムカつくのはまた別問題だ。ちょっと年上が相手だからって、ニヤニヤしちゃって。なにそれ。
……別にどうでもいいけど。
「というか、須賀くん。全然飲んでないけど……実はブラック苦手?」
「いやー、実は俺、猫舌で……」
「温度低めなのも、実はそのせい?」
「ははは、その所為もあったりしちゃいますかも……」
……ほら。ほら!
喜んで損した。コイツ、結局はそういう奴なのだ。知ってたけど。
自分が苦手なだけな癖に、なのに、あたかもこっちの為……みたいな言い方して――業腹だ。
やっぱり、須賀京太郎なんて須賀京太郎であって須賀京太郎以外の何者でもない馬鹿。
「ふーふーしてあげようか?」
「いや、それは流石に……」
「憧が」
「はぁぁぁぁぁぁああ!? なんであたしが!?」
「だって、憧の為に須賀くんは恋人役を引き受けてくれたんでしょ?」
「それは……そうだけど」
「だったらお礼にふーふーぐらいしてあげてもいいんじゃないの?」
「……うぅ」
「それとも、そんなに恩知らずだっけ? 我が妹ながら悲しいなぁ」
……別に、やりたいとかまるで思わないけど。
本当の本当に思わないけど。
だって、京太郎がこれから飲むものを態々自分がふーふーするなんて、恥ずかしいって話じゃない。相手が須賀京太郎だとしても。
そんなのきっと――こここここここここ、恋人でもやらない。し、新婚さんでも無理。
レベル高すぎる。ハードルも高すぎる。絶対無理。確実に無理。そんなの無理無理無理無理。
やるだなんてのは、よっぽど意識してないか、それともよっぽど好きかの二者択一。どのみち地獄。
別に京太郎なんてなんとも思わないけど、嫌。とにかく嫌。そんなの無理。
(……でも、どうしてもって言うなら)
恩知らずとか、そんな風に言われたら引けない。
ただそれ以上でも以下でも以外でもない。それだけの話。別に、須賀京太郎相手にラブラブカップルの真似事をしたい訳じゃない。断じて。
それに……退かれたら、嫌。
でもでも、これぐらいやったら――須賀京太郎だってこっちのことを意識して、扱いが変わるかもしれない。
……それは別にどうでもいいけど。
恩知らずとか、そんな汚名を着せられたくないから、だから――
「あ、別にお礼とかいいんで。ほら、結局バレちゃった訳で……憧も気にするなよ。な?」
……。
……こいつ死なないかな。
「……はぁ」
「ん、どうした?」
「……べーつーにー」
「そうか? 本当、気にするなよ? 飯奢るとか、そういうのもいいからな?」
……。
「…………………………ふーん、あっそ」
「……どうかしたか? コーヒー、口に合わなかったとか……?」
「……別に、何でもないわよ」
……この馬鹿、死ねばいいのに。
別にそんな、ふーふーでお礼するとか、ちょっと小洒落た料理屋さんでディナーするとか、ランチするとか、手料理作ってあげるとか――。
そんなお礼なんて何も考えてないけど。全く考えてないけど。全然、想像すらしてないけど。
何かしらお礼をしなきゃ――と思ってるところにこの態度。本当、死ねばいいのに。
……そうやって、ほいほい引き受ける癖に、人から迷惑かけられてる癖に、「何でもないことだから」って態度は最低。
それ、こっちもお礼できないから逆に気にするって感じだし――。
何より……別にこっちが特別だからとか、親しいから迷惑ごとを引き受けてくれたんじゃなくて、頼まれたら誰でもいいって感じだから、駄目。
何か、要するに――その他大勢誰でも一緒、みたいな。
……それが非常に腹立たしい。それも非常に腹立たしい。
だけど――。
そんな風に厄介ごとを気にせず簡単に引き受けて、断りきらないせいで、京太郎の身に何か起こる――過労とかトラブルとか――のも心配。
そういう馬鹿なところ、本当に好きになれない。そこだけは無理。
……いや別にそれ以外は好きとか好ましいとか意識してるとか理想に近いとかそういう意味ではない。断じて誤解である。誤解ったら誤解である。
「憧、本人がいいって言ってるんだからいいんじゃない?」
「……はーい」
「それにしても……今日はありがとうね、須賀くん」
「いや……何か、騙そうとしてすみません」
「いいのいいの。憧にも、そんな相談ができる男の子がいるって判ったからね。……そんなのは、君だけだろうし」
「まあ、何だかんだと高校からの付き合いですから」
「憧のこと、宜しくね? 変な男とかに引っ掛からないように、ちゃんと付いててくれたらありがたいかなって」
「任せて下さいよ!」
……ほら、安請け合いしてる。
別に、こっちのことなんてどうとも思ってない台詞を簡単に言ってくれて……。
本当、須賀京太郎って嫌な奴だ。
「なんなら……君が義弟なら大歓迎だけど」
「ははは、俺も望さんが義姉なら楽しいかなって思いますよ」
「あれ? なら、婿入りする」
「いやー、流石に……。憧が嫌がるかな、って」
「……よく判ってるわね」
だって、片想いの相手がいるもんな――――なんて言いたげな視線を送ってくる。
……やっぱりコイツ、好きになれない。
「……って、なんか帰っちゃう的な空気ですけど」
「そうそう、よく空気読んだね」
……普段読めない癖に。
「え? 泊まっていったりしないんですか? 奈良から出てきて、日帰りって……」
「いや、日帰りじゃないよ。こっちの知り合いのところに泊めて貰うから」
「へー。姉妹水入らずって感じかなって、思ってたんだけど……」
「水入らずは別件でありそうだからね」
「え?」
「いやいや、こっちの話」
そうして、姉から飛ばされるウィンク。釈然としない様子の須賀京太郎。
……別に、そうじゃないのに、余計な気を回された。
でも――。
姉の言葉にも一理はあったから、だから――――。
「それじゃあね、須賀くん。今度はうちの方にも遊びに来てよ?」
「奈良に行くときは、是非」
「じゃあ、今度ー」
……そうして、新子憧の姉は家を出た。なんだかあっという間で、台風みたいだった。
名残惜しい。
久しぶり――と言っても大学入学以来だけど――なんだから、もう少し一緒に居たかった。
……でも。
そんな姉が、そこまでしたんだから。そんな感じに気を遣ってくれたんだから。
ここは――、彼女の言葉を、考慮してもいいんじゃないだろうか。
「ねえ、京太郎」
「ん、どうした?」
「迷惑ついででもう一つなんだけど――――バイク出して貰っていい?」
「ああ、買い物か?」
「……。ちょっと、行きたいところがあるのよ」
◇ ◆ ◇
背中から抱き締めるように、腰へと手を回す。
バイクは詳しくないけど、こういう特撮か何かに出てきそうなスマートなフォルムのバイクはスポーツタイプというらしい。
免許は、高校一年生で誕生日を迎えてから直ぐ取ったのだとか。
ただし、金がなかったから余り良いのは買えずに、時々知り合いのバイクを借りたぐらいで――こうして誰かを乗せての遠出の経験はないそうだ。
遠出と言っても、そこまで遠出ではない。
というのも京太郎が、まだ二人乗りで高速を走れないから。本人は、早く来年にでもなってくれないかな、なんてボヤいてる。
……でも、憧はこれでいいと思っていた。
走るバイクの背中にいるときは、他の音も聞こえない。余計なことを言わなくていい。京太郎と、言い合いになることもない。
ただ、風の中に京太郎と自分がいる。うるさいんだけど、静かに二人いる。無言でも、何もおかしくなくて許される。
確かに、一々信号に捕まって止まるのは台無しという感じではあるけど――――なんだか、二人なのに独りで、煩いのに静かで、寂しいのに豊かだからこれでいい
。
……こんな時間が、ずっと続けばいい。
だから別に、高速道路に乗れなくても、それでいい。
きゅっと、身体を寄せる。
(……このままなら、喧嘩しないで済むのに)
どうしても――お互いに一言多くて、我慢できなくて、負けっぱなしが嫌で、張り合ってしまう。
だから、女として意識されないのかもしれない。むしろ、嫌われたり疎まれていったりするのかもしれない。
だから、どうしたという話だけど――――普段は別になんでもないけど、こういうときだけは、想像すると鼻の奥がツンとする。
なんでなのだろう。
別に、須賀京太郎と喧嘩しようが言い合いになろうが――どうでもいい筈なのに。
だってこの男は、すけべで甲斐性がなくてええかっこしぃで優柔不断で無神経で鈍感で馬鹿で真面目で軽薄で御調子者で――。
何よりも麻雀に本気で、高鴨穏乃との約束を大事にしている奴なのに。
(……お姉ちゃんが、変なこと言うからいけないのよ)
姉が憧を追い立てた――なんて言うと、あまりにも姉に押し付けすぎだが。
妙に焚き付けられたのは、事実だ。
『いい? 妙な苦手意識なんて、持ってても仕方ないわよ?』
『試しでもいいから、誰かと付き合ってみたら少しはマシなるって』
『変な男だったら、憧としても嫌なことされるかもしれないけど……須賀くんなら大丈夫』
『憧はそのままでいいと思ってる? ……ないよね』
『だから、試しにお付き合いしてみたら? それとも、須賀くんとは嫌? 男は怖い?』
『……うん、じゃあ、試してみたら? 深いことは考えないでいい。ただ、近くて安心できるのが須賀くんだった――それだけで』
『で、ああいうタイプにはね? まずは――』
止められたバイク。
自分用として購入されたヘルメットを外して、京太郎の目をしっかりと捉える。
やっぱり、お試しというのは納得できない。
大切な最初の恋人をそうも軽く流してしまうこともそうだし、何よりも京太郎に対しても失礼だ。
きっとお試しでも、どんな結果になるとしても――自分と京太郎の関係は変わる。今のままじゃ居られなくなる。
だから――。
そうなるなら、気の迷いかも知れないこんな気持ちだけど、ちゃんと――。
「……京太郎」
「ん、なんだ?」
「あたしさ、あんたのことが――」
いつからか気になって意識しちゃって仕方ないのよ――
「――あ、須賀と憧じゃないか! 奇遇だな」
――って、あれっ、弘世先輩?
「あ、弘世先輩。どうしたんですか?」
「いや、なんとなく急に山が見たくなったんだ。そろそろ紅葉か、なんて思ったんだが――」
「……流石にまだ早いですよ」
「早かったな。……今年は遅いのかも知れないな」
「……」
やれやれと、頭を掻く弘世菫。
その後ろには心底疲れたという表情の辻垣内智葉が続き、飲み物片手に呆れ顔の江崎仁美がいて、困り顔の臼沢塞と、彼女に寄りかかる小瀬川白望。
白望の腰の辺りを押す鹿倉胡桃に、スポーツドリンクを差し出しながらニコニコ顔の荒川憩。
ここに原村和が揃えば、麻雀部のフルメンバーである。
「……あ、憧。なんて言おうとしてたんだ?」
「今日はお世話になったから、焼き肉か蕎麦でも奢ってあげるってね」
「脈絡ない組み合わせだよな、それ……。それにお礼とかはいいって」
「いーから受け取っときなさいよ、こういうときは。その方が、こっちも気にしないで済むんだから」
「へー、そうなんだな」
「せんぱーい、一緒にご飯に行きませんー? 和も誘って」
バイクどうしよう、なんて漏らす京太郎を尻目に先輩たちの元へ。
まあ、こういう巡り合わせだったんなら、それはそれで仕方ない。
むしろ、なんとなくその場の雰囲気に流されて変なことを口走らなかっただけ、よしとしようではないか。
まだまだ大学一年生。これから、須賀京太郎との時間は沢山ある。それが嫌だとしても、まだまだ長い付き合いなのだ。
だから――。
だからもう少し、ちゃんと考えてもよいのだろう。きっと簡単に決めるような問題ではないのだから。
人には、人のペースがある。
今は、まあ――――少なくとも普段どうあっても、困ったときは助けてくれる間柄だと確かめられただけでも、よしとしておこうか。
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【新子憧の好感度が上昇しました!】
最終更新:2014年04月12日 03:41