京太郎(今日は……和菓子か)
京太郎(和菓子っつーと、色々思い出すな)
京太郎(穏乃、元気でやってんのかな)
京太郎(色々、遊んだよなぁ)
目を閉じて、彼女のことを思い出す。
これから収録であるために、辛気臭くなってしまう思考を打ち切る。
彼女との楽しい思い出を。
楽しければ楽しかっただけ、そのあとの悲しさが増すのが人間というもの。
だがもうすでに、あれから幾年も経過しており。
楽しかった思い出は、楽しかった思い出として思い返すことができる。
その程度に、人間練れはするものだ。練りきり菓子のように。
……まあ。
やはり、どことなく寂しさと悲しさを拭えないものではあるし、
どうにも自分という人間は、過去にとらわれやすい感傷的な人間ではあるのだけれど。
京太郎(あんま、グダグダ女々しく引きずってると……)
京太郎(あいつに、『笑顔! 笑顔!』って叱られそうだしな)
京太郎(……って、また引きずってるよ。俺)
京太郎(本当、笑顔が似合うやつだったな)
京太郎(別れる時も……無理に作ってたとしても、あいつは笑顔で俺を送り出した)
京太郎(俺のことを思って、あいつから言い出した)
京太郎(俺が凹んでて、どうすんだよ)
京太郎(誰かの涙を拭うんなら、俺が泣いてちゃしょうがねーだろうが!)
◇ ◆ ◇
京太郎「いや、来たなー」
穏乃「来たねー」
憧「そうね」
憧「……って、なんであたしまで来てるのよ」
穏乃「えー」
穏乃「だって、みんなで遊んだ方が楽しいでしょ?」
京太郎「……そ」
京太郎「そうそう、そうだって!」
穏乃「ねー」
京太郎「なー」
憧(……このヘタレ男が)
憧(なーにが、『穏乃と二人っきりだと緊張しちまうから頼む』よ)
憧(むしろ、ここで男になってくるぐらいの甲斐性見せたらどうなのよ)
憧(……)
憧(お、男になってくる……)
憧(ふきゅう)
憧(ま、まあ)
憧(それぐらいの男らしさがある奴じゃないと、親友は任せられないっていうか)
憧(しずにはそういうのまだ早いっていうか)
憧(なんかそこらへんでしずに先に行かれたくないっていうか)
憧(とにかくまあ、ついてきてやったわよ)
憧「……で、ここ」
憧「何するところなのよ?」
京太郎「見ての通りだぜ! なあ!」
穏乃「そうだよ、憧! 見ての通りだよ!」
憧「見たところ嫌な予感しかしないからそう言ってるんだけど……」
京太郎「嫌な予感って……するか、穏乃?」
穏乃「え? いや全然しないけど……」
憧「黙れ体力バカ二人」
穏乃「バカ!?」
京太郎「おい、穏乃と一緒にするなよ!」
穏乃「えっ、ひどい!?」
憧「あたしからしたら、あんたらどっちとも体力バカだからね?」
京太郎「いやな、穏乃」
京太郎「俺は、まだお前みたいに山登りが上手くできないからそう言ったわけであって」
京太郎「別にお前のことを、バカにしようとか思ってないからな?」
穏乃「なーんだ」
穏乃「びっくりしたよ、京太郎」
穏乃「さすがにあんな風に言われたら、いくら私でもショックだから」
京太郎「そんなこと言わねーっての」
京太郎「いや、言い方悪かったのは認めるけどさ」
京太郎「悪いな、穏乃」
穏乃「ううん、別にいいって! そういうことなら!」
憧「――って、聞きなさいよ!」
憧(目の前でいちゃこいてんじゃないわよ!)
憧(そう言えたら、どれだけ楽だろう)
憧「で、何の施設なのよ……本当」
京太郎「ん、だから見ての通り――」
憧「――だからそれはもういい」
京太郎「アッ、ハイ」
京太郎「シズえもん、憧やんが虐めるよー」
穏乃「仕方ないなぁ、京太くんは」
憧「イラッ」
京太郎「なんとなく言ってみたけどこれ、意外にあってるな」
穏乃「そうかな?」
京太郎「だってほら、穏乃はあんこ好きだろ?」
穏乃「うん」
京太郎「で、ジャージが青いだろ?」
穏乃「そうだね」
京太郎「ほら、シズえもんじゃねーか!」
穏乃「……はは」
穏乃「いや、それはちょっと苦しいって」
京太郎「だよなー」
京太郎「自分で言ってて、そう思った」
穏乃「そうだって」
京太郎「――あ」
京太郎「つーかもっとぴったりなのがあるな」
京太郎「しずちゃんで」
穏乃「あー」
穏乃「あれ? でも、しずかちゃんって呼んでなかった?」
京太郎「甘いな、穏乃。どら焼きより甘々だ」
京太郎「あれ、原作の方だと『しずちゃん』呼びなんだぜ?」
京太郎「しかも、小学4年生なんだ」
穏乃「へー、アニメと違うんだ」
京太郎「そうなんだよ。ちょっとばかし、違ってるんだ」
穏乃「京太郎は物知りだね」
京太郎「まあな、それほどのこともあるけどさ」
憧「……あんまりそれ続けるなら帰るけど」
憧(どら焼きより甘いのはあんたらのそのいちゃつきだってーの!)
憧(ねえ、何がしたいの? 独り身ざまあっていいたいの?)
憧(あんたがしずのこと意識してるの、バラしてほしいの?)
京太郎「……で、この場所はなんと!」
穏乃「ポルタリングの施設です!」
京太郎「ボルダリングな、正しくは」
穏乃「そうだっけ」
京太郎「そうだって」
憧「……うん、それは見ればわかるわよ」
京太郎「じゃあ、聞くなって」
憧「あたしが言いたいのはさ……」
憧「なんで、登ってる人たちは命綱つけてないのよ!」
ウォールに設置された、色とりどりの石を模したオブジェクト。
あれは足場であり、手の取っ掛かりだ。
見れば大小さまざまで、それを見分けてどんなルートで進むのかが大事なのだろう。
また……ある色は小さい、ある色は大きいなどの違いもあるので、
どうやら、ある一色縛りなどで難易度をあげられるらしい。
らしい……が。
誰も命綱をつけていない。
憧としても、ロッククライミングというのは知っている。
それを室内で行う施設があるというのも、知っている。
だが何だろう、これは。
ロックをクライミングするよりも、ステアウェイ・トゥ・ヘブンをクライミングしそうである。
落ちたら死ぬだろう。そういう意味では、実にロックだ。
やかましいわ。
京太郎「だって、高さはあんなもんだろ?」
穏乃「4メートルくらいだよね」
京太郎「命綱とかいらないだろ」
穏乃「ねー」
穏乃「足元にマットがあるしね」
京太郎「な」
京太郎「4メートルから落ちて死ぬ奴なんていないって」
憧「あんたらを基準に語るな」
憧「死ななくても!」
憧「足をくじいたり、腰を打ったりするでしょ!」
憧「もしかしたら、打ち所が悪くて半身不随になったり!」
憧「頭打って脳挫傷になったり!」
京太郎「考えすぎだろ」
穏乃「憧はちょっと、心配しすぎだよ」
憧「あんたらはちょっとは計算しなさいよ!」
憧「4メートルよ! 4メートル!」
憧「大体2階の窓から飛び降りるようなもんじゃない!」
憧「あんなマットで、助かるとは思えないって!」
穏乃「あのマット、結構いい奴だと思うけどなー」
京太郎「ちゃんと受け身取ったり、着地法考えれば大丈夫だろ」
憧「大丈夫じゃない! 特にそんな思考をできるあんたの頭が!」
京太郎「ひっでえ」
京太郎「山育ちならこれぐらいはなー」
穏乃「うーん」
穏乃「昔は憧も結構元気いっぱいだったんだけど」
京太郎「いつの間にか、スレた都会っ子みたいになってしまった……と」
穏乃「そうなんだよね」
憧「……っ」
憧「だから、そっちが異常なの!」
京太郎「別にそんな、叫ぶほどでもないだろ?」
京太郎「別に無理して上に登らなくてもいいんだしさ」
京太郎「それに、今まで誰か死んでたら……この施設閉鎖されてるって」
憧「たまたまここの第一号になるかもしれないじゃない!」
京太郎「あんまり計算しすぎるから、こうして考えすぎるのかね」
穏乃「どうだろ?」
京太郎「そうはなりたくないよなー」
穏乃「そう?」
穏乃「私計算苦手だから、憧みたいにできたらかっこいいなーって思うよ」
穏乃「憧のそういうところ、尊敬してるし」
憧「うっ」
憧「なんでそう、ストレートに言うかな」
憧「言われたこっちが恥ずかしいっていうか……その」
穏乃「どうしたの?」
憧「何でもない!」
京太郎「しずはいい子だなー」
穏乃「そう?」
穏乃「でも、京太郎も計算は得意でしょ」
京太郎「ま、麻雀のスタイル的には多少はな」
京太郎「俺のは計算っていうか、どっちかというと論理的思考ってとこだけど」
穏乃「?」
京太郎「んーとな」
京太郎「『昨日は雨だった』」
京太郎「『雨の前にはバッタが大量に飛んでいた』」
京太郎「『三日前もそうだった』」
京太郎「『おとといは雨も降らず、バッタも飛んでなかった』」
京太郎「『今日はバッタが大量に飛んでいる』」
京太郎「『今日も雨が降るかもしれない』」
京太郎「みたいな奴」
穏乃「うーん」
穏乃「判るような、判らないような……」
京太郎「要するに……駒が目茶目茶沢山ある、チェスとか将棋とかやってるみたいな感じか?」
穏乃「ふーん」
穏乃「だから、眉間に皺が寄っちゃってたりするんだ」
京太郎「まあ、考え事しなきゃいけねーしな」
穏乃「難しいこと考えてるんだね」
京太郎「そうしないと、なかなか勝てないからしょうがねーんだって」
穏乃「……で」
京太郎「今日はそんな計算少女憧ちゃんのために」
穏乃「体を動かしたら楽しいよってことで」
京太郎「一緒についてきてもらいました!」
穏乃「これなら、山登りと違ってやめたいところでやめられるし」
京太郎「トイレもすぐそこだから、前みたいに我慢しなくても済むし」
穏乃「いざ崖をあがらなきゃいけなくなった時に、使えるし!」
京太郎「色々よさそうだから――一緒に、楽しもうぜ!」
憧「却下」
穏乃「へっ」
京太郎「なんでだよ」
憧「あのね……」
憧「確かに、運動に誘ってくれるのはうれしい。普段身体をあんまり動かせてないし」
憧「色々気を使ってくれてるのも判る」
憧「でも!」
憧「命綱なしって、一番大事なところに気を使えてないでしょうが!」
穏乃「えー」
京太郎「えー」
穏乃「だって、調べたら危なくないってあったよ?」
京太郎「ちゃんと注意して、無理しなきゃ大丈夫だってあったぜ?」
憧「だ・か・ら」
憧「ド素人のあたしたちが、どうして危なくないのか危ないのか!」
憧「無理なのか無理じゃないのか!」
憧「どこに注意すればいいのか!」
憧「それを判別するっていうのよ! どうやって!」
京太郎「それは……なあ」
穏乃「スタッフの人も、ちゃんといるから……ねえ」
京太郎「そうそうおかしなことにはならないって」
穏乃「ね」
憧「確かに、あんたらの頭以上にはおかしくならないわよ!」
憧「とにかく!」
憧「あたしはやらないから」
憧「最初にどこいくのか聞いとくべきだったけど……」
憧「先に言いなさいよ、どこにいくのか」
憧「そこらへん、気遣い足りてないわよ」
穏乃「うー、ごめん」
京太郎「……悪い」
憧「ううっ」
憧「ほ、本当に誘ってくれたのは嬉しかったからね?」
憧「ただ、あたしはあれをやらないってだけよ」
穏乃「えー」
京太郎「残念だな」
京太郎「……ま」
京太郎「あっちにエアロビ用の機材とか」
京太郎「スラックラインとか、ダンスゲームとかあるから」
京太郎「そっちでも、楽しんでてくれよ」
京太郎「それとも、近くで見てるか?」
穏乃「私たちも、憧に合わせようか?」
憧「……別にいいわよ」
憧「二人で楽しんで来たらいいんじゃないの?」
穏乃「でもさ……」
穏乃「それってなんか、憧に悪いよ」
穏乃「一緒に遊びに来てるのに、ほったらかしって」
憧「……」
憧「だーかーら、気にしないでいいってば」
憧「二人がやってて安全そうだと思ったら、あたしもやるからさ」
憧「ほら、行った行った」
穏乃「ちょ、押さないでよ!」
京太郎(やっぱり穏乃可愛い)
京太郎(気遣いできる穏乃マジ、天使としか言いようがないだろ)
京太郎(可愛い)
京太郎(気ィ利かせてくれたのかな?)
京太郎(なんか、悪いことしちまったな……憧に)
京太郎(もっと色々、気遣いできるようになんねーとなぁ)
京太郎(結構俺、近い相手になると気を遣わなくなってくるからな)
京太郎(要・精進だ)
京太郎(……ま、それはともかく)
京太郎「さーて、着替え終わったし」
京太郎「ここに来たら、やることは一つだよな」
穏乃「うん!」
穏乃「もしかして、京太郎も同じ気持ち?」
京太郎「ああ」
京太郎「たぶん俺たち、おんなじこと考えてる」
穏乃「……そっか」
穏乃「京太郎……」
京太郎「……穏乃」
穏乃「登ろう! あの壁を!」
京太郎「ああ! 俺たちはあの果てしない壁を登るんだ!」
京太郎「そして――」
京太郎(さーて、鍛えた握力)
京太郎(そんで、腕力を披露するときが来たらしいな)
京太郎(ここでスイスイ登って、穏乃にアピールだ!)
京太郎(山登りはまだ勝てねーが……)
京太郎(純粋な筋力勝負であるこれなら、俺にも分がある)
京太郎(雑用で鍛えた体力……!)
京太郎(損で毎日、区切りながらでも行った300回の腕立て……!)
京太郎(ここで出さなくて、いつ出すんだよ! なあ!)
京太郎「なっ」
京太郎「ぐっ……!」
京太郎「ここは……っ」
京太郎「思ったより、ハングがやべえ……っ!」
穏乃「どうしたの、京太郎ー」
京太郎「な……!」
京太郎(あいつ、あんなにスイスイ上がってやがる!?)
京太郎(なんだと……)
京太郎(くっ、呼吸を乱すな……!)
京太郎(握力になーかなかに聞いてるが)
京太郎(別に全然、疲れるってとこには遠いぜ……!)
穏乃「京太郎ー!」
穏乃「これ、足を使った方が上がりやすいよ?」
京太郎「足ィ?」
穏乃「そうそう」
穏乃「で、はしごを登るみたいに腰をちょっと壁から離して……」
穏乃「手は支えに使う感じでさー」
京太郎「こ、こうか?」
穏乃「そうそう、そんな感じ」
京太郎「おっ」
京太郎「これは確かにかなり楽だな」
穏乃「でしょ?」
京太郎「そんで、コツがわかったんなら――」
京太郎「筋力なら、俺が上だぜ!」
穏乃「なっ」
京太郎「腕と足のリーチの分、進む距離も長いしなー」
穏乃「ま、負けてらんない!」
京太郎「伊達に鍛えてないんだよ!」
京太郎「先に上に登った方が、アレだからな」
穏乃「アレだよね!」
穏乃「よーし!」
京太郎「よし、俺の勝ち!」
穏乃「うっ……負けちゃった」
京太郎「さて、穏乃……用意はいいか?」
穏乃「いつでもいいよ!」
京太郎「じゃあ、行くぜ?」
京太郎「ファイトぉぉぉ――――!」
穏乃「いっぱぁぁぁぁあ――――つ!」
京太郎「よし!」
穏乃「やったね、京太郎!」
京太郎「やっぱ、こういう壁って言ったら……」
穏乃「これをやりたくなるよね!」
京太郎「な!」
穏乃「流石京太郎、わかってるね!」
京太郎「そういう穏乃こそ、さすがだよな!」
穏乃「私たち、相性いいのかもね!」
京太郎「……!?」
京太郎「そ、そそそそ、そうだな!」
穏乃「?」
穏乃「どうしたの?」
京太郎「な、なんでもねーよ!」
京太郎(さりげなく、そういうことを恥ずかしげもなく言ってのける)
京太郎(くそっ、心臓に毒だぜ……)
京太郎(やっぱり、穏乃の笑顔はいい)
京太郎(実に癒される……!)
京太郎(サツバツとしたマッポーに咲いた一厘の花みてーだ)
京太郎(しっかし……)
京太郎(穏乃の手、ちんまくて柔らかかった)
京太郎(可愛い。穏乃可愛いぜ……やっぱ)
京太郎(今日は貸し出された白シャツに……黒の短パン)
京太郎(いいな、これ)
京太郎(新鮮で……すごくいい)
京太郎(ちょっとサイズが合ってないところが、実にいい)
京太郎(家に泊まりに来た穏乃に、俺の私物の服を貸しているような……)
京太郎(そんな気分になれる……!)
京太郎(うへへ)
京太郎(穏乃、お泊りとかにきてくんねーかなぁ……)
京太郎(さっすがに、女の子の穏乃に長野までの交通費ださせらんねーから無理だけど)
京太郎(来てくれって奢ったら、こいつ遠慮しそうだし)
京太郎(あー)
京太郎(カピバラと戯れる穏乃が見たい)
穏乃「どうしたの?」
穏乃「なんか、変なにやけ方してるけど」
京太郎「……い、いや」
京太郎「ここからの眺め、いいだろ?」
京太郎「だからさ、顔が緩んじまってな……」
穏乃「そっかぁ」
穏乃「うん、確かにこういうのって山とは違って新鮮!」
京太郎「だろ!?」
京太郎(隣に穏乃がいるしな)
京太郎(か、肩を……肩を抱く――)
京太郎(のは、まだ早いよな! ははは!)
穏乃「?」
憧「……」
憧「あんなに楽しそうにしちゃって、まぁ……」
憧「……」
憧「そんなに、楽しいのかな?」
憧「……」
憧「うーん」
憧「結構簡単そうだし、あたしもやってみようかな……?」
京太郎「ふいーやっぱ、眺めいいなぁ」
穏乃「ね。まさか壁を登った上にソファーがあるなんて」
穏乃「座り心地いいし、快適ー!」
京太郎「ちょ、バカ……! お、おい! 揺らすなって!」
穏乃「んー?」
京太郎「さっすがに怖いっつーの、この状況で揺らされたら」
穏乃「あ、ご……ごめん」
穏乃「こういうのあんまり山だとないからさ……はしゃいじゃって」
京太郎「ん、いや……」
京太郎「気持ちは判るし、そこまで気にすんなって」
穏乃「そっか!」
京太郎「だからって、飛び跳ねていいなんて一言も言ってねーからな!」
穏乃「うぇへへ、ごめんごめん」
憧「……」
憧「ち、近づいてみると意外に高いわね」
憧「でも……」
憧(体力あるとは言っても、しずみたいな女の子でも登れるし)
憧(運動神経がしずほどいいとも言えない京太郎ですら登れるし)
憧(じ、時間さえかければあたしでも登れるわよね)
憧(……なんか置いてきぼりにされるのって、やっぱ癪だし)
穏乃「およ?」
穏乃「憧も登るのー?」
京太郎「マジか?」
京太郎「っと、さすがにここに三人は狭いしな……」
京太郎「降りるか」
穏乃「じゃ、私が――」
京太郎「いいっつーの」
京太郎「こういう時は、女の子優先だろ?」
穏乃「優先なら、私が下りることにならない?」
京太郎「……ハッ」
京太郎「あ、あれだ。あれだって!」
京太郎「内容的に女の子を優遇するってことだよ! そーいうの!」
穏乃「ふーん」
穏乃「……へへ」
穏乃「ありがとう、京太郎」
京太郎「だから気にすんなっつーの」
京太郎「憧といい、穏乃といい……気にしすぎなんだよ」
京太郎「男の方も好きでやってるから、笑って受け取っとけばそれでいいんだよ」
穏乃「……えーと」
穏乃「だから笑ってみたんだけど」
京太郎「ぬぐっ」
京太郎「お礼とかいいってことだよ。言わせんな、恥ずかしい」
穏乃「あはは、ごめん」
京太郎(何を言っているのだろうか、俺は)
京太郎(なんか気恥ずかしくて、普通に振る舞えなくなってる)
京太郎(……落ち着け、落ち着け俺)
京太郎(穏乃には胸はない穏乃には胸はない穏乃には胸はない憧には胸がある穏乃には胸はない穏乃には胸はない)
京太郎(穏乃には胸はない穏乃には胸はない穏乃には胸はないでも穏乃可愛い穏乃には胸はない穏乃には胸はない)
京太郎(穏乃には胸はない穏乃には胸はない穏乃には胸はない笑顔に癒される穏乃には胸はない穏乃には胸はない)
京太郎「つーわけで、今降りるからちょっと待ってろよ」
憧「りょーかい」
京太郎(……これぐらいの高さからなら、直で飛び降りれるか?)
京太郎(……)
京太郎(いや、無理だろ。スタントマンでもねーと無理だ)
京太郎(さっきは穏乃の手前ああ言ったけど、流石によっぽど追いつめられねーと簡便だ)
京太郎(うっ)
京太郎(憧の言ったことが、頭の中で繰り返される)
京太郎(よく考えたら、2階の窓ぐらいの高さって……結構やばいんじゃねーのか?)
京太郎(しかも命綱ないし……)
京太郎(……)
京太郎(くっ、ちょっと怖い)
穏乃「どうしたのー?」
京太郎「うっ」
京太郎「い、いやな……眺めを確かめてるっつーか」
穏乃「もしかして、怖いの?」
京太郎「バッ、そんなことねーっての」
京太郎「俺を誰だと思ってるんだよ!」
穏乃「うーん、流石は京太郎だね!」
京太郎「だろ!」
穏乃「……正直、私は怖いけど」
京太郎「へっ?」
穏乃「さっきはああ言ったけど、やっぱりいざ登ってみると……その、さ」
穏乃「やっぱりちょっと意識しちゃうよね」
京太郎「……」
京太郎「なーんだ。じゃ、任せとけよ」
京太郎「これから俺がかっこよく降りて、大丈夫だってことを教えてやるからさ」
京太郎「な?」
穏乃「……うん!」
憧(いちゃついてる暇あったら、早く降りてくれないかなぁ)
憧(決心揺らぎそうだし……)
京太郎(穏乃も怖いっつってる)
京太郎(だったらここでいかねーと……男じゃないだろ)
京太郎(なんつーかこう、絶好のアピールチャンスって気持ちも少なからずあるけど)
京太郎(俺の行動で穏乃を勇気づけるのなら、行くしかない!)
京太郎(人間讃歌は勇気の讃歌! 人間の素晴らしさは『勇気』の素晴らしさ!)
京太郎(よし、下をのぞき込んで……)
京太郎(こ、怖えーよ)
京太郎(大きい足場になりそうなのは、アレと……アレと)
京太郎(……)
京太郎(登ってきた方が、ハングがやばすぎて使えねーから……こっちは未知だな)
京太郎(……ん、大体わかった)
京太郎(後は降りるだけだな)
京太郎「んじゃ、下で待ってるぜ? お姫様」
穏乃「お姫様って……似合わないよ、そーゆーの」
京太郎「いいんだよ。これからそういうセリフが似合う男になるんだから」
京太郎「っしゃ、行くぜ!」
憧(すいすい降りてくるわね)
憧(やっぱり、思ってたよりも簡単ってこと?)
憧(ふーん)
憧(まあ、あの二人がやったんだし……あたしだけできないってのも)
憧(すっごく格好悪いわよね)
憧(……よし!)
憧「お疲れー」
京太郎「ドーモ、憧=サン」
憧「……」
憧「なにそれ?」
京太郎「いや、ノリで」
憧「……はぁ」
京太郎「目の前で溜息つくなよ。傷付くだろ」
憧「勝手に傷付いてなさいよ」
京太郎「ひっでえやつ……」
京太郎「つーか、前からお前俺になんか辛辣すぎねー?」
憧「そら、ヘタレ男の女々しいメールに付き合わされてたら辛辣にもなるわよ」
京太郎「……ぐっ」
憧「ま、フォローはしてあげるわよ」
憧「あたしの目の届くところにいるうちは、さ」
憧「しずに悲しまれても困るし……あんたも、知らない仲じゃないし」
憧「幸せになるなら、それが一番だから」
京太郎「……」
京太郎「お前、マジでいい女だよな……なんつーか、貫禄あるよな」
憧「うっさい。そんなもんないわよ」
憧「とにかく、それとなく二人きりにしてあげるから……なんとか親密度あげなさいよ?」
京太郎「悪い。すまん。ありがとう。助かる。サンキュー」
憧「……まったく心に響かないわよ、それ」
穏乃(何話してるんだろう?)
穏乃(京太郎と憧、仲いいなー)
穏乃(二人とも楽しそうにしててくれて、すごい嬉しい)
憧「しーずー?」
穏乃「なーにー?」
憧「これからあたしそっち行くけど、しずも降りてー!」
穏乃「どしてー?」
憧「その景色をー! 独り占めしたいからー!」
穏乃「えっ」
憧「ねー、いいでしょー!」
穏乃「分かち合おうよー!」
憧「結構上にいたから譲ってよー!」
穏乃「あー、判ったー!」
憧「よし!」
京太郎(すげえ。それとなくフォローじゃねえ)
京太郎(露骨だ。無理やりすぎる理由だ)
京太郎(……が、その自分を汚れ役にしても! 俺と穏乃のために尽くしてくれたその態度!)
京太郎(お前のそんな姿に、『敬意』を表するぜ!)
京太郎(流石憧だ! 男が苦手そうに見えても、経験豊富なんだな!)
京太郎「……あ」
京太郎「憧、一ついいか?」
憧「お礼? なら別にいらないけど」
京太郎「いや、それもあるけど……」
京太郎「無理すんなよ」
京太郎「正直、かなり高くてビビる。俺と穏乃もビビった」
京太郎「だから、俺らを二人っきりにしてくれるっつーのは嬉しいけどさ」
京太郎「かなり怖いから、無理して上がらなくてもいいんだぜ?」
憧「……」
憧「……ったく」
憧「余計な心配するより、しずになんかもっとアピールしなさいよ。ヘタレ」
京太郎「へ、ヘタレって」
憧「あたしなら大丈夫だから、余計な気を回すんじゃないわよ?」
憧「あたしを誰だと思ってんのよ」
・
・
・
憧(……で)
憧(降りられなくなって、もう何分経つだろう)
憧(登って、結構いけたけど、危なくなって……)
憧(下手にこっから降りるよりも、上にあがっちゃって腕を休めた方が楽だと思った)
憧(そこまではいい)
憧(ちゃんと登りきることはできた。流石あたしだと思った)
憧(……んで)
憧(降りられなくなっちゃったんだけど、どうしよう)
憧(登ってるときは判らなかったけど……かなりの、高さじゃない……)
憧(2階相当の高さに、壁もなくいなきゃいけないなんて……)
憧(こ、怖い……ちょっとこれは怖い)
憧(そうしてる内に……手汗、すごいことになっちゃってるし)
憧(益々、怖いし……)
憧(おまけに……)
憧(と、トイレに……行きたくなってきちゃったし)
憧(どうしよ)
憧(踏み出そうとしてみたけど……)
憧(1歩目が……怖い)
憧(本当に、足を下した先に……足場があるのかわからないし……)
憧(こっちのルート、上ったことないし……)
憧(下、怖くて見れないし……)
憧(手汗で滑っちゃったら……怖いし)
憧(もし、途中で力尽きちゃったり……踏み外しちゃったら……)
憧(あたしは……)
憧(……やめとけば、よかった)
憧(どうしたら、いいのかな……どうしよ)
憧(誰か――)
穏乃「――待ってて、憧! 今助ける!」
京太郎「――落ち着け」
穏乃「ぐぇ」
穏乃「な、何するのさ! 京太郎!」
穏乃「憧、絶対アレ登り切って降りれなくなったんだよ?」
穏乃「あそこ、ソファーは置いてあっても壁はないし……そんな場所にいなきゃならないなんて」
穏乃「すぐに、助けなきゃ!」
京太郎「だから、落ち着けって」
穏乃「あ、痛ァ!?」
穏乃「なんで拳骨!?」
京太郎「痛けりゃ、いくらお前でも踏みとどまるだろ?」
京太郎「少し頭冷やせよ、穏乃」
穏乃「でも……っ」
京太郎「お前が行ってどうなる? 憧と一緒に上にいるつもりなのかよ?」
穏乃「わ、私が――」
京太郎「背負うなんて、無理だな」
京太郎「お前も耐えられないし、憧だって、人に背負われつづけるのに耐えられない」
京太郎「どうするんだ? 背負ってる間、憧はお前に抱き付くだけ」
京太郎「お前は、余計なウェイト抱えて重心がおかしくなる」
京太郎「ただ落ちる未来しか、ないだろ」
穏乃「で、でも……!」
穏乃「ジャージとか何かを、腰にしっかり巻きつけば憧は耐えられるだろ!」
京太郎「……お前はどうすんだよ」
穏乃「き、気合で……」
京太郎「却下」
穏乃「却下って……」
穏乃「じゃあ、憧はどうするのさ!」
穏乃「憧、誰かの前だから耐えてるけど……絶対、絶対に不安に思ってる」
穏乃「だから――」
京太郎「――次にお前は、『早く助けなきゃ』と言う」
穏乃「は、早く助けなきゃ――! ……えっ」
京太郎「まず、なんで憧が下りられないか考えろよ」
京太郎「どうやって下すかは、そっからの話だ」
京太郎「ウン千年の中国の兵法書に、孫子っつーのがあって」
京太郎「『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』っつー言葉があるんだよ」
穏乃「そ、それと何の関係が……!」
京太郎「憧が下りられなくなった理由によるだろ。俺らがどうするのか、なんてのはさ」
京太郎「手が疲れてるのか、そうじゃないのか」
京太郎「高い所が怖くなったのか、そうじゃないのか」
京太郎「下り方がわからないのか、そうじゃないのか」
京太郎「そこらへんを確かめてからによって、俺らの動きは変わってくる」
京太郎「ただ闇雲にやってたら、ミイラ取りがミイラって状況になるだろ?」
穏乃「そ、それは判るけど……」
穏乃「でも……!」
京太郎「……」
京太郎「頼むから、落ち着いてくれよ」
京太郎「憧のことを大事に思ってるのは俺も一緒だし、穏乃のことも大切に思ってる」
京太郎「お前らがいなくなったら――俺はスッゲー悲しい」
京太郎「たぶん自殺する。おそらく」
穏乃「そこまで!?」
京太郎「自殺は言い過ぎだった……まあ、飯を食わなくて衰弱死する。きっと」
穏乃「結局死ぬの!?」
京太郎「それぐらい悲しいし、それぐらい助けたいってことだよ」
京太郎「判ってくれ」
穏乃「……う、うん」
京太郎「……折角できた素敵な友達二人と、お別れなんてしたくないし」
京太郎「ましてや、女の子が泣いてんのを――ほっとけるわけねーだろ」
穏乃「……」
京太郎「信じろよ、俺を」
京太郎「お前らの持ってないものを俺は持ってるんだ。こういう時のために、鍛えてるしさ」
穏乃「……うん」
穏乃「私は――京太郎を、信じる!」
京太郎「任せとけっ!」
京太郎「つーわけで――」
京太郎「憧、なんで下りられないんだー!」
憧「あ、きょ、京太郎……」
憧「登ったはいいけど、下り方が……わかんなくなって……」
憧「どっから、足出していいかわからないし……!」
憧「踏み外しちゃったら、怖いし……!」
憧「でも下、見れないし……!」
憧「あ、あたし……」
京太郎「……」
京太郎「……よし、最悪のパターンじゃねーな」
穏乃「本当!?」
京太郎「本当だってば。俺が穏乃に嘘吐くわけねーだろ?」
京太郎「もう俺には、解決策は判った」
穏乃「じゃ、じゃあ……!」
京太郎「お前の言葉を借りるけど――」
京太郎「いい子で待ってろ……今、助ける!」
憧「……う、うん」
穏乃「京太郎……!」
京太郎「だから――」
京太郎「――憧、俺を踏んでくれっ!」
憧「……は?」
穏乃「……えっ」
京太郎「えっ」
憧「……こんなときに、何言ってるのあんた」
穏乃「京太郎……」
京太郎「え……なんだよ、その目は」
憧「こんなところで……その、あの」
憧「変態趣味をカムアウトされても……あたし、どうしたらいいのか判らないんだけど」
穏乃「……ごめん」
穏乃「京太郎、ちょっと近づかないで……」
京太郎「はぁぁぁぁ!?」
京太郎「おい、なんだよその養豚場の豚を見るような目は!」
京太郎「これでも俺、真面目に考えて言ってるんだぞ!?」
京太郎「足場がないなら――って、おい!」
京太郎「ちょ、逃げないでくれよ……穏乃!」
京太郎「な、なあ……!」
京太郎「やめろ! 傷付くから、やめろ!」
京太郎「やめろ! そんな目で、俺を見るなよ! なあ!」
京太郎「お前ら、ふざけんな!」
京太郎「穏乃、俺を信じるって言っただろ……!」
京太郎「ちょ、距離を取るな……取んなって!」
京太郎「マジやめて! ねえ! やめてくれよ!」
京太郎「憧もそんな目すんなよ! 俺、そういう趣味ねーから! 違うから!」
京太郎「なあ、おい!」
◇ ◆ ◇
京太郎(……なんてことも、あったよなぁ)
京太郎(『どこに足を踏み出していいかわからねー』って言うなら)
京太郎(とりあえず俺が下で、全力で捕まって足場になればいい)
京太郎(そんで1歩目を踏み出しちまえば、あとは簡単だ)
京太郎(隣から登った穏乃が、憧の足を……足場の位置に動かしてやればいい)
結局あれから、その作戦を説明して。
なんだかんだ緊張がほぐれた憧を下して、一件落着となった。
……約一名の心の傷を残して。
まさか、あの場面であんな風なことを言う人間だと思われていたなんて、かなりショックだ。
暫く、マジで悩んだ。大体半日ぐらい。
京太郎(……ま)
京太郎(今なら、二人を巻き付けてでも、下りられるようになったけどな)
京太郎(色々、あったよなぁ)
京太郎(足を挫いた状態で、途中でギブした憧を背負って山登ったり下りたり)
京太郎(みんなで、スパランドみたいなとこ行ったり)
京太郎(水族館とか……行ったりさ)
京太郎(……)
京太郎(少なくとも俺は、あの日より成長してる)
京太郎(前に進んでるんだよ――な)
京太郎(……うっし!)
京太郎「さて……」
京太郎「一丁、仕事を頑張りますかね!」
最終更新:2013年10月14日 08:20